三章 夢のかたちと恋の歌
神殿の一番明るい広間で、シルフィたちはいつになくきちんと並ばされて、歌の練習をしていた。練習内容はいつもと同じなのだけれど、指導している巫女さまはなんだかそわそわしているようだった。なにより、いつものように癇癪をおこすことがなかった。怒ったかな、と思って首をすくめる娘もいる中、巫女さまはひとりで深呼吸なんかして落ち着こうとしている。
さすがのシルフィでも、気付いた。
なにか、おかしい。
けど、こそこそと隣の子と内緒話をしているのには、いつもどおり注意が飛んでいた。
歌っているときだった。きい、と軽い音がして扉が押し開かれた。歌の練習中に人が入ってくるなんてことめったにないので、誰もが視線を向けた。
……扉のところには、黄昏の女神が立っていた。いや。
(レン!)
シルフィにはそれが幼馴染みだともちろんすぐにわかった。その後ろからもうひとり、青緑色の制服が現れたのでスルヤかと思ったが、レンブラントやスルヤよりずっと背が高いようだ。
(あれは、カーティ?)
その後ろからさらに巫女がひとり入ってきて、そして扉を閉めた。今までそんなことはなかったけれど、今日は歌の練習を見に来たらしい。王宮の人なら来たことがあるけれど、騎士団がどうしてだろう、とシルフィは思った。けど、考えるのはやめた。そういう複雑な関係とかは、自分なんかが考えてもわかるはずがない。
叱られる回数が少ないだけで、練習はいつも通り行われ、終わった。巫女見習いの女の子たちはざわざわと私語を交わしながら、視線をちらちらと騎士のふたりに向ける。
「サミュエル」
そのとき巫女さまが、見習いのひとりの名を呼んだ。シルフィが、一番歌が上手いと思っている娘だった。
「エニタ」
それから今度は、多分一番美人だと思われる娘。美人だけどシルフィはエニタと話すのはちょっと苦手だ。
「シルフィ」
続いて自分の名前が呼ばれたとき、シルフィは咄嗟にそれが自分だとわからなかった。どうして呼ばれたのだろう、自分が?
他の女の子とたちが出て行って、三人と、巫女さまふたりと、騎士のふたり、という見たことのない組み合わせが広間に残った。
やっぱり……シルフィはついでのような感じだ。難しいことはわからないけれど、雰囲気で読みとることはできる。巫女さまは、サミュエルとエニタに歌の指導を始めたが、シルフィには声をかけようとしなかった。
ちらり、と騎士のふたりを盗み見ると、気付いたカーティスがウインクして返した。
……もう、どうでもよくなった。
シルフィはカーティスに微笑み返す。ここへきてから残念なのは、カーティスとおしゃべりできなくなったことくらいだ。この前のスルヤみたいに、ふたりが帰る前に話せるといいな、と思う。無理かな。
一通りの歌の指導をこなすと、巫女さまはレンブラントに向き直った。
「いかがでしたか」
シルフィの見たことのないような笑顔で話す巫女さまは、レンブラントしか見ていない。カーティスも呆れたように一歩下がっている。へんなの、と思う。確かカーティスに聞いた話だと、スルヤは先輩になるからちょっとだけ偉いけど、レンブラントとカーティスは同じ、なんじゃなかったっけ?
「……レンブラント殿?」
巫女さまが、呼びかけた。それでシルフィは、幼馴染みを見た。レンブラントはどこか放心したように突っ立っていた。
あれ、と思う。シルフィはあんなレンブラントを見たことがない。
「レンブラント殿? どうなさいました?」
巫女さまが呼びかけても反応しない。
シルフィは、少し驚いてカーティスを見た。するとカーティスと目があったが、カーティスも困惑した顔だ。カーティスにわからないのに、シルフィにわかるはずがない。
「おい、レン? どうした?」
カーティスが隣に並んで腕をつついてみるが、やっぱり反応なし。
レンブラントが、おかしい。
ふたりの巫女さまはおろおろし始めた。怒らせてしまったとかなんとか言ってるけど、レンブラントはきっと怒っているんじゃない……と思う。
それに神殿と騎士団って所属が違うから単純に比べられないけれど、レンブラントが巫女さまより偉い、てことはないよなあ、なんて思う。おかしな話だ。
「レン? だめだこいつ。心がどっかいってやがる。おい……シルフィ!」
カーティスが呼んだ。
「ん?」
だからシルフィはつい、自然に返事をしてしまって、巫女見習いの仲間であるふたりにとくと見られてしまった。
けれどカーティスはそんなこと気にもせず、シルフィを手招いた。
「おまえ、ぼーっとしてんな。こっちに来てレンを呼び戻せよ。おまえの声なら聞くかもしれねーからさ」
「んー」
シルフィが呼ばれるままに一歩踏み出すと、今度は巫女さまがそろってシルフィを見た。
そこではじめて勝手に返事をしたり動いたりしては駄目だったかな、と足を止める。神殿にはそういう決まりがたくさんある。
「あー、もう、いいから。シルフィ、こっちに来てレンを呼べって。俺が許すっ!」
カーティスがわめいた。
カーティスって実は偉いのかな、なんて見当違いなことを考えつつ、シルフィは頷いてレンブラントの前まで進み出た。
「レン?」
呼びかけてもレンブラントはぼーっとどこかを見ている。
ちら、とカーティスを見ると、いっちゃえ、と言われた。いっちゃえ、って……。
シルフィは手を伸ばして、レンブラントの服を掴んだ。そういえばこの騎士の制服に触れるの、初めてだなあ、と思う。両手でレンブラントの服を掴んで、ちょっぴり背伸びをするようにして、レンブラントの顔の下から覗きこんだ。
「ねぇ、レンっ」
「えっ?」
シルフィの声に、ぱちっとレンブラントが瞬いた。それからすぐにシルフィを見下ろして、とろけるように微笑んだ。
「ああ、シルフィ」
すぐに、というかやっとというか、しがみつくような格好のシルフィを見つけて、抱きしめてくる。
「さっすがシルフィ。レンが目ぇ覚ましたぜ」
シルフィに頬ずりしそうな勢いのレンブラントに、カーティスが呆れている。
「ん、レン、目、覚めた?」
「うん? なに?」
「なに、じゃねーよ、おまえ」
なんだか、懐かしいと思った。
レンブラントがシルフィに甘いのは昔からで、カーティスにわざととぼけるようなところもあって、三人でよくじゃれあったものだ。スルヤはそれを笑ってみていたり、ほどほどにしろよとたしなめてくれたりしていた。そんな頃のレンブラントとカーティスと一緒だと思った。
「あー、こほん」
だから、カーティスが咳払いなんかした意味が、シルフィにははじめよくわからなかった。
「すみません、こいつ……レンブラントはちょっと、あの……」
それから巫女さまに向かってカーティスが取り繕おうとしているのだと気付く。レンブラント、なんて名前を口にするのを久しぶりに聞いた。シルフィが思わず微笑むと、カーティスが苦い顔をした。
それからカーティスは上手く話せないふうだったのに、巫女さまが勝手に納得したみたいで、カーティスがほっとする。と今度は、レンブラントをひっぺがしにかかる。
「そんで、レン! おまえいつまでシルフィにくっついてんだよ。いい加減離れろ」
「えー、いやだよぅ」
「甘えてんじゃねえよ」
「なんだよ、カーティだって羨ましいくせに」
「おまえなぁ! ああ、そうだよっ! だから離れろっ!」
「素直なんだか素直じゃないんだか」
やっとレンブラントの腕が、しぶしぶとシルフィから離れて、そのとき一瞬カーティスの手がシルフィの頭を撫でた。
シルフィはふたりの幼馴染みを見上げて、微笑んだ。
こんな手の届くところにふたりがいるなんて、とても嬉しい、と思った。
スルヤのいうとおり、ここに来てよかったな、と思った。