二章 碧の星詠み
ぱんぱんっと派手な音がして、火薬の臭いが漂ってきた。人々の笑い声、囃し声。
街道が交差する大きな広場は、それだけで市場のようにも町のようにも見えた。
びっしりと並んだたくさんの露店はいつもあるものなのか、祝祭期間だからあるのかちょっとわからない。
品物も多いし、人も多い。驚くほどにぎやかだ。
「……すごいな。ここはいつもこうなのか?」
「いつも市は立っていますがここまででは……。あ、ギュールズさま、こちらです」
感心し、圧倒されていたギュールズは、馬から降りてニーナと反対を歩いていたのだが、あまりの人の多さに馬の向こう側の彼女の声がうまく聞き取れない。掴んでいる手綱を頼りに、人々の間をすり抜ける。
彼女が足を止めたのは、一軒の露店の前だった。
その店は、これだけの客を前にして、店をたたもうとしているところだった。
「セイン」
背を向けていた男にニーナが呼び掛けると、彼は気だるそうに振り向いた。
その人は輝くばかりに美しい緑がかった髪と瞳で、すらりと細身でとても背が高かった。
「あ? ああ、ニーナか」
顔見知りらしく彼女の名を口にすると、そのまままっすぐギュールズを見た。
そして。
「ギュールズ・ルビオット?」
いきなりギュールズの名を口にした。
あんまり驚いたので、ギュールズはなんと答えればいいのかわからなかった。
「セイン。ギュールズさまに本をお見せしたいのだけれど」
呆然としているギュールズの横でニーナが申し出ると、セインと呼ばれた碧の男は、ああ、と作業の手を止めた。
「いいよ。それなりにあるだろうから、ファーンの魔法使いさまでも満足していただけるだろうよ。ギュールズさま、あんたはこっちに入ってきて。ニーナは裏に馬を繋ぎな」
気だるそうな雰囲気に反してセインがてきぱきと指示を出すと、ニーナはあっさり頷いて馬を引いて行ってしまった。
「ほら、ギュールズさま、こっち来て見なよ」
「え……ああ、では失礼する」
露店の中へ入ると、そこには無数の本が積んであった。ざっと見たところ星や神話、暦、歴史などの本が多いようだが、子ども向けから専門書まで、ごちゃ混ぜに置かれていた。
ギュールズが目を瞠っていると、男……セインはまるで適当そうに本の山を掻き分けた。
「探しているのは何?」
「えっ? ああ、えっと。天文便覧があれば」
天文便覧なんて一般の人々が目にすることのない本だ。魔法使いが魔法の源と考えている天体の動きを記した書物なのだから。
けれどセインはごく自然に頷いた。
「天文便覧ね。あんたはファーンの魔法使いだから、これかな」
少し探しただけですぐに差し出されものに、ギュールズは今度は目を丸くした。ファーンの宮殿で使用していたものと、まったく同じものだったのだ。
「あ、それ、今年のかな?」
変わらぬ調子で本を選別していたセインがひょいと訊いてきたが、これは間違いない、現在の運行表が載っている。
「ああ、間違いない」
「そうか。じゃ、これは去年のかな。去年って欲しがる人、いるのか?」
「は? それは、あったほうがいいよ。研究資料になる」
「あんたも去年とかのずっと持ってた?」
「もちろん」
ギュールズは真面目に頷いた。 自分ひとりで観測するのは無理なので、こうした資料から読み解いていくものだ。
「ふうん。じゃ、これもやるな」
けれどセインにはその重要さがわからないのか、あっさりと去年の天文便覧を突き出した。
「えっ? でも……」
「ほら」
押し付けられて、つい、受け取る。けれど……。
「あの、有難いんだが」
「なら受け取っとけって」
「しかし……その、これは結構値が張るものだろう?」
ギュールズは、尻すぼみになる声で言った。魔法使いの使うものは、たいがいなんでも高価だ。一年ごとに新しくなる天文便覧の値段は馬鹿にならない。
「はあ?」
セインは、けれどそんなギュールズに、呆れ顔で振り向いた。
「じゃああんた、その本一冊だって買える所持金があるのか?」
ない。
ギュールズは困った。自分にはなにもない。持っているのはファーンの深紅の法衣だけ。
ふと、馬にくくりつけてあるあの馬と一緒に預かった金を思い出したが、慌て自分の考えを否定した。
生きるか死ぬかというならまだしも、ないと落ち着かないなんて理由で本を買うのには、さすがに使えない。
「ないんだろう?」
見透かしたようにセインが言った。
彼はギュールズを馬鹿にしてはいなかった。憐れんでいるようにも見えなかった。
「やるよ」
「は?」
「あんたにやる。本ってのは積んでおくもんじゃないんだ。あんたがそれを使うんなら、やるよ」
「しかし!」
両手に天文便覧を持ったギュールズが身を乗り出しても、セインはこちらに背を向けて本を縛っていて、まるで相手にしない。
「……あの」
「んん?」
「片付けているのか?」
「ああ。この辺りはこれからどんどん人が増えるんだ。だから逃げる」
商売をする者の発言とはとても思えないが、セインはてきぱきと本を束ねていく。もっとも、本の大きさも内容もまったく気にせず、手当たり次第なのだが。
「では、俺は手伝おう」
「はあ?」
セインは手を止め振り向いた。
「余計な気なんかつかわなくていいんだよ」
「でも、どうしてなんでもしてくれるんだ、あなたも、ニーナも」
困り果てて立ち尽くすギュールズを、セインはちらりと見て言った。
「あんたが、ギュールズ・ルビオットだからだろう?」
当たり前だと言わんばかりに簡潔に。
「俺、だから?」
「聞いてないのか?」
「なにを?」
会話にならない。なぜならギュールズは、なにも、知らない。
「あんたは優秀な魔法使いだ。予言だと言われている神殿の神話に、あんたは登場するんだ、と、考えている」
「……神、話?」
突然告げられたことに驚いた。いや、思考が止まってしまった。予言の神話に、ギュールズが出てくる? そんな馬鹿な。
「あんたは王に、なるんだと思う」
セインは言った。それこそまるで、予言のように。