五章 星の流転と剣の行方
黒姫、と呼ばれる異国風の女が、訪れたとき同様、あるいはそれ以上に唐突に消えた。
いや、もちろん筆頭騎士からはあの人は仕事が済んだので帰ったのだという説明は受けたのだが。
歩いていると廊下の窓際に立って空を見上げているレンブラントを見つけた。
そうっと近寄って、わっ! と声をかける。
「うわぁ!」
「ぎゃははは! おどろいてやんの! おまえは古典的なのに引っかかるよなあ!」
「うるさいなあ。そんな古典的なことをするのはカーティだけだよ」
本気で鬱陶しそうするレンブラントに、うっせーと笑い返して、カーティスは窓から空を見上げた。
そこに月はなかった。
「あれ? 月を見てたんじゃないのか」
「まあね。しばらくは昼のあいだ月は見えないよ」
レンブラントが得意そうに二、三度頷いた。
カーティスは青い空から目を戻し、黄昏の女神のごとき幼馴染みの顔を見た。
子どものころはまるで美少女だったレンブラントは、成長してれっきとした美少年になった。
剣の稽古をして、一応馬にも乗れるようになって、騎士の制服をと剣を授かっても、まだ黄昏の女神のようだと噂される。
美人と言われるのが当人はひどく嫌いで、子どものころは怒っていたけれど、最近は無視することにしたらしい。
大人になったというか、諦めがついたというか。
ふーん、と適当に相槌をうち、ふらっとカーティスが歩き出すと、レンブラントはついてきた。だからカーティスは話を続ける。
「どうせあの黒い女に聞いたんだろ」
「うん」
やや棘のあるカーティスの口調など気にした様子もなく、レンブラントはまるで無邪気に頷いた。
「だってあの人詳しかったんだよ。ぼくはもっと魔法のこととか聞きたかったな」
「うへぇ」
目を輝かせるレンブラントに、カーティスはうんざりした。
確かにあの人は、すごいと思う。
なんだかいろいろ知っていて、レンブラントの質問攻めにも表情一つ変えずにすらすら答えていた。
月の運行のこと、少しだけきいた魔法のこと、それから騎士や見習いの連中が興味のままにたずねた地理も、戦争の歴史も、いつもすらすらと答えた。
その淀みない口調と、なによりもそのぴくりとも動かない表情が、カーティスには不気味で仕方なかった。
そのことを、記録用の帳面を抱えて彼女を見つけては飛んでいくレンブラントを横目に、こそっとスルヤには言ったのだけれど、模範的優等生のスルヤは困ったような苦笑をして、まあ、カーティスの言うこともわからなくはないよ、と告げるにとどめた。
そんなことでスルヤを困らせても仕方ないので、話題にしたのはそのときくらいだった。
あの数日はまるで夢だったかのように、彼女がいなくなるとあっという間に日常はもどってきた。
歴史や地理の講義は見習いから騎士にかわったからといって面白くなるわけもなく、剣の稽古では相変わらず怖い筆頭騎士にしごかれた。
たまに行く神殿で、たまにもうひとりの幼馴染みのシルフィを見かけることがあって、最近ではそれが一番の楽しみだ。
ま、シルフィはガキのころからスルヤが好きで、カーティスのことはおまけのように思われているフシがなくはないが、それも言ってしまえばむかしからだ。いまさら傷つくことではない。……ヘコむけど。
かと言ってレンブラントのようにほかにいい娘を見つける、なんて兆しは、いまのところ、ないし。
「カーティス、レンブラント」
ぶらぶら歩いていたら廊下の前方から、二人の名を呼ぶ声がして、その声に反射的に背筋を伸ばした。
……伸ばした、というよりは伸びたというほうが正しいか。
嫌っているわけではまったくないのだが、畏怖というか、無条件の絶対服従に近い。
「はっ!」
敬礼するとレンブラントと自然に声が重なった。
ふたりの前に現れた冷たい灰青色の瞳の筆頭騎士が軽く返礼する。
「ちょうどいい、スルヤとギギを呼んできてくれ。それから一緒におまえたちも来い」
「は、はいっ!」
カーティスの返事がやや上擦る。一緒に来いなんていわれたのは初めてだ。
「アジュールさまの執務室でよろしいのですか」
まったく同じ立場のはずのレンブラントは、けれどまったく動揺したふうではなく、カーティスは内心くそっと思った。
レンブラントに負けるのだけは、なんだかいただけない。
「ああ」
「了解しました」
頷いて早足に立ち去る筆頭騎士にレンブラントが答える。と、ぱっと振り返った。
「行くよ、カーティ。ぼーっとしないで。スルヤはどこかな」
さっさと歩き出したレンブラントを慌てて追いかける。
カーティスとレンブラントは、ほかにも大勢いる仲間同様、孤児だ。偶然近くで拾われ、偶然同じ孤児院で育てられた。幼馴染みであり、兄弟みたいなものだ。
だからだれも正確な誕生日はわからないけれど、あきらかに少し年上のスルヤ以外の三人……カーティスとレンブラントとシルフィだ、は、上下関係なく育ったはずだ。特にカーティスとレンブラントは、一緒に騎士養成所に入ったし、騎士になったのも同時だった。カーティスがレンブラントに勝っているのは身長くらいで、カーティスがレンブラントに劣っているのは容姿のほかにないはずで、そして美人であることを嬉しく思っていないレンブラントだからこそ、ふたりの間にはなんの問題もなかった。
だからこそ、負けられないのだ。
なにが、といえば、なんでも。
「……あ、あれ!」
「なに?」
カーティスは思わず声を上げた。窓の外を指差す。
「あそこ、いま、ギギのやつが……」
「急いで捕まえるよ!」
「あ、こら、先に行くな!」
先を競うように走り出す。
そしてレンブラントがいてくれるから、カーティスは並んでいられるのだと、絶対絶対口にはしないが、いつも心の中では思っているのだ。
認めたくないけれど、たぶん、きっと。