四章 真昼の月と黒の姫

 養成所からは笑い声が聞こえてくる。その部屋にいる少年たちは、十歳から十二歳くらいの幼年組だ。
 彼らが主に教わるのは剣の使い方と馬の手入れの方法、それから礼儀作法を含めた国への絶対服従の姿勢だ。
 歴史や地理の時間もあるが、あくまで大雑把なもので、それよりも文字の読み書きや計算といった基本を先に習わなければいけない子どもも多い。
「あ、アジュールさま!」
 大人や、あるいは年長組になるとアジュールのことを怖い人だと認識する人がほとんどだが、幼年組の中にはアジュールの無言の雰囲気が読みとれず、なついてくる子もいた。それは騎士の素質としてはどうなんだろうな、と思うこともあったが、まあここへ送られてきた子どもがすべて騎士に向いているかというと、そんなはずもないので仕方ない。今度はそういう子どもたちの行き場をつくってやらなければ、と思う。
「アジュールさまってば!」
 再度呼びかけられて、アジュールはようやくその子どもに目を向けた。
 いかにも元気いっぱいで人懐こそうな少年だ。
「……なんだ」
 そして怖い筆頭騎士は、相手が子どもだからといって態度を軟化させるなんてことはしない。
「黒姫さまってどこから来たのかなあ? 知ってる?」
 そして少年の口から出た単語にぎろりと目を吊り上げた。
「どこから来られたのか、だ。言いなおせ」
 容赦ない指摘に、さすがの少年もすこしたじろいで言いなおした。
「黒姫さまはどこから来られたのか、アジュールさまは知っておられるんですか?」
「……ちゃんと言えるじゃないか。さあ、知らんな。おまえが聞いてみたらどうだ?」
 この少年は、とアジュールが記憶を探る。持ち前の性格で、騎士団の大人たち誰とでもこんなふうに会話が出来る、ある種貴重な人材といえた。それはあの黒姫も例外ではなかったようだ。まるで無邪気な少年と、まるで人形のような娘がどんなふうに会話するのか、アジュールにはちょっと想像できない。
「うーん、それがきいてもはぐらかされちゃって」
「だろうな」
 アジュールは……それについては少し想像がついて、少し頬を緩めた。
 作りもののような表情。口を三日月の形にしているだけの顔。
「でも黒姫さまってこの国の人ですよね?」
 さも当然のように続いた発言に、アジュールは少年を見返した。
「……なぜそう思う?」
「黒姫さまはどこから来たのってたずねたら、遠くの国からだって答えてくれたけど、あの人、ここより北の人だよなーと思って」
「北? セグーン帝国か?」
「そこまではいかないと思うんだ。顔とかこう……この国の湖より北の地域の人と似てる。違うのは髪の色だけだよね」
 うんうんと自分の意見に自ら納得している少年は、十一歳らしいのからしくないのか。
「あ、そうだ、アジュールさまと似てるんだ! アジュールさまも湖の北側の人でしょう?」
 そのとおりだった。
 この国の街や村はほとんどが湖の南側にあり、北側にはあまり人が住んでいない。
「……よく知ってるな。なぜ知っている?」
「うん! オレ、なんか人の顔って種類があるよなーって思ってたんだけど、話をしてたらそれが住んでるところと重なるから面白いなーと思って。そしたら今度は当てるのがなんか面白くってさ!」
 だから、この少年はすぐに人に話しかけるのか。新しく来た少年に一番に声をかけるのはいつも彼だ。納得する。おもしろい……特技だ。
「ところでおまえ、その黒姫殿がどこにおられるか知らないか」
「うん、アジュールさまがそろそろ戻ってこられるからって執務室へ行かれたよ」
 あっけらかんと言われてアジュールは額を押さえた。
「黒姫が俺を待っていると知っているのに、おまえは俺を引きとめたのか」
「うん? えーと、うーんと、えへへ」
「まったく」
 笑ってごまかす少年に溜め息をついてアジュールは歩き出した。二階の東の角部屋が執務室だ。己の部屋に入ると少年が言ったとおり、黒姫がひとり座っていた。
「待たせたな」
「いいえ。おかえりなさいませ」
 ずんずんと入って彼女の向かいに座る。するとアジュールの表情からなにかを読みとったのか、黒き娘はわずかに目を細めた。
 彼女がアジュールを訪ねてきてから三日。話を聞くかどうかはおまえの態度で判断する、と不遜に言い放ったアジュールにあっさり了承し、彼女は騎士団にとどまっていた。
「……なんだ」
「いいえ。ご機嫌斜めですこと」
「ふん! まったくだ」
 アジュールは足を組んでソファに背を預けた。肩までの髪が後ろに流れる。色素の薄い金と銀の中間のような色は、この国では珍しくもない。
 ちらりと黒姫の表情を盗み見るが、彼女が目を細めたのは一瞬で、もう元に戻っているように思う。あれは……彼女なりに笑ったのかもしれない。相変わらずの表情が、今日はそんなふうに見える。
「王宮の方々はなんと?」
「そんな得体のしれないやつは捨て置けだと」
 むすっとして答えた。
 アジュールは彼女がここへやってきた理由は王宮へこそ伝えるべきだといって、たった今直々に奏上がかなったところだったのだが、誰もが黒姫という存在を恐れて、アジュールの話は受け入れてもらえなかったのだ。
「国の行く末に関わる一案件だというのに! 議論しようと思うものがひとりたりともいないとは情けない!」
 アジュールがわめくと黒姫は少し……微笑んだように、見えた。
 が、アジュールが彼女の顔をちゃんと見たときには、またいつもの表情に戻っていた。それがもったいない、と思えて、どうしてそう思ったのかわからず混乱した。
「わたくしが初めに言ったとおりでしょう? この国には話ができる相手は貴方しかいないのです。お茶でもお淹れしましょうか?」
「いただこう。しかしどうしておまえたちは俺のことを……そう評価している?」
「だって本当のことではないですか」
 立ち上がってお茶の用意をする黒姫の動作は手慣れていた。周囲の用意する食べ物は茶を含めて一切口にしないが、彼女自身が淹れたお茶なら彼女も一緒に口にする。なのでアジュールはその作業を彼女にさせることにした。
 間もなく運ばれてきた茶に、いつも自分が淹れるものと同じ葉なのに、淹れ手によってこうも味が変わるのかと毎度感心する。
 なのですっかりアジュールは自分で茶を淹れることがなくなってしまった。
「おまえたちは……いや、おまえは、この国のことを憂いているのか?」
 さっきの少年の言葉が脳裏に浮かんだ。彼女はよそ者ではなく同胞なのか。
 けれど。
「いいえ」
 茶器から顔を上げた彼女は、なんの迷いもためらいもなく否定した。
 あまりにもあっさりしていたので、一瞬否定だと気付かなかった。
「この国の行く末など、わたくしたちには関係ありません」
 そしてあまりにもはっきり拒絶され、アジュールは次にたずねようとしていた言葉を、失くしてしまった。