終章 蒼き月の王
「アジュールさま、王さまになるの?」
しーんとしたみんなを見回してから、シルフィがそういうと、アジュールさま以外の四人がびくっとした顔でシルフィを振り返った。
注目されてシルフィは目をぱちくりと瞬かせた。
あれ、と思う。
アジュールさま……スルヤたちのいる騎士団で、スルヤたちが一番尊敬している人は、さっきそういったのだと思うのだけど。
国を創るのなら、王さまになるんじゃないのかな?
両隣のスルヤとレンブラントを交互に見上げると、どちらも困ったな、という顔をしている。ちょっと首をかしげてレンブラントのむこうのカーティスを見たら、目が合って、口の中でバカ、といわれた。どうしてだろう?
反対を見れば、スルヤとよく一緒にいるお友だちのギギが、じーっとシルフィを見ていた。
この人はとても不思議な人。なにか見えないものが見えるみたい。ううん、ちがう。わたしたちと同じものを見ても、ちがうことがわかるみたい。
なにが見えるのか、いつか教えて欲しい。
そしてシルフィはアジュールさまを見た。
とても、きれいな人。レンブラントが黄昏の女神だとしたら、アジュールさまは月の王だ。瞳の色が青い。湖の色とも空の色とも違う。ちょっと灰色がかった青。この人は、蒼の人だ。
「シルフィ嬢は、どう思う?」
アジュールさまが訊ねてきた。
スルヤとレンブラントがちょっと焦っているけれど、アジュールさまが訊いてくれたのだから、シルフィはちゃんと答えようと思った。
にこっと、微笑んで。
「とっても、すてき」
「ほう? そう思うか」
「はい。アジュールさまはきっと、月の王のような王さまになりそう」
答えると、アジュールさまはとてもとても驚いた顔をした。
「……シルフィ? あの……その、月の王ってなんだい?」
スルヤが困った顔で訊ねてきたので、シルフィはそれに答えようとしたのだけれど。
「黄昏の女神がため息をついて、世界に夜が訪れたなら、月の王は夜のまなざしで、静かに世界を見下ろすだろう」
レンブラントが先にその一節を諳んじた。
スルヤがびっくりした顔で、それからカーティスが怪訝そうな顔をして、黄昏の女神のような容姿のレンブラントを見た。
「レン?」
「なんだよそれ」
「神殿が伝えている神話、だよね、シルフィ」
うん、とシルフィはうなずいた。
レンブラントは自分と同じことを思ったのかな?
シルフィはこのアジュールさまという人を初めて見たとき、神話に出てくる月の王はこんな感じの人かな、て思った。
シルフィたち四人が過ごしたあの村には教会はあったけれど巫女さまがいなかったので、スルヤもカーティスも神話を知らないのだ。でもレンブラントはどうして知っているのだろう。
「黄昏の女神が微笑んで、世界が頬を染めるなら、人は再び女神の為に、汗を流して働くだろう。それは希望のある世界であり続けるだろう」
「なんだそれ」
「だから神話だって。予言だ、ていう人もいるんだよ。僕たちの村ではこの話を耳にする機会がなかったけど、けっこう一般常識らしいよ。ね、そうなんでしょ、ギギ?」
そうなのか、とカーティスとスルヤが目を向けると、ギギは無表情のまま頷いた。
「そうだな。そのくらいは普通知っている」
「そうなのか、俺たち全然知らなかったな。シルフィ、勉強するの大変だったろう。レンはどうして知ってるんだ?」
「知ってるってほどじゃないよ。ちょっとかじっただけ。暇だったときにね」
レンブラントがぷいっとそっぽを向いた。
レンブラントはああやって、がんばったことを隠そうとする癖がある。だから神話のこともこっそり勉強したんだ、とシルフィにはわかった。
どこで勉強したのだろう。どこの、神殿で?
「えっと……それで、俺たちの不勉強はおいおい補うとして。それでシルフィ、その月の王みたいな、ていうのはどういう意味か、説明できるか?」
スルヤが空気をまとめるようにいった。
そう、いつもスルヤはこうやって話を前に進めてくれるのだ。レンブラントとかカーティスとかが、よく話を逸らすから。
シルフィは少し嬉しくて、にこっと微笑んだ。
「月の王を悪くいう人もいるけれど、わたしはそうは思わないの。静かに見守ってくれるんだと思う。きっと賢くて、いい王さまなんだと思う」
思ったことを口にすると、静かに、ただ静かに、アジュールさまはシルフィを見た。けれど、不意に目を逸らした。
「月の、王か……」
アジュールさまは眉をぐっと寄せて、ちょっと遠くを見ていた。
スルヤたちがそんなアジュールさまとシルフィを交互に見比べる。
でもどうしてみんながそんな不安そうな顔をするのか、シルフィにはわからなかった。
あの日、王宮が騒がしくなって、神殿のみんなが一生懸命お祈りをしていたとき、シルフィはひとり抜け出して、たくさんの騎士が馬に乗っていまにも走り出そうとしていたところへ駆けつけた。
スルヤやレンブラントやカーティスを探したのに誰もいなくって、どうしてだろうと走り回っていたら、アジュールさまが声をかけてくれたのだ。
そして一緒に連れ出してくれたのだ。
スルヤたちはここにはいない。神殿の巫女としてではなく、あの三人と命運を共にするというのなら、ついて来い、と。
だから、シルフィは一緒に来た。
そうしたらスルヤがやってきた。
驚いて目を白黒させるスルヤがシルフィは大好きだった。
だから……たったそれだけしかシルフィはアジュールさまのことを知らないけれど、でもきっと、アジュールさまはいい人だ。
スルヤと、レンブラントとカーティスにまた会わせてくれたのだから。
世界が夜になろうともきっとシルフィは怖くない。
ほかにはなにも、こわくない。
大好きな人のそばにいることを、この蒼き人が月の王ならば、きっと見守ってくれるとおもうのだ。