四章 道標なき旅路
陽はまだ高かったが、荒野の中に小川を見つけると、一行は進むのを止めた。
いや、ギュールズはそう思ったのだが、気だるそうな雰囲気のまま弥栄の用意をしているセインは、あるいは最初からこういう予定だったのかもしれなかった。
止めた馬車の荷台の上に立って、背伸びをするのはマルスだ。なんだかただの好奇心旺盛な子どものようにも見えなくもない。
ギュールズはそんな彼の動きに再び疑問を抱いて声をかけた。
「サグーンの軍艦の次は、なにが見えるんだ」
「うーん」
返ってきた返事は、例の道化っぽい口調だった。
水辺で馬の世話をしていたセインと、食事の用意をしていたニーナが同時にちらりと振り向いた。
「馬がよお、こっちに向かって走っているんだが、誰だろうなあ
え、と思って驚いていると、セインとニーナがこちらへ寄ってきた。
「黒姫か」
セインはたずねたが、どうやら確かめているだけのようだった。
「だろうな。うーん、ふたり、かな」
待つことしばらく。マルスの言うとおり、小川を目印にして南下しているというふたりの黒姫が、一行の前で足を止めていた。
が、彼女たちは挨拶を交わすでもなく、セインとマルスに目を留め、ギュールズのことをまじまじと見つめていた。彼女たちを見て急に動き出したニーナのことは無視だった。
「よお、偵察の姫さんか。なんで暁はいないんだ? ギュールズさまに会いに来るほうを優先したのかよ、すげぇな」
マルスが荷台の上から声をかけても、黒い立派な馬にまたがるふたりの黒の娘たちは、やっぱり答えなかった。そんな彼女たちにはかまわず、マルスはひとりで話を続ける。
「サグーンの船なら、多分もう見えないぜ。さっき陸から離れていってたからな」
まるで雑談のようにさらっと告げたが、ふたりの黒姫はマルスを見上げ、それからちらと互いに視線を交わした。それで意志の疎通が完了しているらしい。
ギュールズは少し、感心した。
このふたりは、砦で会った沢山の黒姫たちと似てはいるのだが、どこかが決定的に違った。彼女たちの目的がちがうからなのか、それとも別に理由があるのか、ギュールズにはわからないが。
そこへ、ニーナが馬に乗って近寄ってきたので、ギュールズはびっくりしてしまった。星詠みと黒姫の会話を聞き逃すまいと思っていたのを忘れてニーナに近寄る。
「ニーナ?」
「申し訳ありません、ギュールズさま」
「え、なにが」
「わたくしは少しお側を離れます」
「えっと……こちらのふたりと一緒に行く、ということか」
「はい。必ず後ほど合流いたしますので、お許しください」
許すもなにもないのだが、だからギュールズは曖昧に頷いた。
「君がそう言うなら俺に止める権利はないけれど……危険、じゃないんだろうな」
ニーナと、あとふたりの黒姫をぐるりと見回す。
すると、いままでずっと無表情だった黒の娘たちが、少しおどろいた顔をして、馬上から軽く礼をした。アンデルシアでも見た、敬礼の一種だ。彼女たちはギュールズを無視するつもりはないらしい。
「ありがとうございます、ギュールズさま。危険はないと思われます。それから……」
ニーナは少し考えるように間をあけて、そして。
「危険と思ったら逃げますのでご心配なく」
少し微笑んで、言った。
ニーナは、あまり笑わない子だった。
顔の痣のせいか、子どもの頃もわりとぎこちない表情をしていた記憶がある。
だから、彼女の微笑みにはなんとなく、大丈夫かな、という気持ちにさせられた。思い込みだとしても、つい、ギュールズも微笑み返していた。
「わかったよ。気をつけて」
「はい」
その会話を待っていたかのように、ニーナが頷くと、ふたりの黒姫は馬頭を巡らせた。挨拶はなく、あっという間に走り出す。
そしてニーナも、彼女たちのあとについて、馬を駆けさせていた。
ギュールズはそれを、かなり長い間、見送っていた。