六章 青い月団と荒野の星
湖の王国ルイスが滅びた、という噂は、次の日にはすでに、人の口にはのぼらなくなっていた。それだけ人々の関心が向いていない国だったのだ。
なので、そんな国でクーデターを起こしたとされる騎士団のことなど、知っている人はいなかった。
「なにこれ、いきなり行き詰まり?」
レンブラントは成果のなかった聞き込みに憤慨していた。
怒ることで焦っている自分から目をそらしているんだ、なんて、自分では絶対認めないけれど。
隣に座った幼馴染みのカーティスは、ちょっと表情がこわばっている。
剣技が得意で、仲間の中でも身体の大きいカーティスが、実はすっごく繊細だということを、レンブラントはもちろん知っている。
知ってて、あえて知らないフリをする。
「もう! カーティ! なにそんな頼りない顔してるの!」
「べ、べつに、そんなことねーよ!」
つつけば、強がる。
それがカーティスだ。
レンブラントとは、ちがう。
がらがらと、通りに何台も連なる馬車の一行が通りかかった。
アンデルシア風の服装の……商人だろうか。
そしてアンデルシアの衣装を着ていれば、商人でさえなんだかきらきらしているように見えるのは、思い込みだろうか。
店の表のテラス席で、なんとはなくそれを見送っていたふたりに、ふと、目を留めた人がいた。
商人のひとりの視線が、レンブラントに向いている。
「なんだよ、あいつ。おまえ見てるぜ」
やはり気付いたらしいカーティスが隣でこそりとささやいた。
「まさか、ルイスの騎士だからじゃないよね」
「それなら俺も見るだろ。ちがうって、あれはおまえを見てるんだぜ、黄昏の女神さまをよ」
カーティスが珍しく、ひやかすように言った。
黄昏の女神のよう、と言われるのがとにかく嫌いだったレンブラントを知っているから、スルヤもカーティスも滅多にそのことは口にしないのに。
……この場合は。
「そのほうがマシってことなのかな」
「そうなんじゃねーの」
亡国の騎士だ、と噂されるのは、果たしてどんな気分なのだろう。
もっともレンブラントは、大きな声では言えないが、ルイスという国や国王陛下に忠誠を誓っていたわけではないから、そんなに傷つかないと思うのだけれど。
「きみ」
見ていると思ったら、商人は隊列を離れてこちらへと歩いてきた。
レンブラントはカーティスと顔を見合わせてから、立ち上がった。
「青い月団のダイン、と名乗る少年から、伝言を預かっているんだけれど、きみは、レン?」
言われたことがとっさにわからず一瞬ぽかんとする。
カーティスも、はあ? と呟いている。
けれど。
(……馬鹿!)
レンブラントは自分を叱咤した。
ぼーっとしているときではない。
頭を使えよ、レンブラント!
「はい、そうです」
にこり、と微笑んで答えた。
ぽかんとしてこちらを見上げたカーティスが、ぎょっとする。
まったく、失礼しちゃう。普通の人は喜ぶんだよ、黄昏の女神が微笑んだら!
目の前の商人は、ほら、なんだか得したような顔でにこにこしているじゃないか。
「やあ、よかった。このあたりにいるらしいとは言っていたけど、会えてよかった」
にこにこして機嫌よさそうなのはいいけど、早く本題に入って欲しい。
「ええ、それでダインは? ぼくになんて? 彼はいまどこに?」
レンブラントが笑顔で促すと、ああ、と相手は手を打った。
もう、そんなんで商売とかできるわけ?
「あの子がね、きみを探してここへ向かっているから動かないで待っていてほしいんだそうだ。はぐれたことを謝っていたよ」
「そうですか。わかりました、ありがとうございます。ところであの子とはどのあたりで会いました?」
「九百五十番通りだよ」
「えっとそれは……いつです?」
「昨日の今頃だな。だからあの子が真っ直ぐくれば、一日で着くよ」
「そうですか。では最後にもうひとつ。ダインはひとりでしたか」
「ああ、ひとりだったよ。なんだい、はぐれた仲間はほかにもいるのか?」
「いいえ、そうではないんです。ただあの子はちょっと首を突っ込むクセがあるので」
レンブラントがにこっと笑うと、商人は笑ってそうかい、と頷き、自分の商隊へと戻っていった。
その背中を見送ると……レンブラントは笑顔を解いた。むしろ睨みつけるような顔でどさっと椅子に座る。
「ちょっとカーティ、なにぽっかーんとしてるの。馬鹿みたいだよ!」
「ば、ばかとはなんだよ!」
レンブラントの軽口には反射的に答えたけれど、カーティスはまだちょっとおろおろしている。
「なあ、レン……」
「なに!」
「って、なんで怒ってんだ?」
「カーティがにぶいからじゃない! もうしっかりしてよ! ほら、聞きたいことはさっさと聞いて。答えるから。それでさっさと理解してほしいよ、僕は!」
「う、ああ……じゃ、さっきの……青い月、だっけか? ありゃなんだ?」
「知らないよ! でも暗号なんじゃない?」
「暗号?」
レンブラントが声を落として答えた。
親友は目をぱちくりさせてこちらを見返している。
カーティスは……ある意味とっても純粋で、人を疑うとか嘘をつくとか裏をかくとか、もう本当にそういうことがまるで駄目だ。きっと根っからのいい人なんだろうけれど、レンブラントはそれがときに……ほんのちょっぴり、負担になる。
カーティスは、いいやつだ。
レンブラントとは、ちがう。
「ダインはわかるよね」
「ああ……騎士団見習い随一のおしゃべり小僧ダイングラムのことだろ」
「だよね、きっと。で、ダイングラムはどうやら僕たちを目指してやってきてるらしい。きっと、黄昏の女神みたいな連れとはぐれて、急いで追いかけてる、と言ってさ」
「あ、ああ……。たまには役に立ったな、おまえの顔」
「本当だよ! 腹が立つったら!」
「いいじゃねえか。で、月の……ありゃ?」
「青の月、でしょ。ねえ、ダイングラムを使いに出せる人って、だれだと思う?」
「へ?」
「スルヤ、ギギ、黒姫さま、それからアジュールさま」
そうだ、だからきっとスルヤたちはアジュールさまと合流して、いまも一緒にいるにちがいない。
「青い月って、アジュールさまのことか?」
「そうじゃないの? 青い月団ってことは、アジュールさま率いる騎士団ってことじゃない?」
カーティスは納得したのかますますぽかんとした顔になる。
「って! じゃあ! 無事なのかよ!」
「うるさいなぁ。おそいよ」
レンブラントが呆れた顔でたしなめたのに、カーティスはもうにこにこして聞いてないっていうか。
本当、素直なんだから。単純っていうか。
レンブラントはそれがときに……ほんのちょっぴり、うらやましくなる。
自分もあんなふうに喜べたらよかったのに。
机に頬杖をついたレンブラント、まるでどこかに飾られている黄昏の女神の絵画のように、ふうっとひとつ、ため息をついた。