五章 星の流転と剣の行方

 そう、人には得手不得手がある。
 カーティスは剣術にはちょっと自信がある。四人の中ではたぶん、一番だ。
 スルヤにもレンブラントにも、一本取られることはあるけれど、総合的に言えば、だ。
 一番得意だと思う。
 その辺の些細な技術差はまあ、さておき。
 カーティスは馬術が苦手だ。
 だって相手は生きた馬だ。道具じゃない。
 あれに乗ったままになにかする、とか、ありえないだろ、と思う。
 ルイス王国は国としては歴史があるし、騎士団も由緒あるもの……らしいのだけれど、残念ながら裕福ではない現状では、騎士団の整備が物足りないのも仕方ない……らしい。
 全部、受け売りだ。
 カーティスはここの設備を物足りないなんて思ったことはないのだけれど、さすがに小規模とはいえ世界情勢にかかわる視察団だというのに、馬をケチられるとは思わなかった。
 もちろん、カーティスは馬が苦手で、決して馬に乗りたかったわけではない。それはたぶん、レンブラントも同じだろう。
 でも、ここからウィンダリアに行く四人に、馬二頭ってのは間違ってる、と思う。
 それだけしか貸せない、といわれたときは、さすがにスルヤもギギもぽかんとしていた。
 とはいえ、そういわれたらわかりましたとしか答えられない新米なんだけど。
 地図上ではウィンダリア王国とルイス王国は国境を接している。
 まあ、大きさはずいぶん違うのだが、隣国、おとなりさんというわけだ。
 はるか昔に人間が定めた国境など知ったことかと言わんばかりに、森は両国をまたいでいる。
 カーティスたちが育ったあの森も、遠くはウィンダリアまで続いている一部なのだ。
 けれど、ふたつの国に国交はほとんどない。
 両国をつなぐ街道すらない。
 あるいは国境近くに住む人々には通っている道があるのかもしれないが、視察団が行く道ではない。
 任務で行くとなると、アンデルシアを経由して行く道程となる。
「練習だと思っておまえら乗れよ」
 乗馬が苦手と知っているスルヤがカーティスとレンブラントを馬に乗せて、まるで新人指導のようにスルヤとギギがその手綱を引いた。
 俺はガキじゃねえ、かっこわりぃ、と思って実際文句も言ったのだけれど、歩いていくと急に馬が機嫌を損ねて悪戦苦闘して、横からあっさりギギが収めてくれる、なんて場面は、カーティスとレンブラントが交互に演出していた。
 したくもなかったけど仕方がない。
 俺のせいじゃない、馬のせいだ、きっと。
 そうしてルイス王国騎士団のささやかな視察団は、馬を引きつつ国を出発した。


 アンデルシア王国は、光の王国と呼ばれている。
 森の王国とか、湖の王国っていうと見てわかるが、光の王国って何だよ、とカーティスは思っていた。
 なにが見えるわけでも、なにがあるわけでもない。
 国境を越えるところにはアンデルシア兵卒がいて、少し緊張したけれど、四人が騎士の格好をしているのでなにも言われることなく通過した。
 カーティスは生まれて初めてアンデルシアに踏み込んだ。
 そして……はじめて知った。
 これは、他人に説明しろと言われても無理だ。
 言葉でなんというのかわからない。
 でもここが光の王国なんだ、とわかった。
 それくらい曖昧で、明確だった。
 ルイス王国も美しいと思っていたが、この国は……ただなんでもない街道なのに世界がきらきらしている感じだ。
 不思議だ。
 これが光の王国、世界最大の王国、誰もがあこがれうらやむ王国。
「……う、わっ」
 急に馬が動いたので、カーティスは振り落とされそうになった。
「おい、カーティス」
 すぐに気付いたスルヤが馬を押さえてくれる。
「おまえなあ。下手くそな自覚があるなら、ぼーっとするなよ」
 怒ったふうに言うけれどあれは呆れているだけなのだと知っているから、ごめん、と急いで謝る。
 確かにぼーっとしていた。
 見ればスルヤとギギが地図を広げている。レンブラントもそれを覗き込んでいる。なのでカーティすもよいしょ、と馬から滑り降りた。
「……おまえいま、子どもみたいな降り方したな」
「う、見たな」
 すぐに指摘してくるスルヤに、まるで叩けば消えるかのようにぱたぱた手を振って誤魔化しながら、レンブラントに並んだ。
「いま、ここだ」
 もう、と、やっぱり呆れているスルヤを無視して覗くと、ギギが指で示してくれた。
「おう」
「ルイスから、こう来たんだ。それからウィンダリアに向かうなら、こうだな」
 ギギが地図を指で辿る。ふんふんとカーティスとレンブラントが揃って頷く。
「アンデルシアはあっさり入れたけど、ああいうものなのか、普通?」
 となりに立つ兄とも慕う先輩騎士を見上げてカーティスは聞いた。
 背はカーティスのほうが高いのだけど、ついスルヤを見るときは、見上げるように見てしまう。
「ルイスとアンデルシアの国境は、ここ数年の交流から行き来が自由になっていると聞いたよ。俺たちは騎士団の格好をしているからね」
 そんな話は聞いたことがなかったが、まあ、スルヤはあのアジュールさまの側近をやっているから、そういうことも知っているんだろう。
「それもやっぱりアジュールさま効果?」
 レンブラントが話に加わってきた。
「ああ、そうだよ」
 アジュールさま効果、か。
 頷くスルヤにカーティスとレンブラントちらりと目をかわした。
 やっぱり、という感じだ。
 あの人は、すごい。
 ひとりでこの国を変えてしまいそうだ。
 大げさではなくそれが出来る人なんだろうと思う。
「……スルヤ」
 地図を持っていたギギが、こちらに声をかけた。
 そして三人が振り向いた先で……ギギは地図なんか見ていなかった。
「どうした?」
 普段から無口で無反応っぽいギギだけれど、そのときは様子がおかしいと、さすがのカーティスでも気付いたくらいだから、スルヤなんて気付いて当然だろう。
「ルイス……」
 ぽつり、とギギがその名を口にした。ルイス、それは自分たちの王国の名。
「ルイスがどうかしたのか?」
「サグーン……」
 ぽつり、とギギがもうひとつ口にした。サグーン、それは北の軍事大国の名。
 森の王国ウィンダリアを滅ぼしたという、国。
「サグーンがどうしたんだ?」
 スルヤが真剣な顔でギギに問いかける。反応の薄い彼の腕を掴む。
 スルヤの焦ったような顔も、ギギの人形みたいな態度も、カーティスとレンブラントにはちっとも意味がわからずにいると。
 混乱は遠くからもやってきた。
 アンデルシアの街道とはいえ、かなり辺境であるこの辺りは、そんなに人の往来もなく、どちらかというと人も荷馬車ものんびりと歩いていたのだが、四人が来た方向とも行く方向とも違う、アンデルシアの中央方向から馬が走ってくるのだ。
 規則正しい馬足だが、相当急がせて走っている。
 訓練のときにはあんなに早く走らせたことなんてない。
 何事だろう、と目をやると。
「……黒姫さま?」
 レンブラントが、ぽかんと言った。
「はあ?」
 思わずカーティスは幼馴染みを見返し、それからもう一度、今度はじっくりと、遠くから迫り来る早馬を見つめた。
 かくしてそれは、……黒姫だった。
 黒の制服、黒の長い髪、乗っている馬まで真っ黒だ。
 世界中に何人もいるはずの黒姫。
 けれど自分たちが知っているのはたったひとり。
 それが祖国ではなくアンデルシアの辺境の、言ってしまえば道端で出会うなんて。
 只事ではないなにかを感じて、カーティスは知らず、ごくりと生唾を飲み込んでいた。