六章 門をひらく者
黄昏の女神は闇にかくれ、月の王が夜を支配する。
神殿で巫女たちが語る物語の一部だ。世界はいま、黄昏の時代だと言われている。
「わたくしたちは、月の王をさがしています」
でもそれは物語だと、お伽噺だと、きっとだれもが思うだろう。だから。
「貴方はわたくしたちの探す王に、なってくださいますか」
黒姫が言った。傍らの彼女がではない。自分たちを取り囲む黒姫たちの誰かが言ったのだ。どの娘が言ったかはわからないが、特定することに意味はない。彼女以外ならすべて同じことだ。
ふと、その頭に気付いた。
階段のところから青い頭を少しだけ覗かせている。ツァイの頭だ。こちらの様子をうかがっているのだろう。逃げもせず聞き耳を立てている。ちょっと前まで腰を抜かしていたくせに、それでもまだこの状況に好奇心があるのは悪くはない。ヴァートは知らず口元をほころばせたが、もちろんツァイには届かなかっただろう。
「僕は」
ヴァートは、口を開いた。
その姿と雰囲気を、不吉だと言うものがある。確かにいまの彼女たちからは、ちょっとした圧力を感じる。けれど無言の黒き娘たちに囲まれても、屈服することも逃げ出すことも、ヴァートの選択肢にはなかった。
はじめから、答えは決まっているのだ。
問われずとも自分には自分なりの信念がある。大事なものがある。……矜持がある。
いままでそれを曲げずにきたから、いまの自分があるのだ。
「貴女方の王には、なりません」
きっぱり言い切った。
けれど黒姫たちは予想していたのかどうなのか、動揺したようには見えなかった。
「僕はウィンダリアの首席研究員、風車技師のヴァート・エメルダです」
ヴァートは傍らの少女に目を落とした。彼女と目が合う。相変わらずの表情をしている。それでもヴァートは微笑みかけた。
「それ以外の僕が、僕だと言えるでしょうか」
彼女が……ナツェルが、ヴァートに微笑み返した。
小さな唇がわずかにほころび、ヴァートに応えた。
「ヴァートさまはヴァートさまです」
それは肯定なのか、否定なのか。
「貴方が月の王でなくとも、黒の翼は貴方に天空の門を開くでしょう」
「え?」
突然言われたことの意味がわからず、ヴァートが戸惑った……一瞬。
すべてが消えた。
ふたりを取り囲んでいたたくさんの黒姫たちが、一斉に姿を消したのだ。
そのあまりにも鮮やかな退場にヴァートは驚いたが。
「……無事乗り越えた、んでしょうかね、僕は」
自ら冗談のように肩をすくめて息を吐いた。
隠れていたツァイが、這うように出てくる。ちらりと彼を見たが声はかけなかった。
そして次の傍らの少女を見た。
黒き娘、黒姫。
彼女もまたその一員だ。彼女はひとり、この場に残っていた。ヴァートはそれがなにより嬉しかった。
「僕の言ったことは、皆さんのご期待通りではなかったでしょうか」
彼女は、言葉では答えず、わずかに首をかしげただけだった。ヴァートは構わず続けた。
「僕の言ったことは、貴女のお好みではなかったでしょうか」
すると彼女は、少し微笑んだ。
くすり、と崩れたその笑顔は、なんだかとても自然だった。
「わたしは……自信家な人は、嫌いじゃないです」
そして、あのときと同じことを言った。
「ああ、そうでした」
ヴァートは息を吐いた。そうだ。彼女は初めからそう言っていたではないか。思い出すとなんだか懐かしい気持ちになった。
よろよろと立ちあがりあたりを見回すツァイの態度が、ずいぶんとおっかなびっくりなので、ヴァートは笑った。
笑われたとわかってツァイがむっとふくれっ面になるのが、また面白い。
こんな気持ちになれるなんて、思わなかった。
廃墟に佇む大風車台を、見上げた。
いつまでも見上げていたいと思った。
世界で一番美しい、この風車を。