二章 (1)
アルスは指令書をもう一度見直してから、再び歩き出した。
後ろからなぜかイシルがついてくる。
「見えた。あの女だな。ひとりしかいないぞ」
そしてアルスが思っていることを後ろから指摘してくる。
「本当にあっているのか?」
「時間も場所も間違いない。だいたいキャロルがいることが間違っていない最大の証拠だ」
そう、ふたりが歩いている前方に、美しい青色のドレスをまとった女性が立っていた。
そこは、騎士団本部からほど近い、けれどなにもない、言ってしまえば道端だ。
アルスが騎士団から正式に受け取った指令書では、なぜかこんな何もない場所が指定され、ここで魔術師キャロルの一行と合流し、彼らの護衛をするように、ということが記されていたのだが。
魔術師の一行、どころか、ひとり佇むキャロルは、まるで湖のほとりに立っているかのような神秘的な姫君だった。
彼女を迎えに来たのが、自分のような若輩の騎士で良かったのだろうか。
するとふと、青い乙女が振り向いた。
「あら、アルス。お友だちもご一緒?」
そうキャロルが言ったので、我にかえる。
彼女は姫君ではなく魔術師で、自分はその護衛の騎士だ。
「あ、いや、こいつはただの見物だ」
アルスが後ろを示して言うと、キャロルはふうん、と不思議そうな表情をした。
そして、そういえばキャロルが自分の名前をちゃんと呼んだな、と思った。
「ところでラルフは来ないのか?」
アルスが、きっと彼女と一緒に待っているだろうと思った友人が見当たらなかったのでたずねてみると、これにキャロルはまた、不思議そうにした。
「どうしてラルフが来ると思ったの?」
「いや、ほら、ずっと一緒にいたと思うから」
「そうだったかしら。でも来ないわよ。断られたし、ラルフだって仕事があるでしょ」
それはもっともな意見だ。
けれどラルフはいつもふらふらしている印象があって、あまり仕事をしているところが想像できない。
キャロルが、ふふっと笑った。
顔を向けると、アルスと、そしてイシルのほうを交互に軽く指差した。
「おもしろいわね。なんだか似てる」
「似てないよ」
即座に否定する。
おそらくラルフについて同じことを同じように考えていたから、同じような表情になっていたのだろうけど。
見ればイシルはむっとした顔で、でもいつものように言い返したりはしてこない。
きっとキャロルにどのくらい、どんな態度で接したらいいかわからないのだ。
一般の人間にとって、魔術師、というのは存在そのものが特別であり、異質なものだから。
「それで、キャロル。他にはどなたがいらっしゃるんだ?」
「誰も?」
「事前に知っておいたほうが……って、誰も?」
アルスの問いかけが終わる前に、キャロルはざっくりばっさり答えた。誰も。
「……って、君と、俺だけ?」
「ええ」
「……それじゃあ二人でどこにどうやって行くんだ?」
「移動手段の馬車は手配してあるわ。星都から来るのでこんな半端な場所で待ち合わせなのよ、ごめんなさいね」
「あ、いや、かまわないが」
星都? 聞きなれない単語……地名のようだけど。
と、そのときアルスとイシルはほぼ同時に気付いた。
馬の蹄の音が、郊外の方向から聞こえてくることに。
ここは王都中心部に近い場所だが、騎士団本部の裏につながる道なので、一般の人々の姿はない。
だからここを通るのはほぼ関係者なのだが。
アルスたちが目にしたのは、騎士団にはない二頭立ての立派な箱馬車、キャリッジだった。
馬も、人が乗る箱も黒っぽい色をしている。
そして近づいてくるにつれ違和感を覚えずにいられないのは、その手綱を握っている少年だ。
胸元に大きな白いリボンを結んでいるけれど、あれは少年だ。
着ている紺色の服は見覚えはないものの、どこかの制服と思われる。
「カノープスさまー!」
少年が手を振った。
声はやはり、少年のものだ。
白いリボンが揺れている。
アルスとイシルはつい、目を合わせてしまった。
この状況に対して、きっと同じことを考えているのだろう。
「アルサフィナ、わたくしはカノープスではありません」
三人の前に停まった馬車に向かって、キャロルはまず、そういった。
カノープス、という名称は他の魔術師さまの口からも出てくるが、魔術師の称号のひとつらしい。
資料館で調べられた範囲でも、少し特殊な立ち位置らしい、ということはわかった。
「だってだってカノープスさま、学校ではキャロル姉さまのことはカノープスさまって呼んでるんだよ」
「あの中ではご自由に。というかご勝手に。でもあの町を出たら駄目。カノープスさまというのは、おじいさまただおひとりよ」
馭者台からぴょんっと飛び降りた少年に、キャロルはいつもどおりの斜めの角度でお説教。
少年はしゅん、と小さくうなだれた。
アルスは馬を見上げ、それからまじまじと少年を見下ろした。
なんだか無邪気で元気いっぱい、という感じだけど、どうしてこんな幼い子が、二頭立ての馬車を操れるのか。
そんなアルスの視線に、キャロルが気付いた。
「アルサフィナ、騎士さまにご挨拶なさい」
「はい!」
ぱっと顔を上げる。
少年とアルスは目があった。
真っ直ぐすぎてたじろぐ。
「お初にお目にかかります、騎士さま! アルサフィナと申します。東都への任務、お供させていただきます。よろしくお願いします!」
はい、よくできました、とでも言いたくなりそうな自己紹介だ。
アルスにはない積極性に、ああ、とかいうお手本にならない返事をした。
けれど。
「……なんですって?」
キャロルはそこで、冷たく反応した。
驚いて顔をあげると、声色どおりの冷たい目で、アルサフィナ少年を見下ろしている。
「わたくしは馬車は頼みましたけど、馭者の手配はしていませんわ。ついてこなくてよろしくてよ」
「そんなそんなカノー、じゃない、キャロル姉さま、僕はちゃんと訓練を受けてるよ! 老カノープスさまに名前ももらったよ! 東都への順路なら僕が一番だよ!」
アルサフィナは、キャロルにしがみつきそうな勢いで主張する。
自分は役に立てるよ、と言いたいのだろう。
アルスはこの少年のことも、任務のこともわからないので、いてくれたほうがいいのか、いないほうがいいのか、判断がつけられない。
でもほかに馭者がいないとなると、かわりにやるとするなら、自分か。
うまくできるだろうか。
「なんだ、騒がしいな」
アルサフィナがキャロルに訴え続けていると、一行の後ろから声がした。
アルスとイシルはあわてて振り返り敬礼する。
スピカさまが歩いて来るところだった。全然気付かなかった。
少年の登場が予想外だったとはいえ警戒が甘すぎた。反省する。
「スピカさまー!」
「やはりおまえかアルサフィナ」
「もちろん! だってだって僕カノープスさまの東都巡回の馭者をやっているんだもん僕が一番だよ! スピカさまもそう思うでしょ?」
「思わないな」
やってきたスピカさまはキャロルと並んで少年を見下ろした。兄弟と言うには歳が離れているが、親子というには無理がある。
「おまえが巡回に出られるようになったのは最近だろ。その前ばすっとキャロルがやっていたんだ」
「あ……」
少年がそうだったという顔をした。
「だから巡路を一番よく知っているのは老カノープスさま、次がキャロライン、おまえは頑張っても三番だな」
「はい……」
言い負かされてい少年はしょんぼりした。
なんだかいろいろ聞いたが、一番気になったのは、スピカさまが一度だけ、キャロル、と名前を言ったことだ。
いつもはキャロライン、と呼んでいたと思う。
「それよりスピカどの、なにかご用件がおありで?」
「いや、そうではないが。仕事を押しつけて悪かったな」
「それはまあ、仕方ありませんわ」
「カノープスさまも、事態がわかっておられるからこいつを寄越したんだろう」
「そういうことなのでしょうね」
二人の魔術師はまるで兄姉のように、少年を見下ろした。
ということはつまりアルサフィナは、魔術師のたまごなのか。
「おいアルサフィナ、わかっているんだろうな。巡回のときはおとなしくするんだぞ」
「わかってる、わかってるよ! 老カノープスさまは仕事中は怖いんだもの! いつもちゃんとしているよ!」
カープスさまという方は怖いのか。少しずつ耳に入ってくる情報だけでは、人物像がまったく見えてこない。
はあっとキャロルが溜め息をついた。
「スピカどのも アルサフィナを連れていったほうがいいとおっしゃいますの」
「お師匠がそう思っておいでのようなんだから、それが最良であることに間違いない」
スピカさまがそんな風に断言した。すごい信頼を寄せているのだな、と感心する。キャロルもしぶしぶ頷いた。
「そうですね仕方ありません。アルサフィナ、わたくしはそこそこ厳しい先生ですから心して供をしなさい」
「はいっ!」
少年は輝くような瞳で大きく頷いた。
魔術師というのは特殊な職業だ。
まず第一に、生まれながらに魔法の資質が備わっていなければならない。
アルスも詳しくは知らないが、それゆえに特別な機関に集められ、訓練を受けているらしいというのが噂だ。
なぜ噂なのかというと誰もその魔術師養成機関の場所を見たことがないからだ。
肝心の魔術師は都にいるけれど、彼らに話しかける勇気のある者は、そうはいないのだ。
「アルス」
名を呼ばれて我に返る。
キャロルが片方の目でこちらを見ていた。
「こちら事情で、この子が同行することになったわ」
「よろしくお願いします!」
「あ、ああ。こちらこそ」
ちょっと元気良すぎて声が大きいけどまあ、いまのところお行儀のいいの子ども、という感じないので大丈夫かな、と思う。
多少おされ気味のアルスを、キャロルは特に気にするでもなく、馬車の箱に触れた。扉を開ける、というわけではなく、手を触れてまるで念じているような、と思って気付いた。
魔法か。
なにか魔法をかけているのか。魔法の資質のまったくないアルスには、見ただけではまったくわからない。
きっと説明されたってわからないのだろうとは思うけど。
それからキャロルは扉をあけた。
ちらりと隣に立つスピカさまに目をやる。
「それでは行ってきます」
「ああ、よろしく頼む」
そしてキャロルはエスコートもされず、一人でひらりと乗り込んだ。
頷いて答えたスピカさまも、一歩二歩と馬車から離れる。
ええっと、アルスは、キャロルの乗り込んだ座席と少年がひょいっと飛び乗った馭者台を見比べた。護衛として雇われたのだったら、ここは前に乗るべきなのか。
「彼女一緒に後ろに乗れ」
けれど解答をくれたのは意外なことにスピカさまだった。
驚いて見ると、色の薄い白っぽい瞳がアルスを見ていた。
アルスはというと、ああやっぱりスピカさまの耳飾りは片方だけなんだな、なんてことが頭をよぎっていた。
「魔術師の馬車だ。そうそう襲われはせん」
無愛想ぎみにそう言われた。やはり、魔法なのか。
アルスは離れたところで様子をうかがっているイシルにちらりと視線を送ってから、魔術師スピカに正式な礼をした。
そしてキャロルが姿を消した黒い箱の中へと、飛び込んだ。