一章 (6)
つくられた暗い部屋の中で、スピカの白い指がカードに触れた。
触れたところから星が散るように光って見える。
魔法の力が働いている証であり、魔法の力を持つ者にしか見えない光だ。
三枚並べられたカードの一番左。
ぱちん、と表にされる。
『戦車』
「これはこれは。そのものズバリかな」
「インニルディアは戦争でも仕掛けてくるつもりかっ」
カードをめくった指先をぐっと握りしめて、スピカが唸った。
「まあそれも、あり得ない話ではないがね」
「アーク、ふざけたことを言うな」
「おやスピカ、君もいま同じことを考えただろう?」
涼しい顔で同僚に見下ろされ、スピカは言い返すのをやめた。
隣に立つアークトゥルスは、それでなくても背が高いのに、いまはスピカだけが座っているので、なんだか天井から見下ろされている気分だ。
スピカはテーブルに目を戻す。
まだ二枚、伏せられている。
目を閉じて深呼吸。
そして目を開け、三枚のうち真ん中のカードをめくった。
『死神』
思わず指先がふるふると震えた。
「戦車に死神だと……!」
「スピカ、もう一度言うけど、君は本当にカード占いの読み取りに向いてないね」
「やかましい!」
「君の心が完全に乱れてしまわないうちに、最後のカードをめくることをお勧めするよ」
「……そうする」
スピカは同僚の言葉に同感だと思ったのか、一度目を閉じ両手を組んだ。
占い手があまりに強く戦争を意識すると、カードも戦争に引っ張られてしまう。
けれど現状起こっていることから目をそむけ過ぎると、正しいカードが引き寄せられない。
スピカは心の中に、いつも泉をイメージする。
ほんの数回、足を踏み入れただけの場所だが、とてもきれいだと思ったところだ。
子どものころから心を落ちつけろ、神経を集中しろ、といわれる訓練が苦手だったが、あの泉に出会ってから、うまくいくようになったと思っている。
スピカは目を開けた。
カードをめくる。
最後のカードは『月』だった。
*
本を抱えたキャロルが部屋を出ると、ラルフがついていくので、アルスも急いで後を追った。
キャロルはずらりと並ぶ他の扉に立ち寄ることもなく、魔法宮の玄関に向かっているようだった。
「ということで、王都を出るわ」
「次にいつ来るとか、わかる?」
「予定はないわね、今のところ」
「そっかー」
キャロルの隣で金髪をぴょこぴょこ揺らしながらラルフが残念そうにする。
「なんだったらラルフも来る? 東都巡回」
キャロルがさらっと言った。
まるで遊びに行くのを誘っているみたいだ。
「いいねえ、ふたりでまわったら新婚旅行みたいだねえ」
「あら、随分とつまらない名所めぐりね」
「あは! 確かに!」
ラルフは手を打って大笑いしているが、アルスは目を白黒させてしまった。
……どうやらこのキャロルという女性は、ラルフの冗談についていける人のようだ。
アルスは未だに対応が追い付かないのだが。
「それで、えーと、あなたは?」
「アルスだよ、ア・ル・ス」
キャロルが少しだけ振り向いて、片方の目でアルスを見た。
名前、覚えられてないのだろうか。
「あ、そうだったわね。同級生だったかしら」
「それはイシル。アルスはいっこ下」
「ああ、もう一人のほうが同級生なのね。そうなのね」
キャロルは頭の中で整理がついたのか、うん、と頷いてから、もう一度アルスを見た。
それで。
「あなた、わたくしに同行しません?」
「……は?」
言われたことの意味が、わからなかった。
ラルフを誘ったときは、いかにも冗談ぽくだったけれど。
「どうして……?」
そう聞き返したとしても、アルスは責められないと思う。
名前すらちゃんと覚えられていないのに。
「あなた、騎士でしょう?」
「はい」
「優秀だと聞いたけれど」
ちら、と彼女の片目がラルフに向く。
ラルフはそうだよ、と胸を張る。
て、どうしてそこでラルフが威張るんだ。
そしてキャロルがこちらを向いた。
左の瞳は黒、右の瞳は、紫。
「あなた、剣の腕に自信はあって?」
放たれる言葉は威圧的にも聞こえる。
彼女の性格ゆえなのか、実際それなりの地位にあるために身についた振る舞いなのか。
「自信は……どうかな。同期では一番だったけど」
思ったまま本当のことを口にすると、ラルフがまた大笑いした。
「あはは! そうかー、自信があるわけじゃないけど、成績は一番んなんだな! あはは! 嫌味にもなってないよ!」
なにがそんなにおかしいのか、と思ってしまうけれど、ラルフは遠慮なく笑い転げている。
「いいわ。とりあえず騎士団に行って、あなたが借りられるか、確認しなくちゃね」
キャロルはドレスを翻し、歩き出した。
騎士としては、そんな姫君を追いかけるしかなかった。
その後、キャロルとラルフとは別れたが、アルスはやはり気になって、急ぎ足で進んでいた。
騎士団本部の前を素通りして、人の往来のない小径へ。
そこには通いなれた円形の資料館がある。
アルスはいつものように扉を開けて入ったが、いつも自分が使っている席には向かわず、ほとんど上がったことのない階段を上がった。
二階は、吹き抜けのぶん一階より少しだけ狭い。
壁際に本棚が並び、中央に大きめの机がある。
その机で読書にふけっていた知人が、アルスを見て驚いた顔をした。
「なんだおまえ、どうかしたのか」
いつもほど棘がないのは、本当に驚いたからだろう。
「ちょっと聞きたいんだが」
「……なんだ」
「ここに魔術師さまについてわかる本はあるか」
「あるかよ、そんなの」
即答。
そこにいた知人……騎士団でひとつ年上のイシルが、まるで反射のように答えた。
が、ふと考える表情になる。
「魔術師さまのなにを調べている?」
「知らないことだらけなので、なんでも。でも組織図なんかあったらいいな。騎士団のはあるよな」
「ああ、ああいうのか」
イシルは読んでいた本を閉じ、椅子から立ち上がった。
文句も言わずに本棚に向かうのは、当人も気になっていたからかもしれない。
「騎士団の歴代の記録はここにある。あの上に王族の王統譜もある。だからあるとしたらこの辺にあるだろう」
ずらっと並ぶ資料を見渡す。
ここは騎士団の資料室なのだから当然だが、騎士団の資料は充実している。
伝統的に仲の悪い魔術師の資料なんて、ないだろうか、と思っていたところで、イシルがなにやら薄い冊子をひっぱりだした。
「……あった」
「え?」
「『魔術師団称号便覧』……称号?」
イシルがぱらぱらとめくると、なにやら図入りで書かれているのが見えた。
「紙が随分古いが、いつのものだろうな」
「イシル、見せてくれないか」
アルスが身を乗り出して頼むと、イシルは無表情に本を差し出してきた。
その内心を探る余裕もなく、アルスは自分の手で冊子をめくった。
やはりそうだ。
スピカ、や、アークトゥルス、という名称が載っている。
あれは個人の名前ではなく、称号というものなのだ。
所属と、役割らしきことも載っている。
あれは、役職名のようなものだろうか。
「ありがとう、イシル。あの机、一緒に使わせてもらっても?」
「かまわんが、なにをするつもりだ」
「書き写そうと思ってね」
アルスは、イシルが使っていない席に座ると、急いで自分のノートを取り出した。