五章 星の流転と剣の行方

 女性が乗って操るにはやや大きすぎる、と思われるその黒毛の馬は、砂埃をあげながら、カーティスたち四人の前で止まった。
「黒姫さま……ああ、やっぱり黒姫さまだ」
 この正体不明の女性にやたら懐いていたレンブラントは、迷わず黒姫に近寄ったが、向こうはあっさりこれを無視した。
「あなたがた、ルイス王国へ戻るところかしら」
 馬上から訊ねられる。
 スルヤがすぐに答えた。
「いいえ、わたしたちはこれからウィンダリア王国へと向かうところです」
「それはかの国が滅びたという噂の真相を確かめるために?」
「はい、そうです」
 スルヤの返事に黒姫は、少し考えるような顔をしたが、すぐにこちらを見下ろした。
「あなたがた、たしかアジュールさまの一番弟子でしたわよね」
 そういって黒姫が四人をぐるりと見渡したので、カーティスはぎょっとした。
 レンブラントが慌てて両手を振って訂正する。
「アジュールさまの側近なのは、スルヤとギギのふたりです、黒姫さま」
「あら、そう」
 カーティスとレンブラントの動揺など知らぬふうに、黒姫は頷いた。
「いま、アジュールさまのおそばには、どのくらい味方がいるかしら」
「は?」
 カーティスは、思わず聞き返してしまった。
「どーゆー意味だよ、そりゃ。アジュールさまはルイスの騎士団におられるんだ。敵なんかいねーよ」
 カーティス、とスルヤが押しとめる。
 不敬だとでも言うのだろうか。どうして? この女はルイスとも騎士団とも直接はなんの関係もないはずだ。
「そうですか。騎士団の皆さんは、アジュールさまの味方なのでしょうね」
「ったりめーだ!」
「では、ルイス王国の王宮は? 急速に立て直しがなされ、力をつけ、統率の取れてきた騎士団を、王宮はどう思っているのか、皆さんご存知?」
 かわらない表情で、さらりと紡がれた言葉。
「黒姫さま」
 スルヤが、いつもとは違う厳しい声音でその呼称を口にした。
 黒姫の、その少しも感情が読み取れない顔が、瞳が、高いところからスルヤを見下ろす。
「それは……アジュールさまが、危険ということですか」
「あの方はずっと、危険でした。王族と、その周辺の人々にとって」
「それは……!」
「正しい人が、必ずしも正義になりうるとは限らないのです」
 黒い人はきっぱり言った。
 不気味な女とは思っているが、理由はよくわからないのだけどとりあえず、この人がアジュールさまの味方であることだけは周知の事実だ。
「黒姫さま、それではウィンダリア王国が滅びたという件は、偽の情報なのですか」
 スルヤはすぐに落ち着いた声を取り戻した。
 なんだかよくわからないが、とりあえずアジュールさまが危険らしい、くらいしか読み取れなかったカーティスは、スルヤの声に集中する。
 こんなところで話に乗り遅れるわけにはいかないのだ。
「なぜです?」
「わたしたちをルイスから追い出すための偽情報だったのでしょうか」
 カーティスはぎょっとした。
 が、黒姫の態度はまるでかわらない。
「あなたがたが脅威になるかといえば、否。アジュールさまのそばに置いておこうが引き離そうが、国の中枢からすれば孤児の少年の数人、どうということはないでしょう」
 たぶん、まったくそのとおりなのだが、四人の少年たちは少しばかり傷ついた。と同時に、ちょっと怖いかも、と思った。
「ウィンダリアが滅びたというのは事実です」
 出し抜けに言われて四人は再びぎょっとした。
 かわらないのはただ、この黒毛にまたがった凛々しい黒の姫だけだ。
「けれどいま、この状態でわたくしが心配しているのは、サグーンの動きです」
「サグーン……」
 ぽつり、とギギが呟いた。
 黒姫がギギに目を向ける。
「あなたには星が見えるのでしょう? 三大星にして北の暴星が、いま激しく燃え盛っていることが」
「サグーンの星……青い星。飲み込む……」
 なんだか意味のわからないことを言われて、カーティスはレンブラントと顔を見合わせたが、互いに首を傾げるだけだった。
「サグーン……ウィンダリアを滅ぼしたのはサグーンでしたね」
 スルヤが確認するように言ったが、答えを求めているようではなかった。
「ウィンダリアとルイスは隣国、サグーンとルイスも隣国」
 そんなこと、知っている。
 孤児だった自分たちだって、子どものころから知っている。
 南のウィンダリアは森の王国、北のサグーンは軍事大国。
 そして光の王国アンデルシアの三国にはさまれた、小さな小さなルイス王国。
「黒姫さまはこれからどちらに?」
 レンブラントが馬のそばできいた。
 レンブラントのやつは馬が苦手なのだが、それを忘れたように近づいている。
「わたくしはこれからアジュールさまのもとに向かいます。あの方をお助けするために」
 あっさりと、きっぱりと言い切られて、正体不明とか不気味とか、それはそうなのだが、とりあえずこの人はアジュールさまの味方なのだ、とカーティスは改めて思った。
 自分と同じ、信奉者ってところだろうか。
「ルイスに……騎士団に行かれるので?」
「ええ。ここであなたがたに会ってはっきりしました。急いでいかなければなりません」
「え?」
 スルヤが身を乗り出す。
「あの方に危険が迫っています」
 そういうと黒姫は、手綱を握った。
 乗り手の意図を汲み取ったかのように、立派な馬が頭を上げたようにさえ見えた。
「黒姫さま! 俺も! 俺が行っても役には立ちませんか!」
 スルヤが大きな声で言った。
 その手が手綱を握り、その足がいまにも馬に飛び乗ろうとしている。
「おいおいスルヤ、俺たちはそのアジュールさまから大事な仕事を任されているんだぜ?」
 カーティスは呆れて幼馴染みを見上げた……スルヤはもう馬に乗っていたのだ。
「任務も大事だが……このままでは、帰る場所がない」
 ぼそりとギギが呟いた。
 なにを言っているんだ、と思って振り返った目の前で、ひらりとギギも馬に飛び乗った。
「同行する」
「ちょっと、ギギ! スルヤ!」
 レンブラントがびっくりしてふたりに近づく。
 完璧に馬のことを意識していない。
 さらり、と黒姫の黒髪が翻った。
 そういえば神話の中に、黒い旗を振る女神がいなかったっけか、なんて、関係のないことをふと思った。
「同行を許可します。ただし遅れたらおいていきますわ」
 言うと黒き姫は手綱を打った。
「レンとカーティはここにいて!」
 黒姫を追ってスルヤとギギも馬を走り出させた。
 残されたスルヤの言葉への返事は、言ったとしても届かなかっただろう。
「……僕も行きたかったのに」
 残されたふたり……そのうちのレンブラントがぽつりと言った。
「無理だって。たとえ馬があっても、俺らじゃあの姫さんに追っつけねー」
「……だよね」
 ふたりは、仲間が引き返していった道を、長いこと、長いこと、ただ見つめていた。