四章 終焉の鐘の音
老朽化による再建計画も、完全に頓挫ですねぇ、と隣に座った師匠が呟いた。
いとしげにタワーの支柱を撫でるヴァートは、ひどく落ち込んでいるようだった。
当然だ。この人は、王都の出身なのだから。
夜が明けても遠くで鐘が鳴っていた。
おそらく火元は王都だろうという情報があり、国の大半を森が占めているウィンダリアは、ほかの町や森を守るために、王都周辺の木を切り倒したようだ。きっと空から見下ろすことが出来たなら、王都を中心にぽっかりと穴が開いたようになっているに違いない。
「それで、火事はおさまったのか?」
だれにも邪魔されない岬の風車の上層部に座って、ツァイは師匠にたずねた。
「わかりません。そうだと願いたいのですが……」
答えてヴァートが口をつぐんだ。
わかっている。というか、きこえている。
火の手を知らせる鐘の音が、今もずっとどこかで鳴っているのだ。
「ウィンダリアは、燃え落ちるのですか?」
ヴァートが静かに言った。
あんまりにもさらっと言われたので、意味することの物騒さに、ツァイはすぐには気付かなかった。
「な……! あんたなに言って……!」
「君の星詠みではそういうことはわかりませんか」
「え、そ、それは」
ツァイは口ごもった。
ツァイには、星が見えた。
たくさんの星の中でひときわ明るい三つの星があった。
まずは強い光の金色の星、アンデルシア。それから鋭い光の青い星がサグーン。
それらに比べるとぼんやりとはしていたが、ヴィンダリアの星は……赤。
そう、この国はいま、炎の色をしていた。
以前はそうではなかった。オレンジっぽい白色だったはずだ。
誰に教わったわけでもないが、ツァイは知っていた。
赤い星は……もうすぐ終焉を迎えるのだと。
だから、驚いた。
この国の連中は平和な顔をしているけれど、星を詠めるやつはいないのかと憤った。
でも、ツァイは生まれてはじめて思った。星なんか詠めてもちっともいいことはない。危険があると知ってもなにもできない。自分には力なんてない。ただいたずらに恐怖だけを先取りしたって、いいことなんかないじゃないか。
「君の言った凶星というのは、この火事のことだったのでしょうか。事態はこれでおさまりますか」
内心をほとんど表に出さず、まるで事務的にたずねてくる。
ツァイは彼とひとつしか歳が違わないはずだが、故郷が火事で被害にあったというのに、この国のことを慮っている師匠がひどく痛ましく見えた。
自分はあんな考え方が出来るだろうか。
星が詠めても、怒ったり怖がったりしているだけの自分は、とても子どもっぽい。師匠に馬鹿にされるのも仕方ない。
「僕は……」
ヴァートがぽつりと口を開いた。
「王都が結構好きだったんです」
その顔はとても静かだ。
たとえばもっと泣きそうな顔をしているとかだったら、こんなに痛々しくは見えなかったと思う。
「王都にはあまり立派ではない王宮があるんですが、その上にね、この国で一番大きな風車があるんです。大風車と呼ばれていましてね、それはね、もう本当にすごく、美しいんですよ」
ツァイに言っているのかどうか、よくわからない。
淡々と、でも手放しに褒め称える。
いま腰かけている風車も、ツァイはすごくきれいだと思うけれど、ヴァートがそういうなら王宮の風車はもっとずっときれいだったのだろう。
そう考えて、自分は過去形でとらえていることに気付いた。
でも、師匠は現在形で喋っている。
「無事じゃないですかねえ。ぜひともあれを君に見せてあげたいのですが」
ヴァートの視線が遠くへ飛んでいく。
まるでその大風車が見えるかのように。いや、師匠には見えるのかもしれない。その美しい大風車が。
「エメルダさーん」
遠くから、つまり地上から師匠の名前が呼ばれて、ふたりはほぼ同時に下方に目を向けた。
そう、同時だったはずなのに、ツァイが見たときにはすでにヴァートはタワーを降りはじめていた。
学者という肩書のわりには機敏な動きでするすると降りていく。
……て、感心している場合ではない。ツァイも急いで追いかけるが、師匠のようにさっさとは降りられない。
やっと地に足がついたときには師匠たちは話を終わらせていた。
「師匠?」
ひとりきりで立っていた……立ち尽くしていたヴァートは、ツァイを待ってくれていたのだろうか、ツァイを見ると歩き出した。その少し後ろをついて行く。
ヴァートは……まっすぐ前を向いて歩いていた。大きくない背中はなにを背負っているのだろう。
この町の役所であり、現在は風車の再建チームの事務所にもなっている建物の前まで戻ってくると。
「……え? なんだよ師匠、なにがあったんだ?」
右へ左への大騒ぎになっていた。
反射的に耳を澄ますが鐘の音は聞こえない。いや、どこか遠くではなっているかもしれないが、この町でも周辺でも鳴ってはいないようだ。
ではなんだ。
火事のほかに人々がこんなに慌てふためく理由がツァイには思いつかない。
ヴァートは立ち止まり、そんな建物を、人々を眺めている。
「師匠? 戻らなくていいのかよ」
「ええ……戻っても出来ることなんてありませんよ。僕はただの風車技師なんですから」
ヴァートの、とても彼らしくない台詞にツァイは目を丸くした。
いつも天使のごとく可愛い顔での、冗談めいた辛口の強気発言を知っているだけに、返す言葉が出て来ない。
「おい、師匠……なに言ってるんだ」
「僕はいつも真実しか口にしませんよ。そうでしょう?」
「そうだけど……」
そうだけど、でも、だからこそ、おかしいと言っているのに。
「あんたがいつも言ってるんじゃないか、風車がどんなにすごいかって」
ツァイや、王宮にいる誰か偉い人のことを間接的に貶すことはあっても、風車を貶めることだけは一度だって聞いたことがない。
「そうですよ。風車は素晴らしいものです。この国で唯一、他国に誇れるものです。だから……僕は風車技師になったんです」
さりげない辛口が、なぜかほっとする。
付き合いはまだ短いが、ちょっぴり自信家のヴァート・エメルダでないと、自分の師匠らしくない。
「でも、だから、今の局面で役に立てることなんてないんです」
「……え?」
どういう意味だ、とツァイはヴァートを見た。ヴァートはやっとツァイを見返して、困ったように微笑んだ。
「北の国境沿いで、一斉に火の手があがったそうですよ」
ひょいと肩をすくめた師匠を、ヴァートは呆然と見詰めた。
それは、どういう意味だ? 北の国境沿い? 最近憶えた地図が脳裏に広がる。それは、つまり?
「こちらの混乱と同時にすかさずつけ込むところは、さすがですねえ」
そんなことをさらっと口にする師匠は、彼らしい、というべきなのだろうか。
「このままサグーンとの戦争なんてことになれば、ヴィンダリアに勝ち目はありません。まあ、もともと可能性は皆無だったんですけどね」
くすっと微笑むのはわざとだろうか。ウィンダリアには充分愛着があるはずなのに、冷静に、客観的に分析する。
それが出来る師匠はとても師匠らしいはずなのだ。その……表情さえ、もっと自信に満ちていたら。
でもそんな師匠だからこそ、その表情から、ことの重大性をひしひしと感じてしまったツァイだった。