六章 青い月団と荒野の星
三人での旅は、はじめは順調だった。
アンデルシアの街道は整っていて、徒歩ででもどこまでも歩いていけそうだった。
気候が良かったのも幸いした。
そして数日後に国境にたどり着いたとき、三人はぽかんとした。
やたら大きな砦があったのだ。
アンデルシアとルイスの国境は立て札がひとつあるだけで、アンデルシア側に見張りらしき兵の姿はあったものの、おそらく誰でも自由に行き来できそうな国境だった。
「身分証?」
提示を求める、と書かれているのに、レンブラントとカーティスは顔を見合わせた。そんなものは持っていないし、何ならばかわりになるのかもわからない。
砦に入ると少し薄暗くて、ひんやりした石造りの内部にはずらっと人が並んでおり、それを同じくずらりと並んで灯されているろうそくの火が照らしていた。
なんだか不思議な雰囲気のところだ、と思う。
列を成しているのはアンデルシア風の商人もあれば、レンブラントたちが見たこともない、どこかの制服……おそらくどこかの国の軍服かなにかを身にまとっている人々など、さまざまだった。
列は長かったが少しずつ、でも確実に前に進んでいく。
「この人たち、皆、ウィンダリアに入るの」
レンブラントは不思議に思って呟いた。
「ウィンダリアへの視察団かもしれないぜ。俺たちみたいな」
カーティスは真面目そうに答えたが、たったふたりの少年で、視察団なんて名乗れるのだろうか、とレンブラントは思った。
けれど迷っていても仕方ない。自分たちはウィンダリアに行かなければならない。スルヤや……アジュールさまたちと合流するために。
「レン、順番きたよ」
ダイングラムに引っ張られて、レンブラントは顔を上げた。
ちょっと考え事をしていたら、ひとり立ち止まってしまっていたらしい。
急いでカーティスに追いついて、そこで複数のアンデルシア兵に取り囲まれた。
「……んだよ」
ぼそりとカーティスが不審の色を隠さずにぐるりと見返した。
レンブラントはちょい、とカーティスを肘でつついて、僕に任せて、とささやいた。
いや本当は、全然自信とかはなかったのだけれど、カーティスよりはうまくやれるかな、くらいは思ったのだ。
「僕たちはルイス騎士団のものです。ウィンダリアへの視察団の先遣隊として来ました」
レンブラントははっきりと名乗った。
アンデルシア兵の何人かはよくある反応を見せた。
すなわち、レンブラントをまじまじと見つめる、ということだ。
信仰の度合いは地域によって異なるらしいけれど、黄昏の女神のようといわれる容姿の特徴は、どこへ行っても同じらしい。
たとえ黄昏の女神への信仰がない国へ行ったとしても、レンブラントは見た人が一度は手を止めるような美人ではあるのだけれど。
けれどレンブラントに一瞬目を奪われた兵たちは、すぐに任務を思い出したらしい。
「ルイス騎士団ふたり……いや、三名ですか」
あきらかに揃いの服を着たダイングラムにちろりと視線を送られる。
「ええ。この子は旅の間の小間使いに、騎士団が雇った子どもです」
アンデルシア兵の視線に危険を感じ取って、レンブラントは咄嗟に嘘をついた。
ルイスを滅ぼしたというサグーンや、アンデルシアなどの周辺の国々が、ルイスをどう扱いたいのか、現状がわからない。
万が一のときはダイングラムだけでも解放されやすいように、手を打っておこうと思ったのだ。
「では、ルイス王国の国民ですか」
「……ええ」
そこまで否定するのは幼い後輩に不憫で、頷く。
「では三名、こちらへ」
前を行っていた国境を越えるために並んでいたほかの人々とは別の扉を示された。
カーティスがむっとして手を腰の剣にのばしかけるのを、わざと……少し見守ってから、わざと目立つように嗜めた。
それからこそりと耳打ちする。
「いざというときは、それを振り回す役、任せたから」
「レン……おまえなあ」
やめてよ、とか言われると思ったのだろうカーティスは、目を瞬かせてかくっと肩を落とした。
「んじゃ、ダインの面倒は任せたぜ」
こそっと返事をしつつ、カーティスがダイングラムの背中をレンブラントのほうへと押しやってくる。
仕方ないなあ、と呟いて、ちらっと少年に目をやった。
「離れないでね、一応。でもいざというときは、一人ででも逃げてよね」
レンブラントの言ういざというときがどんなときなのか、レンブラントを含む三人にはちっともわからなかったが、わずかな決意のもと、レンブラントを先頭に騎士団の三人は歩き出した 。
扉の向こうは……ごく普通の部屋だった。
あるいは、応接室と言われるかもしれない。
三人はそこで、椅子を勧められた。
扉のところにはアンデルシアの兵がふたり立っている。
ああ、そうだ、とレンブラントは思った。
アジュールさまの執務室に似ているのだ。入り口のところに立っているのはいつもスルヤとギギだった。そしてあの上座の席からアジュールさまは青い瞳を向けてくる……。
かちゃり、と奥の扉が開いた。
勧められた椅子には座らず、ダイングラムを真ん中にして立ったままだったレンブラントとカーティスは、ふたりとも無意識に手が剣の柄に触れていた。
が、レンブラントはすぐに離した。
扉の向こうから現れたのが何者なのかわかったからだ。
「黒姫……さま」
レンブラントはその呼称を呟いた。
唯一顔見知りと言える黒姫とは、もちろん違う人だ。
あのアジュールさまのところに飛んでいった黒姫さまとは別の、でも同じ制服を着て、同じような雰囲気をまとった……もっと、年上の人だった。
現れた黒き姫は、レンブラントとカーティスを確かめるように目をくれて、そして、上座の椅子に当然のように座った。
まるで、執務室にいるアジュールさまのように。
彼女はこの部屋の主人、なのか?
「ルイスの噂はもう耳にしたかしら」
想像以上に大人な声が、前置きもなく聞いてきた。
レンブラントとカーティスは顔を見合わせ。
「……噂、程度なら」
答えながらレンブラントはひとり、黒姫の向かいへと腰を下ろした。
「それで君たちはウィンダリアへ?」
「ええ。僕たちは行かなければなりませんから」
黒姫は、その黒い瞳で真っ直ぐにレンブラントを見返してくるが、表情というものがまるでない。敵なのか味方なのか、ちっともわからない。
「……そうね」
彼女が、ぽとり、と言った。
なんだか不思議な話し方だ。
「かの人が育てた騎士だものね」
また彼女が、ぽとり、と言った。
どういう意味だ、と思った。
かの人、とは……アジュールさまのことか?
黒姫はあの人だけでなく、皆アジュールさまの味方なのか?
「……確かめることもなかったのね。いいわ、お行きなさい」
会話という会話ではなく、黒姫が一方的に話を進める。
まるで……面接試験のようだ、と思った。
黒姫は立ち上がると、彼女が入ってきた扉を開けて、レンブラントたちを呼んだ。
ついていくと……砦の外へ出た。
どうやら裏口のようなところらしいが、レンブラントは外へ踏み出した瞬間、瞠目した。
「なに……ここ……?」
思わず、呟く。
でも、それだけだ。
後ろをついてきたカーティスも絶句している。
ここは、あの光の王国アンデルシアではない。
かつてそこがどんな場所だったのか、レンブラントは全然知らないが、それでもこれはひどいだろう、と思った。
黒こげた大地は乾いてぱさぱさしている。
あるいは木が多かったのだろうと窺わせる倒木の数々。
それがどれも。
「森が、火事になったの……?」
ふたりの間で小さなダイングラムがぽそっと言った。
いまはもう、なにもない荒野。
誰もいない、焼け野原。
「あの森が見えるかしら」
黒姫に促されて目を向けると、遠くに、なるほど森が見える。
「あれはルイスの森です。あれを右手に見ながら進みなさいな。見えなくなるほど遠のかないように。今のウィンダリアでは迷子探しは簡単じゃないから」
冗談なのだろうが、ちっとも声の調子が変わらない。
振り向くと、黒姫はぽん、とかるくそれを叩いた。
「お使いなさいな」
レンブラントはぎょっとした。
ありがたいような、ありがたくないような。
それは騎士団のそれよりずっと立派な馬だった。
ご丁寧に二頭用意されている。
そしてレンブラントが一応お礼を言うべきかと口を開きかけたとき。
気付いた。
いや、気付かなかったというべきか。
黒姫はもう、そこにはいなかった。
ふたりと、そして見習いの少年は、立派な二頭の馬と共に、ぽつんとそこへ取り残されていた。
大地も風も乾燥していて、目指す果ては見えそうで見えなくて。
レンブラントは眩暈がしそうだった。