三章 紺の星詠み
「お初にお目にかかります、ギュールズ・ルビオット殿下」
黒色のマントに羽飾りのついた帽子、そして大袈裟な身振りとおどけた、否、ふざけた台詞。
「なん、だ、おまえは……!」
ギュールズは少し、声を尖らせてしまった。
知らない人に急に名を呼ばれるのは相変わらず慣れないし、それに、なんなんだ、殿下だって?
「おいマルス、いきなりそれは失礼だぞ。さすがのギュールズさまでも怒ってる」
「おや? なにがいけないって? 俺は家臣らしく丁寧に挨拶したんだぜ?」
「馬鹿丁寧っていうのは丁寧の類語じゃないぞ。おまえのは相手を馬鹿にしているというんだ」
「とんでもございません、ギュールズさま! お仕置きは勘弁をー!」
おののくフリをしてから、空から降ってきた黒マントは自分でぎゃはは、と笑った。
青い、とギュールズが思ったのは、彼の髪だった。
セイン同様、長く美しい髪をしている。よく見れば、青というよりは紺色か。群青のようにも見える。
なんだ、この男は。
答えを求めてセインを見上げる。その視線に気づいたセインが、やれやれと面倒臭そうに溜め息をついた。
「マルス、一瞬でいいから真面目に自己紹介しろ。でなければおまえは一生、不審な道化だぞ」
「別に俺はそれでもいいさ。紹介するような肩書きなんて持ってないしな」
ひらり、とマントを払ってこちらに向き直る。黒マント、羽帽子、そして長い青い髪。なるほど、道化と呼べなくもない。
「名前はマルス。そこのセインと同類さ」
「おまえなんかと同類扱いされたくない」
普段は面倒臭そうにしてあまり会話にならないセインが、この侵入者には饒舌に軽口を叩いている。
驚きを隠しきれず、ふたりを見比べる。
「んん? どうしたよ、ギュールズさま?」
からかうように、そのマルスと名乗った男がギュールズを覗き込んできた。
ギュールズはマルスをまっすぐに見返して。
「あなたの言う同類とは、つまりあなたも星詠みということなのか」
やたらと近い距離で目をそらさずにいたので、ギュールズはそのとき、マルスが少し……瞠目したのを見逃さなかった。
すぐに表情がかくれてしまったけど。
「ご名答!」
ぽんと手を打ち、ひらりと身をひるがえす。
まるで本当の道化のように。
ぴし、とギュールズを指差してウインク。
「世にも珍しい星詠みでございます」
「珍しいのは道化の星詠みだ。その他ごく普通の星詠みまで珍獣扱いしないでくれ」
御者台で空を見上げたまま、セインが言った。
星詠みというのは組織というものがない、と聞いていたけれど、どうやら彼らはふたりだけでなく、ほかの星詠みも知っているようだ。彼らには彼らの繋がりがあるのだろうか。
「あー、おまえ、憶えてる。でも名前、なんだっけ?」
マルスと名乗った紺色の星詠みが、ひょいとギュールズの後ろを覗いた。つられて振り向くと、ギュールズの幼馴染みが礼をするところだった。
「ニーナと申します。星詠みのマルス」
「ああ、そうだそうだ、半人前のニーナだな!」
「なっ」
ギュールズは驚いた。
彼もニーナのことを知っているのか。つまり同じ組織ということか。それにしたって半人前とはなんだ。
「おまえ、それはどういうことだ!」
ぎ、と睨みつけると、マルスはわざとらしく震えあがるふりをした。
「おーコワ。ご勘弁をー!」
そう言ってまたぎゃははと笑う。
……腹が立った。
けれどギュールズが口を開く前に、ニーナがそっと腕に触れてきた。
「ギュールズさま、いいのです」
「良くはないだろう!」
「ありがとうございます。でも……事実ですし、そう呼ぶ者も少なくありませんので、どうぞお気になさらずに」
「そんな……!」
ニーナを見返すと自分とも似た黒っぽい双眸が、ギュールズに少し微笑みかけた。
「大丈夫です。平気です」
重ねて、言われる。こうなるととりあえず、引き下がるしかないではないか。
口をつぐんだギュールズに、お、とマルスが割り込むように言った。
「痴話喧嘩は終わったかい?」
……ま、た、腹が立った。
ギュールズはあまり怒る性質ではないのだが、どうも彼がわざとギュールズを怒らせているように思う。
「喧嘩なんかしていない。俺が怒っているのはおまえだ」
「結構結構。俺も初対面だからってイイコぶって誤解されるのはごめんでね。こういうやつなんでよろしく」
ギュールズが睨んでいる視線を受けて、満足そうに頷く。
ギュールズは、言葉を飲み込んだ。もしかして……わざとこういう態度なのか? 良い人だと思われたくないのか。それにはどんな理由が……?
「ギュールズさま、こいつは本当にこういうやつなんだよ。真面目に相手をしていると時間の無駄だから、適当に使えるところだけ使うことをお勧めする」
ギュールズの思考を読んでそれを遮るかのように、セインが言った。
星詠みとは、不思議な存在だ。
彼らは皆、こんなふうに少し奇妙なのだろうか。それともこのふたりが……少し、ひねくれているだけだろうか。
こほん、とギュールズは咳払いをした。
「わかった。セインの助言に従う。だが俺は星詠みの適当な使い方なんてわからないんだが」
「そりゃそうだろうよ」
マルスがさらっと言った。
ギュールズは静かに彼を見返す。するとマルスは肩をすくめた。
「星詠みが役に立つなんざ、争いごとのときだけだもんな」
「そうなのか?」
「そうだろう」
「……なぜ?」
「そりゃ星詠みは、あの星が不穏だ、とか、あの星がヤバい、てことを読み取るのが仕事みたいなもんだからさ」
「……」
ギュールズは考えた。そういえば、ニーナが言っていなかったか。
あの日ギュールズがファーンの魔法使いでなくなる、と、星詠みが告げたのだと。
だから彼女は迎えに来てくれたのだ。
思えば城の排水口から抜け出したところで出会った黒い女性も、まるでギュールズが出てくるのを待っていたかのようだった。
彼女もまた星詠みだったか、星詠みの情報を得ていたのだろうか。充分に考えられる。彼女はウィンダリアという国がいつまで保つか、というようなことを言っていた。
そしてからも同じようなことを言った。森の王国の星が、揺らいでいる、と。
つまり、そういうことなのだろう。
「なんかひとりで納得してる? あんたは頭がいいんだなあ。ファーンの宮殿を出てからここまで、そう沢山なにかを経験したわけでも、情報を得たわけでもないだろう?」
「……いや」
マルスが冷やかすように覗きこむのに、ギュールズは首を振った。
「多くはないがいろいろ経験をさせてもらった。情報は……うん、少ないな。これからはもっと積極的に集めよう。どうやら星詠みというのは物知りのようだから」
マルスが、また一瞬……息をのんだ。が、すぐににやりと笑う。
「へええ、面白い。ギュールズ・ルビオットに目をつけた俺らは間違ってなかったな」
マルス、と名を呼んで諌めるセインを無視して、紺の星詠みは高らかに宣言した。
「気に入ったぜ、ギュールズさま。俺もあんたについていく!」
満足そうなマルスとは対照的に、セインが頭を抱えて呻いた。
ギュールズは……意味がわからず、ぽかんとしていた。