四章 真昼の月と黒の姫

 からん、という軽い音がして、木剣が転がった。
 アジュールは静かに自らの木剣を下ろし、じろりと部屋の中を見回す。
 十数人の新人騎士たちはそろってびくりと背筋を伸ばし、たいして歳の違わない筆頭騎士に敬礼した。
 蒼い瞳の騎士は、形だけの敬礼で答えて、さっさと部屋を出て行った。


 騎士と認められる十五歳を迎えると同時に、アジュールはすべての段階を飛ばしていきなり筆頭騎士になった。
 たかが十五歳の若造……と古参の騎士は思っただろうが、アジュールは何も言わず、ただ剣だけですべてを黙らせた。
 アジュールの剣に勝てる騎士がいなかったのだ。国王直属の騎士団であるにもかかわらず。
 そしてアジュールが筆頭騎士になってはじめてやったことは、騎士養成所をつくることだった。
 王宮、大神殿と並んで立っていた古ぼけた、けれどやたら広い騎士団の建物を、なんと騎士たちを一時追い出し、近くの村の男たちに呼びかけ手直しさせた。手伝いに来た者たちにはもちろん報酬が支払われた。それはすでに国家事業だった。
 そして次に国中に人を飛ばし、見込みのある少年をかき集めた。子どもはみるみる集まった。
 今から十五年前、養成所を作ったときからすると十年前、この国は大飢饉に見舞われた。
 当時のことをアジュールは子どもながらに憶えている。その飢饉の年には子どもだけでなく死者がそこらじゅうに転がっていたという。
 現在この国にある孤児院は、ほとんどそのときに作られたものだと聞いたアジュールは、それだ、と目をつけた。
 あのとき親を失い、かろうじて生き延びた子どもたちが、十歳を迎える。
 養成所を思いついたのは、その話を聞いたときだった。
 養成所を開いてから五年、最初の二人の騎士が誕生した。それから数は彼らが十五の誕生日を迎えるごとに少しずつ増え、ようやく十数人を数えるところまできた。
 五年かけて十名とは効率が悪いと、あからさまな陰口も聞こえてはきたが、使いものになる騎士が十名も増えたのだから、この五年は無駄ではなかった、と思うのだ。
 ここには使えない騎士が多い。
「アジュールさま」
 名を呼ばれて立ち止まる。
 前方からずいぶんと気配を感じさせない少年騎士が歩いてきた。
 養成所出身第一号の新人騎士だ。さきほどの演習の途中に用事を言いつけられて退室していた。
「ギギか。なんだ」
「アジュールさまにお客さまです」
 形式通りの礼をすると、先導するように歩き出した。
「客? どこから?」
「……わかりません」
 アジュールは眉をひそめた。
 筆頭騎士である自分のもとには、王宮や神殿から頼みもしないのに使者がよく訪れる。そういうときもギギのような新人騎士が使いに寄こされるから、アジュールのたずねた意味は彼にはわかっただろう。どこから、とたずねたのはそういう理由からなのだが。
「では、だれだ?」
 まわりくどいのは面倒なので、ど真ん中をたずねた。
 それにたいして、人間らしさを生まれたときにどこかに忘れてきたようなギギは、誤魔化すことなく知っていることを口にした。
「見かけない黒い、どこかの制服らしいものを着た女性の方です」
「女? 神殿の巫女ではないのか?」
「ちがうと思います」
 ギギがそういうのなら、そうなのだろう。
 ならばなおさら……だれなのだ。
 意味がわからない、と思って早足に、古ぼけた床板をぎしぎしと鳴らしながら歩いて行った。

 扉をあけると、部屋の中は異様な雰囲気だった。
 いつも口先だけはやかましい古参の騎士たちが青白い顔でアジュールを振り向いた。彼らが自分に助けを求める視線を寄こすなんて珍しいな、と思ったが、もちろん顔には出さない。
 アジュールは冷静に部屋の中央に目をやり、客人だというのに椅子にかけもせず、この空気を支配している娘を見た。
 ……それは年若い娘だった。
 アジュールより若いかもしれない。
 だが明らかに訓練を受けたであろう隙のない雰囲気で立っていた。
 なるほど、廃れた我が王宮や神殿の巫女ではないだろう。
 そして、黒い制服。
 胸の徽章がある。どこかの組織に所属している証だ。
 そして王国の国紋は、ない。
「ほう」
 アジュールは思わず感嘆の声を呟いた。
「こんなふうにそちらから姿を見せるものなのだな」
 アジュールの発言に老騎士が目を剥いた。伊達に長くは生きていないようで、彼女が何者なのか知っているのだろう。アジュールよりは、正確に。
「我が国にどんな用かな、黒の姫?」
 さらりとアジュールが言うと、彼女は作ったように口許を笑ませた。
「……この国で話がわかるのは、筆頭騎士殿ただひとりだ、と聞いたので、参上した」
 彼女が、口を開いた。
 部屋が揺れたかと思った。
 さすがにアジュールも、彼女が直接そんなことを言うとは予想外で驚かされた。
 完全に腰を抜かしている老騎士は、明日らからますます役に立たないだろうな、と頭の隅で考える。
 はあ、とアジュールは溜め息を吐いて合図をした。
 おそらくこの部屋の状況を理解していないだろう新人たちを呼びつける。
「ギギ、スルヤ。今からすぐにここから俺の執務室までの廊下の人払いをしろ。俺に睨まれたくなかったら、しばらく近寄るなと言っておけ」
 アジュールが命ずるとふたりはすぐに部屋を出た。
「さて、黒姫さま。お話は場所を変えてお願いしましょうか」
 アジュールの言葉に、客人はまたも、作り物のような笑みを浮かべた。