三章 紺の星詠み
街道を行く大勢の人の流れに反して、ギュールズたちはアンデルシアの首都から離れつつあった。
ひときわ人の多い市があり何事かと思ったが、ニーナとセインはあっさりと、ここから南に行くと港があるんだ、と教えてくれた。
しかも昨日サグーンからの祝祭使節団が到着したところだということで、なるほど、サグーンの青や紫の織り込まれた衣装が目につく。車輪に羽が生えたような不思議な図柄の旗があちこちに立てられている。
「……」
ふと、ニーナがその旗を見つめていることに気づいた。
見て明らかには感情を表さないニーナだけれど、なにか気になることがあるのだろうか。
「どうかしたのか」
思いきって訊ねてみると、ニーナが振り向いた。明るい光の下で、顔の左右の肌が違う色をしているのがはっきりと目についてしまう。
「ええ、はい……ギュールズさまは、サグーンのことはよくご存知ですか」
「えっ」
逆にたずね返されて、少し戸惑う。
「えっと……北の軍事大国サグーン、だよな。王政ではなく議会の選ぶ代表が国を動かしている。その地位は皇帝と呼ばれ、サグーン帝国と称されることもある。……ていうくらいかな、俺の知識は」
「ま、それが一般的だな」
さらりと横からセインが口を挟んだのは果たして及第点だったのか、それともそんなこと子どもでも知ってるという態度なのか。
「その皇帝は議会で選ばれますが、対象になるのは限られた人々です」
「……と、いうと」
「サグーンのスローンズ家、オファニム家、ガルガリン家のいずれかからしか、皇帝は選出されません」
すらすらと告げられた家名にギュールズは感心した。
「詳しいな、ニーナ。誰に教わったんだ」
「残念ながら、かなり有名な話だよ、ギュールズさま」
セインはまた、どこか面倒臭そうに告げた。
馬鹿にしている響きはないが……内心はわからない。
「そ、そうか、俺も覚えておいたほうがいいのかな」
「それをお勧めするね」
うん、と軽く頷くと、セインは唐突にふらりと歩き出した。
ギュールズは驚いたけれど、ニーナはちらりと目をやっただけで、ギュールズに視線を戻した。
「そのサグーン三家は、それぞれ家の旗を掲げているのが通常です」
「国の旗ではなく?」
「その三つの旗を組み合わせると国の旗になるのです」
「なるほど……。で?」
「いまこの町に見られるのは……おわかりになりますか、二種類しかありません」
そう言われて、ギュールズはもう一度サグーンの旗を見た。
一見同じに見えるが……なるほどよく見れば、青地の旗と、紺地の旗がある。そういうことだろうか。
「はい、そうです」
気づいた違いを口にすると、ニーナは頷いた。
「紺地の旗はスローンズ家。現在スローンズ家当主がサグーン皇帝ですので、国旗も紺地です。描かれている輪は世界を示し、羽は天の使者を表しているそうです」
「天の使者……自らこそが支配者だということか」
「おそらくは。そして青地の旗はオファニム家。描かれている輪は月と車輪、すなわち戦車を表しているとされています」
「月?」
ギュールズは驚いた。
あの国には魔法使いはいないことになっている……表面的には。なのに魔法使いの象徴の月が描かれているのか?
「その真意はわかりません。それからここにいないのがガルガリン家の紫の旗です」
言われて見回してみるが、なるほど、紫の旗と呼べそうなものはない。周囲をじっくり見て、もういちどニーナのほうを向く。
「その……ガルガリン家の旗がない、というのは、なにを意味しているんだ?」
「公の使節団で三家がそろわないのは稀です。あの国は三家が均衡を保っているからこそ成り立っていると言われているくらいです」
「つまり、紫の旗が見えないことそのものが、気になる要因だということか」
覚えておこう、と思っているところへ、去っていったとき同様セインがふらりと戻ってきた。手にはなぜか金貨袋を持っていて、なんだか重そうにしている。
「……セイン、なにをしてきたんだ?」
「なにって商売だよ。サグーンの連中に、アンデルシアの今月の暦表を売ってきたところ」
「今……月?」
「そ。あいつらは祝祭に着ているだけだから、暦は一ヶ月分でいいのさ。一か月分の暦表があったら、一年分買うより損しない気がするだろ? それだけ」
「それだけ、て」
呆れた。
暦というのは普通一年とかもっと長い期間のものを通してみるものだと思っていた。自分はまだまだ視野が狭い。
「で、サグーンの連中によると、やっぱりガルガリン派は来てないみたいだ」
そしてセインは、さらりと言った。
なにも商売で暦表を売りつけに行っただけではないようだ。
ニーナもセインの言葉を待っている。
が、そんな彼女の視線に気付いて、セインは肩をすくめた。
「無理。サグーンの連中は仲は悪いくせに、結束力だけは硬いからな。ガルガリン派がなにやってるかまでは、口を割らなかったぞ」
「そうですか……」
「けど、まあ。怪しいだろうな」
セインとニーナが、少し表情を強張らす。いったいなにが怪しいのか、ギュールズにはまるでわからない。
「……すまないが、なにが……問題なんだ?」
思い切って聞いてみると、セインが横目でこちらを見た。
「サグーンは軍事大国だ、てギュールズさまも知ってるよな」
「ああ」
「連中がなにかやるとしたら、そりゃもうどこかを狙ってるって考えるのが普通だな」
「そ……そうなのか?」
「そうなのさ」
セインがわざとらしく溜め息なんかをついた。
それは無知なギュールズに対してなのか、それとも争いを撒くサグーンに対してなのか。
いずれにしても、その面倒臭そうな態度がかえってことの深刻さを物語っていた。
もしかしたらサグーンは、ほんとうに軍事行動を起こすのか。
「これはちょっとマズい状況だ。早いとこウィンダリアに入ろう」
賑やかに華やいでいるアンデルシアの市で、セインが嫌そうに呟いた。
それにニーナも深く頷いた。
ギュールズは自分がこんなに無知だとは知らなかった、と、ひとりで目を瞬かせていた。