三章 風と炎が出会うとき

 明るい町だ、と思った。
 もちろんガルシアが乗ってきた船がここから向かう本来の目的地、アンデルシアとは比べようもないが、それでも雪と氷ばかりの生まれ故郷に比べれば。
 そう思って、ガルシアは首を振った。比べることが、間違っている。祖国とここは違う。当たり前だ。
 がらがらと車輪が音を立てて馬車が通り過ぎる。重そうな荷台にはなにが積んであるのだろう。
 一見ばらばらだが、注意して見るとちゃんと一定の規則に則っているいるのがわかる無数の露店。威勢のよい掛け声。目移りする品々の間を行ったり来たりする客。商人の男。主婦。子どもたち。どこかの制服の召使。人々の話し声。
 活気のある、明るい町だ。
「参りましたねぇ……」
 ガルシアはぽそりと呟いた。
 薄い色の金髪をぼりぼりかいた、ずり落ちていた片眼鏡を押し上げる。が、片眼鏡はすぐにずるっとずれた。それをもう気にすることもなく、ガルシアは適当に歩き出す。
 王都からは馬車で数日かかる距離と聞いていたので、まさかこんなに活気のある町だとは思わなかった。さて、太守館はどこにあるのだろう。
 きょろきょろしながら歩いていると、どんっと強い衝撃をくらって、ガルシアはよろめいた。
「ごふっ」
「いってーな! このひょろノッポ!」
 ……ガルシアにぶつかった少年が、的確な表現で悪態をついた。
「これはこれは、しつけのなってないお子さまですねぇ」
 ぶつかられた腹を押さえて笑顔をひきつらせる。するとすぐに小太りの女性が走ってきた。
「すみません!」
 ガルシアが目を向けると、一目で少年の母親とわかる容姿の女性がぺこぺこと謝ってきた。
「うちの子がご迷惑をおかけしまして、お怪我はありませんか」
「ええ、はい、大丈夫ですよ」
 ガルシアはすぐにへらりと微笑む。
 母親はそのたくましい腕で息子をむんずとつかむと、げ、とか言っている少年の頭を無理やり押して謝らせた。
「いてー! いてーよ、母ちゃん!」
「この馬鹿息子! ちゃんと謝りなさい!」
「……ごめんなさーい」
 ちっとも反省した様子のない少年を母はぽかりと殴って、かわりのように自分がぺこぺこ謝り、息子を引きずるようにして去って行った。
 ガルシアはそんな始終をへらへら笑いながら見ていた。
 最後まで謝る気のない少年がふりかえってべーっと舌を突きだすのに、ひらひらと手を振ってやった。
「……あ」
 その手を止めてガルシアははたと気づいた。
「しまったなぁ。いまの奥さんに聞けばよかった」
 細い目を眇めて一瞬反省。
「ま、いいか」
 けれどあっという間に立ち直り、またふらりと歩き出す。中心部と思われる方向に向かって歩いて行く。なぜそう思ったかといえば、馬車が皆そちらに向かっていくからだ。しばらく行くと露店が並ぶ通りが終わり、街道から続いていると思われる道と合流した。
 馬車の量が一気に増える。逆に歩いている人が減る。
 ガルシアは周囲を見回し、自分と同じようにひとりで歩いている少女を見つけた。まだ子どものようだが、さっきのガキ……いやいや、元気のあり余った少年とはちがい、おとなしそうな少女だ。黒い制服を着ている。これはいい。
「あの、すみません。ちょっと道をお尋ね、あわわわっ!」
 道をたずねようと彼女に近づいたところ、すぐそばを通った馬車に巻き込まれそうになった。
「おい、兄ちゃん! あぶないだろ! 横から出て来るんじゃねえ!」
 御者の親父に怒鳴られた。
「すすす、すみません」
 さっきどこかで目にしたような光景を、今度は自分で繰り返す。
 ぺこぺこ頭を下げていると、馬車はそのまま通り過ぎ、ほっと一息。それからやっと少女に向き直り。
「あわわわっ!」
 今度はひとりで足をもつれさせた。
「おうっ!」
「……っ」
 ひとりで勝手にコケたガルシアの目の前で、少女はひらりと身をかわした。
 ひっくり返る一歩手前で地面にへたり込んでしまったガルシアは、自分を避けた少女を見上げた。ずり落ちている片眼鏡を正しい位置に押し戻す。
「すみません、大丈夫ですか?」
 黒い瞳で無表情にこちらを見下ろしていた少女は、そろりと頷いた。
 ガルシアはよいしょとたちあがった。
 ひょろりと背が高く、その全身を覆う黒いコートをぱんぱんとはたくと、無造作に束ねた薄い色の髪が背中で揺れた。
 並んで立つと少女はガルシアの胸くらいまでしかなく、腰をかがめてその顔を覗きこむ。
「すみません、お尋ねしたいことがあるのですけれど。太守館へ行くにはこちらでいいのでしょうか」
 少しずれた眼鏡の顔をへらりと笑わせて少女にたずねる。
 黒髪の少女は表情を変えず、視線をちらりと動かした。
「あ、この先ですね」
 彼女が示した方向を確認すると、少女はこくんと頷いた。
「ありがとうございます」
 ぺこりとお礼を言う。にこにこして立っていると、それでも不審な顔をしなかった黒い瞳の少女は、ガルシアの前から立ち去った。
 ……のに。
 ガルシアは彼女の後ろをずっと歩いていた。べつに追いかけているわけではない。ただ目的地への道が彼女と同じだっただけだ。
 身長差からいって確実にガルシアのほうが足が長いはずだが、観光気分でへろへろした歩調が、さくさく歩く少女を追い越さなかったため、両者は奇妙な均衡を保って進んでいった。
「あ、もしかしてここが太守館ですか」
 ガルシアがそう言ったのは、前方を行く少女が、ひときわ大きな建物のまえで足を止め、振り返ったからだ。
 黒い制服の彼女がこくんと頷くと、ガルシアは近寄って彼女の両手を握った。
 少女は、驚いたりはしなかった。
 自分の手を包む大きな手と、へらへらした片眼鏡の男を見上げる顔は変わらず無表情。
「わざわざ案内してくださってありがとうございます。ご親切にどうも」
 にこやかに言って、握った手をぶんぶんと振ると、それでは、と彼女を置いてガルシアはひとりさっさと太守館へと入って行った。