二章 黄昏の女神と月の王
筆頭騎士について雑用をするのはもっぱらギギとスルヤの役割だった。側近のようについて歩きながら、些細な、でも大切なことをこそりと教えてくれる。一見怖い印象の筆頭騎士殿は、近くで接すると……やはりちょっと怖かった。
そんな筆頭騎士からギギとスルヤ、ふたりに託された仕事があった。大神殿との連携だ。
この国は政治を行う王宮と、ここ騎士団、それから信仰を司る大神殿は並んで建っているにもかかわらず、互いとはいっさい関わらないという姿勢を貫いていた。でもそれではいけない、と言い出し、定期的に報告と話しあいの場を持とうと働きかけたのが誰だろう今の筆頭騎士だ。二十歳を少し過ぎただけの人なのに、すでにこの国を動かしている。騎士団では国に忠誠を、というけれど、孤児あがりの新米騎士たちは、ほぼあの人のために動いていると言っても過言ではない。
「ギギ……ちょっと相談があるんだけど」
スルヤに呼びとめられたのは、芽月の終わりの日だった。
「なんだ?」
「あのさ、神殿への定期訪問の件なんだけど、あれ、俺に一任してもらう、っていうのは、駄目かな」
スルヤにしては、聞いただけで意図の伝わりにくい話だ、と思った。
ギギは客観的にはまたたきひとつ、身じろぎひとつせず、時が止まったように数拍考え、そしてやっと動き出した。
「スルヤに任せるのはかまわない。だがなぜだ? ひとりでするのはめんどうだろう」
「もちろん。ひとりではしない、というか、無理じゃないかな。実は……レンとカーティにやらせたらどうかと思って」
それは先日騎士になった十名くらいの二期生のうちのふたりだ。スルヤの弟分だということは大概の見習いたちが知っている。優等生タイプのスルヤとは違って、レンブラントは明らかに相手によって態度を変えるし、カーティスはいろいろとさぼったり脱走したりとやや問題行動があげられる。生まれたときに感情を忘れてきた、なんて言われるギギだが、スルヤはそんなギギの表情からなにかを読みとったらしい。ふわりとやさしく苦笑した。
「あのふたりに任せるのが不安なのはわかるよ。でも、ちゃんとやるだろうと思う理由があるんだ」
「……それは?」
ギギのことをこんなに理解してくれる相手は初めてだ。もっとはやくに彼に出会っていれば、ギギはもっとちがうギギになれただろうか。
「神殿に行けるなら、真面目にやると思うんだよ、あいつらは」
「なぜ」
「神殿に、もうひとりの幼馴染みがいてね」
「おまえたちの、幼馴染み。もうひとりいるのか」
この仲が良いことがこの上なく自然で当たり前のような三人。でも彼らは三人ではなく四人だというのか。そして神殿にいるということは。
「女……の」
「そう、女の子。カーティたちと同じ年ってことになってる。もうあのふたりは、あいつに首ったけでね」
冗談のように笑う。
誰かに会うために頑張る、なんて、ギギにはちっとも想像できないのだが。
あいつに会えるかもとなると、きっとレンはすごいぞ。他の仕事もあっという間に終わらせて、うきうきはしゃぐ姿が目に浮かぶよ。そういって笑う。
わからない。
嬉しいとはなんだ?
楽しいとはなんだ?
「……そうか。ならふたりにやってもらおう」
ギギが頷くとスルヤがほっとしたような顔で微笑んだ。
「ありがとう」
そのお礼の意味さえ、ギギにはよくわからなかった。
筆頭騎士を案内してその部屋にやってきたとき、さすがのギギもタイミングが悪かったかと思った。ギギの後ろに立っているその人にも、この声は届いているはずだ。この、子どもが遊んでいるようにしかきこえない、にぎやかな声が。
立ち止まった後、わずかに耳を澄まして中の会話を聞いてしまう。
「うるさいなぁ。カーティには頼んでないし」
「んだとー。おい、レン、なんでおまえがひとりで全部するんだ。俺にもよこせ」
「えー。カーティがやると時間かかるでしょう? このくらい僕がひとりでぱぱっと片付けちゃうよ。カーティは待ってて」
「馬鹿言うな、俺にもやらせろ! 俺も神殿に行くんだ! スルヤ、なんとかいってくれよ!」
「……ふたりとも、もう少し静かにしろよ。じゃないと俺が全部やるぞ?」
ああ、大丈夫、スルヤがいるなら、と思ってギギは扉に手をかけた。いきなりがちゃりと開く。
一瞬、レンブラントとカーティスの声が耳に突き刺さったが、即座に静かになった。
ギギが入るとすぐにスルヤが立ち上がり、入口に向かって敬礼した。動作もタイミングも完璧だ。それを見てあわててレンブラントとカーティスがどたばた立ち上がる。
そんなふたりを待ちもしないで、ギギは一歩横に避け、敬礼をして迎え入れた。
我がルイス王国騎士団の、若き筆頭騎士を。
かの人が現れると部屋の空気が変わった。しんと静かになり、緊張感が糸のようにぴんと張りつめられる。
「神殿に行くことになったのはおまえたちか」
「はいっ」
五つほど年上の騎士の言葉に、レンブラントとカーティスが声をそろえた。ふうむ、と筆頭騎士はふたりの顔を眺める。視線を受けてさすがのふたりも緊張の面持ちだ。
「スルヤ」
「はい」
急に目をはずして、その名を呼ぶ。いきなりだろうとスルヤの返事はいつもどおり模範的だ。
「おまえは行くつもりか」
「……はい。最初は」
「ならばそのときは、カーティスかレンブラント、連れていくのはどちらかだけにしたほうがよさそうだな」
筆頭騎士の冷たい声音に、思わず彼らが顔を見合わせる。
それからちらりと机の上に視線を滑らせた騎士は、その書類の中身を確認するでもなく踵を返した。
「ふたり同時だと羽目を外しそうだ」
「は?」
「くじ引きでも殴り合いでも結構だが、行くことになったやつが出来上がった書類を俺のところへ持ってこい」
命令を言い捨てて、筆頭騎士は歩き出した。
ギギが追いかけようと一緒に部屋の外に出ると、来なくていいと言われた。なので幼馴染み三人組の様子をみようと思った背中に。
はじけるように騒ぎだすレンブラントとカーティスの声が届いた。
行ってもいいと許可がおりたのだ。それはきっととても嬉しいことなんだろう。
ギギは振り返らず、そのまま扉を背に立ち去った。