四章 道標なき旅路
ファーンの魔法使いたちは彼女のことを蔑んで、カラスの娘と呼ぶほうが多かった。
が、アンデルシアをはじめ世界の国々では、黒姫、と呼ばれていることは知っていた。
どこの国にも属さない黒い髪、黒い衣装の秘密組織。
諜報から暗殺までこなすと噂されているが、実際のところどういう集団なのか、ギュールズは知らなかった。
今までは興味もなかったので、詳しく知ろうとしたこともなかった。
それが今、目の前にいて自分に注目している。
「セインたちの組織とは、彼女たちのことだったのか……」
しかし噂では娘ばかりの集団と言っていたような、とわずかな記憶を掘り起こしていると、その考えを読み取ったかのようにマルスが割り込んできた。
「まさか本当に姫たちしかいないと思ってたか? 男手がないといろいろ大変なんだぜ、集団つくって生きてくってのは」
「おまえはその集団の規則をことごとく無視しているだろうが。こんなときだけしゃしゃり出るな」
「俺だってここまでギュールズさまの護衛に手を貸したぜ?」
「それは単なる好奇心だろうが」
ぽんぽんといつもの調子でふたりが会話をする間も、黒姫たちはぴくりとも動かない。
不気味がられているのもわかるかも、と心の隅で思う。
「ち、ちょっと……待ってくれ」
ギュールズはセインとマルスに向かって声をかけた。
が、実のところ、ちょっと待って欲しいと思った相手は黒い娘たちのほうだった。
ふたりの星詠みが会話を中断して、ギュールズを見た。
このふたりの態度がいつもと変わらない、というのが、情けないくらいにいまは救いだった。
息を吸って、吐いた。
ぐるりと見回す……黒姫たちを。
「これは、なに?」
そして、静かに問う。
見に覚えのない罪で追放され、待ち構えていたように自分を救い上げた人々。
彼らは、彼女たちは、自分を助けてくれたのか?
それとも……だまされているだけなのか?
けれどどこに行っても自分のことを、王、と呼び、跪きそうな態度をとる。
こんな騙りにどんな意味があるのだろう。
ちら、と視線を動かしたのは、セインだった。
すらりと背の高い彼は、見下すように黒い娘たちに目をやった。
「ギュールズさまに説明するつもり、あるの、姫君?」
セインの碧の視線を受けても、黒姫たちは反応しなかった。
無言とは、彼女たちのこたえなのだろうか。
すなわち、答えるつもりはないという?
やれやれと溜め息をついたのはマルスだった。
いつものようにちょっとわざとらしい身振りで肩をすくめる。
「相変わらず一方的だなー。頑固っていうのか? ああん?」
やたらと挑発的に喋るマルスに、あれ、彼は黒姫たちと仲が悪いのかな、と思ったけれど、口にはしなかった。
マルスがこちらを見たからだ。
「俺たちがせっかく連れてきたっていうのにさ」
「おまえがじゃない。どっちかというと俺がだ」
「はあ? それをいうならおまえじゃなくて、ニーナのやつが、だろ?」
「珍しくその通りだ」
「そこは認めるのかよ。せっかく殿下がよくわかってないうちに、塔まで連行してやろうとしてんのに、なんでここで邪魔するんだ、姫さんよ?」
怒っているようにも、ただふざけているだけのようにも聞こえるマルスの言葉に、ギュールズは初めて聞く単語を聞きつけて、紺の星詠みを見た。
「……塔?」
ギュールズの反応に、はあ、とセインが溜め息。
これは正真正銘の溜め息のようだ。
「ああ? 殿下、塔のこと知らねーの?」
「あ……ああ、知らない。なんのことだ?」
聞けば教えてくれるのだろうか、と半信半疑でたずねると、マルスが答える前にセインが割り込んできた。
「ギュールズさまが知っているわけないだろう。おまえも! そういうことを外でふらふら口にするな」
「いちいちうるせーよ、おまえは。いいじゃねーか、ここには身内しかいないんだからよ」
……わからないなりに、わかったことがある。
彼らにはギュールズの知らない知らない事情がたくさんあるらしい。
マルスのいう塔、というのは、ニーナやセインが自分を連れて行こうとしている場所と関係があるのだろうが、そういうことは外部に言ってはいけないことになっているのだろう。
マルスは規則を無視する、とセインがいっていたではないか。
けれどマルスもなにも無責任にすべて無視しているのではないのだろう。ここは外だが、身内しかいないのだから、いいだろう、と。
「……身内」
ぽつりとギュールズが呟いた。
セインとマルスが同時に振り向いた。
「俺は、あなたたちの身内じゃ、ないよな?」
「そうだな」
意外にもセインがあっさり肯定した。
「あんたはまだ、身内だとは言えない。あんたは俺たちのことをまだ知らない。俺たちはまだ、あんたのことを詳しく知らない」
「……ああ」
「だがまあ、俺たち……ここの姫たちを含めた俺たちは、あんたを迎え入れようと思っているわけだ」
「どうして?」
彼らは、確かに最初からそういっていた。
はじめはよくわからないと思っていたけれど、いまでもやっぱりわからないままだ。
セインは少し眉を寄せ、碧の髪をかいた。
「星詠みで、といってもあんたにはよくわからないだろう? 俺も上手く説明できる自信がない。だからいままで説明してこなかった。賢いあんたが自分で勝手に理解してくれたらと思っているんだが、それは虫が良すぎるか」
この半月、一緒にいていろいろ教えてもらったセインだから、彼の考え方はわからなくはない。セインは自分にはわからないこと、見えないものが、見えているらしい。
「説明してもらったり、俺が理解するまで待ってもらったりする時間は、俺にあるのか?」
たずねるように口にすると、セインとマルスが揃って笑った。その表情が似ているといったら、ふたりは怒るだろうか。
「時間はあんまりねーよ。世界はそんなに悠長に流れちゃいない」
辛辣にも、茶化しているだけにも取れる口調で、マルスが答えた。
「時間はあるだろうさ。ただ周りは常に変化しているけどな」
信頼しているようにも、突き放しているようにもとれる口調で、セインが答えた。
どれも、そのとおりだ、と思った。
「少なくとも、あなたがたは俺の居場所を用意してくれている、というわけだな。理由は、よくわからなくても」
「そうだな。そこはたぶん間違いない」
「俺にはもう……戻る場所がないからな」
ギュールズは自分でも意外なほど落ち着いてそう言った。
本来自分がいるべき場所、自分が目指し手に入れた場所は、いともあっさりと手からすり抜けてしまったのだが。
もしかしたらそれさえも、星詠みの目には当然のように映っているのだろうか。
「べつに俺らはあんたに玉座を用意して待っているわけじゃないぜ」
マルスがち、ち、ち、と指を振って付け加える。ギュールズは顔を上げた。
「玉座は用意してあるが、まだそこに座っていいとは言ってない」
すごい喩えだな、とギュールズは少し苦笑したが、頷いた。
「それはそうだろうな。それじゃあ俺はこれからあなたたちに試されるというわけか」
「ま、そんなところか?」
マルスがぐるりと視線を巡らせたので、ギュールズがつられて見ると、黒の娘たちは部屋の反対側の扉から、ひとり、またひとりと退出しているところだった。
「どうやら通行許可が下りたようだな、ギュールズさま」
セインが苦笑を含めて耳打ちしてきた。そうなのか、と成り行きに追いつこうと思考を巡らす。自分の、なにが、良かったのだろう……?
「まったく手間のかかる姫さんたちだ」
呆れた口調のマルスに、セインが珍しく静かに同意した。
黒姫たちが退室したのち、ギュールズたちの進む道がそこに開けていた。