三章 紺の星詠み

 ついていく、と言ったマルスは、けれど翌朝目覚めてみると姿が見えなかった。
 どういうことだろうとセインにたずねると、あっさり言われた。
「あれはそういうやつだ。ついてくる気はあるようだが、ずっとお側にいることはないでしょうよ」
「……では?」
「心配しなくても、おそらく時々現れるだろうよ」
 ギュールズはそうか、と頷きながら、別のことが気になった。
 セインの話し方が、日に日に丁寧になっていくのだ。
 打ち解けて、くだけていくのならわかるが、どうしてだろう。セインのほうが年上なのは明らかなのに。ギュールズがなにか見直されるようなことをしたわけでもないのに。
「それでは、ついでに聞いておこうかな」
「なんなりと」
「セインが言った、使えるところは使え、というのは、具体的にはどんなことだろうか。ゆっくりと俺がマルスのことを知っていければいいのだろうけれど」
「ええ、それを訊ねてくださるのは賢明ですね。ひとつ言えるのは……そうだな、あいつからは適度に金をまきあげてください」
「はっ?」
 セインの提案が予想外すぎて、ギュールズは目を丸くした。
 金を、まきあげる?
 セインはいま、そう言ったよな……?
「ど、どういう意味だ?」
「そのままの意味で。あいつは賭けごとが好きなんで、夜な夜な賭博に勤しんでいるんだよ」
「……で、強いのか」
「めっぽう。ああ、星詠みだから手の内が見えるとかじゃないよ。金に嗅覚がきくんだろうよ」
「悪事を働いているのではないんだな」
「ええ、まあ。さすがに汚い金だったら、ギュールズさまに使えとはお勧めしない」
「そうか」
 それがマルスの特技なのか。まあ……ちょっと複雑な思いで曖昧に頷く。
「ということで、あいつは資金源とでも思って」
「え、いや、さすがにそれは失礼では」
「あいつに遠慮や気遣いは不要。まあ、金を出せとは言いにくいかもしれませんから、欲しいものがあったらあいつに言ってみるといいんじゃないか。必ずいい物を貢いでくれるよ」
「はあ……」
 セインが大真面目に頷くのに、ギュールズはやや困ってしまった。
 それは、正しい人材の使い方、なのだろうか。貴重な星詠みだというのに。
「ギュールズさま、出発しましょう。昨夜、その問題児の星詠みとも意見が一致したんだが、やっぱりウィンダリアは危ない」
「危ない、とは?」
「言葉の通りだ。いつまで保つやら」
 そういって眉をひそめるセインに、はっとした。
 ここまで何度か耳にしてきたが、そう言っているのは星詠みを抱える彼らの仲間たちだけだ。
 ファーンにいたころも、アンデルシアの市場での噂話でも、森の王国ウィンダリアが弱体化しているとか、どこかの侵攻を受けているとかは耳にしていない。
「マルスもそう言っているのか」
「ええ。あいつの表現だと、かの国は間もなくどかん、だそうだよ」
「せ、戦争が起こるのか?」
「さて、残念ながら星詠みには具体的なことはわからないな」
 ひょいと肩をすくめるセインに促されて、馬車に乗り込む。
 セインが所持している書物は勝手に見ていいというので、ギュールズは昨日から荷台のほうに乗っていた。ここは本がいっぱいでまるで書斎のようだ。
 あまり長いこと集中しているとニーナが声をかけてくれるので、ほどほどに集中できてほどほど休憩もでき、周囲は無理するなとくりかえし言うけれど、ファーンで研究漬けだった日々に比べるとちっとも無理などしていなかった。
 遅めの昼休憩をしていると……なるほどセインの言った通り、マルスが突然ふらりと現れた。
 一体どうやってここまで移動してきたのだろう?
「よ、ギュールズさま」
 そしてなんの説明もなく、さも自然にギュールズの隣にどかっと座った。
 ギュールズは少し彼を見つめて考えた。どこで何をしていたかと訊ねるのは、きっと愚問なのだ。それよりももっと意味のあることを聞き出そう。適当に使えということは、裏返せば彼は使えるということなのだろう。
 なぜだかわからないが、少なくともいまのところ彼らは、自分をギュールズさまと呼んで、かなり持ち上げてくれる。
 彼らの言う王というのがなんなのかわからないし、言葉通りに彼らの王になりたいわけでもない。
 けれど、幻滅されるのだけは、嫌だ。
「マルス」
「はいよ」
「……なにか新しいこと、変わった情報はないか?」
 ギュールズが思い切ってたずねると、マルスはうーん、とのんきそうに考えた。
「たとえば、どのへんの?」
 そして難しい切り返しをされた。
 ギュールズも、困る。
「たとえば……ウィンダリアとか、サグーンとか」
 ここまでの道中で初めて聞いた、自分の知らない情勢を、もっと知っておくのは必要だろうと思う。
 三大国といわれて知っているつもりでいたが、ギュールズはいずれの国のことも、実はまったく知らない、ということに気付いたのだ。
「ウィンダリアについては、なにも。おそろしいくらいに平穏」
「そうか」
「サグーンは、ヘンだ。満月は明日なのに、やっぱりガルガリンが動かない。かといって、サグーン本国のガルガリンも動きがないらしい。フォルト・スローンズとサヴィール・オファニムが光都アレグストーに入ったことは確認されているが、ガルシア・ガルガリンの所在が不明だ」
 マルスの話に出てくる個人名が何者なのか、ギュールズにはさっぱりわからなかったが、サグーンの三家の重要な人物なのだろうとは推測できる。
「ガルシア・ガルガリンは本国にはいないのか?」
 セインがちらりと目を向けた。
 マルスは視線を返さず、無造作に頷いた。
「だとよ。いま黒の姫たちが探してる」
「……ウィンダリアじゃないのか」
「かもしれない。風の連中は森都ウィンディスに集結しているらしい」
 マルスとセインの会話は、ギュールズにはわからない。
 隣に座るニーナを見たが、その表情では彼女が理解しているのかしていないのかは読みとれなかった。
「ニーナ、暁の黒姫たちは?」
 セインが話を振った。
 黒姫、とはなんだろう。
 なぜかファーンで会ったあの女性を思い出す。
「動いています。ギュールズさまがウィンダリアに向かっていますから」
「ああ、そうか。そうだよな、当然だ」
 セインは合点が言ったような顔をしたが、ギュールズは驚いてしまった。
 どうしていきなり、自分の名が出てくるのだ?
 自分の行動で、誰かが動くのか? 何故?
「おーい、ギュールズさまが混乱してるぜ?」
「まあ……無理もないさ。ギュールズさまはなにも知らない」
「そうだろうけどなあ……暁の連中のことくらい、知っててもいいんじゃねーの?」
「おまえは、無責任なことを軽々しく口にしすぎだ」
 セインが少し、マルスを睨んだ。
 ギュールズはふたりを見比べ……そして唾を飲み込んだ。
「……教えて、くれるのか?」
 口を開いた。
 やたらと口の中が渇く。
 こういうときに限って、マルスはふふーんとよそ見をしている。
 セインがわざとらしくため息をついてギュールズを見た。
「暁の連中、とは言うが、こいつ自身も暁の連中のひとりだ」
「セインもニーナもな」
 軽い口調でマルスが追加する。
 なにか、聞きおぼえがある、と思った。
 暁……の、闇。
「暁闇、といった、彼らのことか?」
 ギュールズその呼称を口にすると、三人が揃ってギュールズを見た。
「おや、きいたことあるのかい殿下」
「おまえが言ったんじゃないのか……ええ、それのことですよ」
 セインとマルスが視線を交わす。
 知らないふりをしていたほうが良かっただろうか。
 いや、でもセインは教えてくれようとしている。
「暁闇とは、暁とは、どういう人々の集まりなんだ? 派閥だと聞いたが」
 うんうん、とマルスが頷いた。
「そんな感じかな、派閥ね、確かに」
 そしてギュールズに向き直ると、びし、と指差してきた。
「暁の連中は、あんたを王だと思っている人間の集まりさ」
 ……意味がわからない、と思った。
 けれど頭の中では合点していた。
 理由はわからないが、確かにそう言われてみれば、そんな態度の人々だった。
 馬の世話をしてくれた男性、鶏肉のスープを出してくれた女性。
 けれど何故、という疑問は一行に解決せず、一段と大きくなってギュールズの前に立ちはだかっていた。