二章 星を詠む弟子
その風車は、かなり古いものだった。
おそらく国にある風車の中でも古いタイプだろう。ロープも切れたところを結んで補強しているだけで、いやそもそもそれは補強のうちになってない。単なるその場しのぎだ。
現状が思っていたよりも悪い、とヴァートは思った。
これは左遷でも嫌がらせでもなんでもいいが、自分がここにきて良かったというものだ。
ここは大々的に計画を練って、ここの風車をすべて改修してやるぞ、と内心にやる気をみなぎらせる。なにせ数日ぶりに風車に触れて、そのタワーに登ることができて、ヴァートは生き返ったような心地なのだから。
風車台の高いところから、森ではなく海を見渡す。この場所の風車は、同時に灯台の役目も担っていて、王都の風車にはない灯火台がくっついていて高いところに火がともせるようになっている。
海は青いというけれど、ここから見る海は黒に近いな、と思う。
風の匂いも王都とはちがう。これが潮の香りか……。
「なあ」
「うわっ」
急に声をかけられて、ヴァートは飛び上がりそうになった。
「な……そんなに驚くなよ」
「驚きますよ。ここは技師しか登ってきては駄目なんですよ!」
「そうなのか? ふーん? でも下ではだれも止めなかったぞ?」
「……そうですか」
ヴァートのことは王都からの知らせがあり、国紋と、なにより呆れるほどの資料を持ち込んでいたのですぐに受け入れられたのだが、ツァイは途中で拾ってきただけの少年で、挨拶の形式さえ知らずに不審がられたものだ。が、まあ新米の弟子だといって誤魔化し、王都に行ったら挨拶の使い分けができないような人は、役に立つ立たないの前に使ってもらえません、と半ば脅して、最低限の教育を受けている真っ最中、なことになっている。
ツァイはぶつくさと文句を言いつつも、基本的なことはどんどん覚えていった。頭はいいんだろうな、なんてヴァートはこっそり思った。なんで今までなにも出来なかったんだろうと思うくらいには、なんでもやってのけた。
「君は僕の弟子だと思われているので、通されたのでしょうね」
ああびっくりした、と胸を押さえるヴァートの少し下のほうに、ツァイはむすっとした顔で腰かける。
「ぼくはあんたの弟子だろう?」
ぼそっとこぼす。
ヴァートは彼を見下ろした。そして天使のように微笑んだ。
「そうですね」
ふたりは風車台のタワー部分にすわったまま、沈黙していた。
ヴァートの視線は森と海をとらえ、ツァイは空の星を追っていた。
「この風車、調子悪いのか?」
ツァイがぽつんとたずねてきた。
「悪いわけではありませんが、老朽化が進んでいるので全面改装してやろうと目論んでいます」
「ふうん。でもこんな大きなもの……その、金がかかるんだろ?」
「おや、いっぱしのことを言いますね」
ヴァートが目を丸くして弟子を見下ろすと、ツァイはまたむすっとした。
「ええ、かかりますよ。でもお金なら出させます。僕を送り込むのならそれくらいの覚悟をしておいてほしいですよね」
「……?」
ヴァートのちょっぴり意地悪そうな表情と言葉の意味がわからずに、ツァイは首をかしげた。が、まあいいか、と思う。王都というのは想像以上になんだか面倒事が多いらしい。それでも今のこの国は、最近では一番平和だ、と年の変わらない師匠は言う。
ツァイは空を見上げた。まだ星を眺めるには早いが、それでも中心の光の王国と、北の軍事大国がひときわ輝いている、とツァイの目には見える。いつものように南の空に風の王国の星を探す。
「……え?」
ぽつりとした、でも驚愕のつまった声に、ヴァートはツァイを見た。弟子はなんだか怖い顔でじっと空を見つめている。
「ツァイ? どうしました?」
ヴァートが空に目を転じても、そこには星は見えはしない。
「ウィンダリアが……!」
「ツァイ?」
なんだか様子のおかしい彼に、ヴァートは少し強く呼びかけた。
彼の言う星だとかなんとかというのは、ヴァートには残念ながらまったくわからない。そもそもウィンダリアは、魔法も科学もすべて遅れているのだ。伝統を重んじて保守的な国民性は、時代から取り残されている、とヴァートは思っている。
「そんな……」
ツァイが支柱を握りしめる。その手が白くなっている。
「どうしてだ? 今この国は平和だって言ったよな、あんたは!」
なんだか縋りついてきそうな視線を受けて、ヴァートは頷き返せなかった。
自分の知っている世界なんて、ほんの一部だ、とそう思った。