三章 夢のかたちと恋の歌

 神殿での生活は単調でおもしろいこともなかったが、巫女さまのお話は聞いたことのないおとぎ話のようでそれなりに楽しかったし、みんなで一緒に歌を歌うのも初めてのことでちょっと楽しかった。
 ここでおぼえた歌を聞かせてあげたら、スルヤは褒めてくれるかな、と思う。
 それに神話に出てくる黄昏の女神は、幼馴染みのレンブラントのことかと思って初めて聞いたときは本当に驚いた。
 そんな生活が少し続いて、そして、……レンブラントが現れた。
 もちろん、本物だ。
 時々スルヤが来ているらしいことは聞いていたが、その日初めてスルヤとレンが神殿を訪れた。
 ……神殿は大変な騒ぎになった。いつもは静かな神殿なのだけれど。
 偶然ふたりを見かけたシルフィは、それだけで得した気分だったのに、周りのみんながレンブラントを見て息をのむのは、なんだかちょっとおもしろいな、と思った。
 当のレンブラントは……硬い表情をしていた。スルヤは穏やかな雰囲気で、目でも合えばすぐに微笑んでくれそうないつものスルヤだったけれど。
 ……ああ、そうか。
 ふたりを盗み見てシルフィは思い出した。レンブラントはいつもあんな顔をしていた。家から一歩出ると。
 レンブラントは美人だけど、美人って言われるのが嫌いで、だからいつも怒ったような顔をしていた。スルヤとカーティスとシルフィしかいない家では、いつもにこにこしていたけれど。
 思い出したら幸せに思うと同時に、とても寂しくなった。
 何十回、何百回と繰り返してきたことだけれど、シルフィは思わずにはいられない。どうして、あの時のまま四人で一緒にいられなくなったのだろう、と。
 シルフィはそれで奥へ引っ込まなければならず、そのあとの様子を見ていない。ただ噂で聞いたところ、やっぱりずっと怒ったような顔をしていたという。
 黄昏の女神が微笑まなければ、世界は平穏でいられない。女神は平穏も争いももたらすという。その表情、そのしぐさひとつで。
 だから神話に登場する女神そのもののような容姿のレンブラントが、ずっと仏頂面だったので、スルヤたちが戻ったあとも神殿のなかはレンブラントの噂でもちきりだった。
 その次のときは、レンブラントは来なかったらしい。スルヤとカーティスが来ていたのだけれど、人づての噂ではシルフィにはそれはわからなかった。
 レンブラントが来なければ来ないで、機嫌を損ねたのかと噂が飛び交った。レンブラントはレンブラントで、黄昏の女神じゃないのに、と思ったら、シルフィはなんだか噂なんかどうでもよくなってしまった。
 レンブラントが次の訪れたときはすぐにわかった。あっというまに噂が広がったからだ。皆が一目レンブラントを見に行くというので、シルフィも一緒に行くことにした。
 シルフィだって、レンブラントに会いたい。そこにいるのなら一目見ておきたい。話が出来なくとも、彼がそこにいてくれるなら、それで元気にしているのなら、シルフィは嬉しい。
 ……と、思ったのに。
 シルフィがそこについたときにはレンブラントはいなかった。かわりに今まで体験したことのないざわめきが、その場を支配していた。なにがどうしたんだろうと思っていると、シルフィの視界にその人が入った。
 いつも穏やかな表情が、ちょっと困ったように曇っている。それが見えてしまったら、シルフィには他のことはどうでもよくなった。皆がレンブラントの噂をしていようが、ここにレンブラントがいないのなら、そんなものシルフィにとって価値はない。
 少し様子を見ていたが、この場にいる唯一の騎士は誰かと話している、とかではないらしい。
 だからつい、我慢できなくなってしまった。
 そろそろと近づく。だれもシルフィの行動を咎めない。目の前に彼がいる。もう少しで、駆けよれば、手を伸ばせば、そこに。
「……スルヤ!」
 シルフィは、大好きな人の名を呼んだ。
 その瞬間、ざわついていた部屋が一瞬でしん、と静まり返った。さすがのシルフィもこれには驚いた。
 きょとんと周囲を見回すと、祭壇の上にいた五人の巫女さまが皆こちらを見下ろしている。どうすればいいのか皆目見当がつかず目を丸くしていると。
「やあ、シルフィ」
 優しい声がシルフィの名を呼んだ。
 嬉しくなってぱっと彼を見る。スルヤは穏やかに微笑んでシルフィを見てくれている。
 何を考えているかよくわからない巫女さまたちのことなんて、どうでもよくなって頭から消えた。
 スルヤがおいでと手招きをするので飛んで行った。
「スルヤ」
 その青緑色の騎士服にくっつきそうなほど近づく。
「久しぶりだね、シルフィ。神殿で会うのは初めてだよな」
「うん」
「元気にしてる?」
「うん」
 頷くシルフィに笑いかけてスルヤは頭を撫でてくれる。とても落ち着く。
「けどあいつもついてないなあ。今日に限ってシルフィに会えるなんて」
「それって、レン?」
 シルフィがこの場にいない幼馴染みの愛称を口にすると、部屋が再びざわめいた。けどスルヤが苦笑するだけだったので、シルフィも気にしなかった。
「レン、来てたの?」
「ああ、だけど怒って帰っちゃったよ。俺には監督と報告の義務があるからなあ……レンのやつは今日はお説教だな」
「……スルヤに?」
「いや、俺よりずっと怖い、筆頭騎士に、だよ」
 相変わらずスルヤは穏やかだけれど、そのわずかな表情の変化をシルフィは読みとって、少し声をひそめた。
「その人、怖い人?」
 するとスルヤが笑った。ぽんぽんと頭を撫でてくれる。
「確かにちょっと怖い人だけど、正しい人だよ。心配しなくても大丈夫」
「ただしい?」
「そう。レンやカーティや、それにシルフィが悪いことしたら、俺が叱るだろう? それでシルフィは俺が怖い?」
「ううん!」
 スルヤの言わんとしていることを感じ取って、首を振る。シルフィも、レンブラントもカーティスも、そんなスルヤが大好きだ。
「……スルヤ殿」
 その時、巫女のひとりがスルヤの名を呼んだ。シルフィがちらりと巫女さまたちを見上げると、すっとスルヤの背中が視界を遮った。
 呼ばれたスルヤが応えてなにか言ったが、シルフィには意味がよくわからなかった。ただ、シルフィはスルヤの背中を見つめていた。
 大好きな人は、変わっただろうか。遠くなっただろうか。
 スルヤもシルフィも、昔のぼろとはちがうきれいな服を着て、たくさんの人と一緒にいる。でもシルフィには今のことは夢みたいなもので、ずっとずっと昔、貧しい孤児院に四人でいた頃だけが、本当のことのような気がしてならなかった。