二章 黄昏の女神と月の王
それからというもの、レンブラントの評価は急上昇だった。スルヤと一緒にいるので実際の変化もよくわかった。それはカーティスも同じなのだが、ふたりして必死に書類を作成しているところなど、そういえば養成所にいるときはあまり見なかった、と思う。よくこれで騎士になれたものだ。まあ、ふたりとも剣術はトップレベルだったが。
そんなある日。
ギギがなにげなく窓から外を見たとき、ふと、景色にはないはずの色が目に入った。
きらめくような赤い色だ。
なんだ、と思ったのは一瞬で、それはすぐに思い当たる。あれは、レンブラント髪の色だ。湖の近くに寝転んでいる……のだろうか。そばにスルヤやカーティスの姿はない。彼がそうしてひとりで日向ぼっこをしているのが、珍しいのかよくあることなのか、ギギにはわからなかった。
夕方、なにげなく昼と同じ場所から外を見て、さすがに驚いた。
昼に見かけたときと同じく、レンブラントが寝転がっているのだ。まさかずっとあそこで眠っているのだろうか。遠目にはちっとも動いていないように見えるレンブラントに興味をもって、ギギは歩き出した。
「レンブラントはここでずっとなにをしているんだ」
近づいて話しかけると。
「うわっ」
文字通り彼は飛び起きた。
「……びっくりしたぁ。ほんと、ギギは気配がないよね」
弱い日差しを反射してやわらかい鏡のように光る湖。それを背景に青緑色の騎士の制服をやや乱れさせたレンブラント。長い赤髪は光沢があり、顔立ちも中性的な彼がくたっと座っている様は、まるでそれだけで一幅の絵画のようだ。
ギギはあまり近づかず、かといって会話するのに不便ない程度の距離で、立ったまま女神の化身のような同僚を見返した。
「えーっと。なに? スルヤか誰かが呼んでた?」
「いや、そうじゃないが。ただ昼下がりに見かけたときから変化がないから、なにをしているのかと思ったんだ」
「お昼? 僕のこと見つけたのはお昼だったんだ。興味なさそうで見てるんだね」
ふうん、と少し感心したようにギギを見上げると、ふたたびぱたん、と倒れた。仰向けに寝転んで空を見上げ……指差した。
「月」
「……?」
その指の先に白い月を見つける。
「月って毎日違う場所に見えるじゃない。きっと法則があるんだろうなあと思って、暇があればこうして観測してるの」
月というのは夜に見えるものだと思っていた。見える夜と見えない夜があるのは知っているが……月の動きの法則? 考えたこともないな、と思う。
「スルヤも知らないっていうんだよね。騎士の養成所では教えてもらえなかったし。神殿には知ってる人、いるのかな」
ギギに話しかけているのか、それともただの独り言なのか、レンブラントは月を眺めたまま呟いた。
が、寝転がったとき同様、突然起き上がった。
「そろそろ戻ろうかな。今日は玄関掃除の当番なんだ」
「……サボらないのか」
「うわ、ギギって意外とひどいこと言うんだね。僕はカーティとはちがうんだよ」
たちあがってぱんぱんと制服をはたき、うんっと伸びをする。女神さまの目覚めは黄昏時、か。
「さてもどろう。ねえギギ、スルヤになにかきかれたら、僕は玄関掃除をしてたって言っておいて」
「……つたえよう」
そして互いに友人のつもりのないふたりは、それ以上の会話はなく、ただ帰るところが同じだから、ただ並んで歩いた。
「あ、ギギ。レンを見なかったか?」
夕食のあとスルヤが声をかけてきた。その隣にはカーティスがいる。
ギギはスルヤを見返し、考えた。
「……玄関掃除をしていた」
「いつのことだよ」
ギギの答えにスルヤが苦笑する。スルヤに聞かれたらそう答えろと言われたのだが、間違っていただろうか。
「……いないのか」
「うん? まあね、いないときは大概外で月の観察とか言ってるけど、今日は月がない夜みたいだしな。どこ行ったんだろう、あいつ」
「月……」
また、月だ。
レンブラントはそんなに月を見ているのか。いままで気付かなかったが。
「月の観測、なら」
ギギがぼそりと口を開くと、カーティスが奇妙なものを見る目でこちらをうかがった。あまり話したことのない騎士団員は、よくああいう表情でギギを見る。
「午後にやっていた」
「え、そうなのか」
スルヤがほっとした顔をしてから、まったく、とため息をついた。ひょっとしたら午後のあいだ姿が見えなくて、心配していたのかもしれない。
「ということはあとはどこかな。図書室かな」
「はあ? レンのやつ、図書室なんか行くのか?」
カーティスも初耳だったらしく目を丸くしている。いつも一緒にいる印象が強いが、さすがにずっと一緒ではないらしい。
「ああ。ここの図書室は蔵書が少なくて期待外れだって言ってたからな」
なるほど、と思う。ギギも図書室を利用したことはあるが、確かに調べ物をするつもりなら資料は少ないだろう。全体的にもだが、特に魔法に関する蔵書などはほぼ皆無だったことには驚いた。
筆頭騎士にその点をたずねてみたこともあるが、やはり苦慮しているらしい。渋い顔で頷かれた。
「ちょっとのぞいてくるよ」
スルヤが歩き出したのに、カーティスより先にギギが続いた。
「ギギ?」
「図書室、見に行く」
ぼそりと返事をするとスルヤはそうか、と微笑んだ。友だちを心配したことも、友だちに心配されたこともないギギは、なんだか複雑な気持ちで頷き返した。
友だちというものが、ギギにもいたら。
もっとなにか変っていただろうか、と。
同じ色の制服を着ることも嬉しいと感じられるのだろうか……と。
考えてみたけれど、やはりわからなかった。