一章 風の娘と大地の盾
剣を佩き、正規の騎士の格好をしたスルヤと、目が覚めるような美人のレンブラント、それから上背のあるカーティスが並んでも、さすがに巡神官はおそれることはなかった。
が、メリエールはスルヤが思ったとおり、悲鳴をあげんばかりの勢いで隠れてしまった。
それをちらりと見たカーティスがあっさりと無視したので、彼女はいつもこんなふうなのかとスルヤはそのことには少し驚いた。
「大神殿かぁ」
レンブラントがまるで光を放つかのように美しいその髪をかき上げつつ言った。
この孤児院には大人が座れるような椅子が何脚もなくて、巡神官とシルフィを座らせるともう数がなかった。
「良くない噂とか聞いたことある、カーティ?」
「さあねえ。あんまねーんじゃねぇの?」
ふたりの騎士見習いは、シルフィの両隣に座り込み、時折会っているカーティスはともかく、四年ぶりの再会のはずのレンブラントまで、とっくに昔と同じポジションを取り戻していた。
レンブラントのあの素直さはうらやましいな、とスルヤは思う。
どうして……自分だけこんなに大人になってしまったのだろう。
「でもここにいるよかはマシかもしれないよねぇ?」
レンブラントはわざとらしく高い声で言う。
スルヤは苦笑した。大人ならそんなことを言うのは失礼だとたしなめるべきなのだろうが、今のスルヤはかばってやる何かを見つけられなかった。
かわりに手を伸ばしてシルフィの頭を撫でる。シルフィが少し振り返るようにして見上げてくるのに、微笑み返す。そう、神殿に入ればここよりいい暮らしができるだろう。シルフィの黒髪は子どもの頃はもっときれいだったように思う。
「シルフィは? どう思うんだい?」
スルヤがたずねるとシルフィはすぐには答えず、じっとスルヤを見上げた。
スルヤのやつ、シルフィに対する態度、俺らのときと違う、とカーティスが小声でぼやくと、そんなのむかしからじゃない、とレンブラントも負けずに言い返した。
……全部聞こえてる、て。
シルフィはやっとスルヤから目をそらし、カーティスとレンブラントを見比べた。
「大神殿ってなにするの?」
「勉強したりお祈りしたりするんだよ。あ、歌の練習もするんじゃない?」
「ほかのおんなじような女の子たちと一緒にな」
「ほかの……女の子?」
ふたりの答えにシルフィは少し、首をかしげた。
彼女を神殿に入れるとすると、唯一気がかりなのは、シルフィが同世代の女の子と一緒に行動したことがない、ということだ。
「……スルヤ」
風のように。
シルフィは涼やかにスルヤの名を呼んだ。その声に、響きに、どきりとする。見れば黒の混じった緑色のシルフィの瞳がスルヤを見上げていた。
「なんだい」
「スルヤは、どう思う?」
少しためらったようだけれど、シルフィはまっすぐにたずねてきた。それはむかしと変わらない。
スルヤは膝をついてシルフィと目線を合わせた。
「シルフィはどう思ってるんだ?」
「わからない。わたし、知らないから。スルヤもレンも出て行ったきり帰ってこなかった。わたしもそうなるの?」
急に言われたことが不意打ちでぐさりと胸に刺さったが、スルヤは手を伸ばして彼女の頭を撫でた。
「ああ、ごめんね。会いに来てあげられなくて。俺もずっと会いたかったんだよ」
「ぼくもだよっ」
同じく傷付いた顔でレンブラントが彼女の手を握っている。
「うん……本当は帰って来られないんだ、てカーティに聞いたから、知ってる」
養成所を抜け出したカーティスとどんな会話をしていたのか、シルフィはレンブラントの手を握り返し、大丈夫とでも言うように微笑み返した。
「……そうだね。神殿は俺たちの養成所と似ているかもしれないね」
「スルヤはどう思う?」
さっきとまったく同じ問いを繰り返す。そんなシルフィを見ていたカーティスとレンブラントもスルヤの顔を見た。三人に注目され……いや、いつのまにか巡神官まで自分を見ている。
まるで保護者だな、自分は、とスルヤは思うと、それで心が軽くなった。苦笑する。そんなの、むかしからじゃないか。スルヤはいつも三人の兄だった。
「いいんじゃないか、と思うよ。最初はつらいと思うことがあるかもしれないけど、何年かすればある程度の自由もあるはずだし。それでもやっぱりここの生活がいいというなら戻ってもいいし。だから俺は、今は引き留めない」
スルヤが思ったままを口にすると、なぜかカーティスとレンブラントがほっとした顔をした。
シルフィはじっとスルヤを見つめて言葉の意味を考えているようだったが、やがてにこりと笑った。
その表情は子どものころとは違っていて、どこか大人びていた。
……自分の知らないシルフィが、そこにはいた。
シルフィと別れた三人は、とぼとぼ歩いていた。
地平線に近づいた太陽が三人の影を長く引っ張っている。
「シルフィ、行っちゃったね」
「だなー」
レンブラントとカーティスは力が抜けたようにぷらぷらしている。
スルヤはというと、ふたりが乗ってきた馬を引いている。聞けば案の定厩舎から強奪してきたらしい。
「久しぶりに会えたと思ったのに、あっという間だなー、一日なんて」
レンブラントがえいっと道端の小石を蹴っ飛ばした。本当、子どもみたいだ。
「確かに。でも俺はシルフィが神殿にいてくれたほうが会える機会が増えて嬉しいよ」
スルヤがなにげなく言うと、前を行く背中がふたり同時に振り返った。
「どーゆーコトだ?」
カーティスが目を丸くしてたずねる。
「どういうって、そのままだよ。俺は騎士だから大神殿に行く仕事もあるし」
そんなこと、知っているはずだ。騎士見習いなら。ふたりも言われてから気付いたように口をぽかんと開けている。
「そういえばそうだった……」
「うわ、スルヤずるい。ぼくも早く騎士にならないと!」
「お、おう、俺も!」
顔を合わせれば言い合いばかりしているふたりだが、基本的に仲良いよなーと、我れ先にと歩いている背中を眺めながらスルヤは思った。
でなければ、突然訪れた幼馴染みのために一緒に授業をすっぽかし、馬をかっぱらい、養成所を抜け出しは……しない。
「そうだな、おまえたちが早く騎士になってくれるよう、俺も期待するよ。いろんな意味で」
「うん、まかせて!」
「おう! 俺だって本気になれば!」
今まで本気じゃなかったのかよ、と思ったがそれは心の中に留めることにして、スルヤは笑顔で言った。
「じゃあまずは養成所に戻って、こってりしぼられような」
スルヤに同意するように馬が鼻を鳴らした。
ぎくっと肩をすくめて顔を見合わせたカーティスとレンブラントは、そろってがっくりと肩を落とした。
今日は夕焼けが鮮やかで湖までオレンジ色だ。
幼馴染みたちの近い将来を、黄昏の女神も笑っているのかもしれない。