二章 (3)

 大きな門がそびえたっていた。
 門だけが、山のふもとの窪みのような場所に。
 青みがかった濃い灰色の岩を、ただ削って整えた、という感じの素朴な門だ。
 精密な装飾などが見当たらないため、その大きさと以前の石の迫力が、圧し掛かってくるかのようだ。
 だが。
 キャロルはたしか馭者の少年に、神殿の真正面で自分たちを降ろすようにと言ったはずだ。
 そしてここには少なくとも門だけはあるようだが、他に神殿と呼べそうな建物は見当たらない。
「ねえ、アルス」
 同じように石の門の前に立っていたキャロルに呼ばれて隣を振り向いた。
 彼女は、目を、開けたところだった。
「なんだ?」
「いま、周囲に人の気配を感じる?」
「え?」
 静かに問われて急いであたりに気配を配った。
 剣の柄に手を触れ耳をそばだてる。
 そうだ、自分は何も知らないのだから、驚いてばかりいてはだめだ。
 こんな、まるで荒野にポツンと建っているだけなんて、襲撃するにはもってこいの場面だ。
「……いや、人の気配は感じない」
 答えてから息を整え、腰の剣を一度確認しなおした。
 頭の中で要人護衛の心得を復習する。
 机に向かって習ったことだけで実際の任務が上手くできるとは思わないが、意味のないことをわざわざ習うはずはない。
 活かせるかどうかは自分次第。
「そう。じゃあ行きましょう」
 キャロルはアルスの返事に頷いて、一歩踏み出した。
 青いドレスの姫君は、ここでは王宮で見るのとはまた別の違和感がある。
 彼女が石の門をくぐるので、アルスもそのあとに続き、あっと息をのんだ。
 そこには、ぽっかりと穴が口をあけており、地下へと真っ直ぐに階段が伸びていた。
 キャロルはもちろん、ためらいなく階段を降りようとする。
 そのはじめの一歩を踏み入れたとき、真っ暗だった地下への穴に、灯がついた。
 手前の灯りが点くと、それに呼応するように隣の灯りが点いて、一気に奥のほうまで灯りが伝染していった。
 魔法みたいだ。
 いや、魔法なのか。
 闇から一転、地下へと誘う光の道となった階段を、アルスも追おうとして、はっと振り返った。
 人の気配がする。
 と、思ったら、馭者の少年アルサフィナが走って階段に飛び込んできた。
「うわっ!」
「あ、ごめんなさい、騎士さま!」
「いや、少し驚いただけだよ」
「はい! あ、急がないと灯りが消えちゃいます!」
「え?」
 アルサフィナが慣れた様子で階段を駆け降りる。
 その背中を見ていたら、確かに自分の背後の灯りが消えはじめた。
 なので急いでキャロルのところまで降りていく。
 追いつくと少年が振り向いた。
「この灯りは魔術師さまに反応して点くんです。だから誰か魔術師さまと一緒じゃないと、暗くてとても降りていけないんですよ」
 魔法の灯りを指差して教えてくれる。
「じゃあ俺なんかは、カンテラか松明を用意しておかないといけないんだな」
「そう思うでしょう? でも光を吸い込む魔法もあるので、そういうの、消えちゃうんです」
「ええ?」
 少年の説明に驚いていると、キャロルがちらっと振り向いた。
 あまりに無知な自分が何か言われるのかと思ったら。
「アルサフィナ、おかしな説明をしないの。松明は消えないわ。光が吸い込まれるの。自分でもそう言ってるじゃないの」
「えっと……はい」
 魔術師の卵への指導だった。
 アルサフィナはわかるのかわからないのか、うーん、と唸り始めてしまった。


 想像以上に長い階段を下りると、広場のようなところに出た。
 そこからいくつかの横穴の入口が見える。
 が、それらはすべて真っ暗だった。
 ただひとつ、目の前にある、一番大きいと思われる横穴の奥のほうから灯りが近づいてくるのが見えた。
 先ほどの説明を踏まえると、奥から魔術師が歩いてきている、ということか。
 キャロルは広場の真ん中に立って、それを待っているようだ。
 アルスはキャロルの一歩後ろで、形式通り、剣の柄に手を添えて、同じように待つ。
 やがて奥から魔術師が現れた。
 見たことのない人物だったけど、白くて裾の長いローブは魔術師に間違いない。
「キャロラインか」
 横穴のような通路から現れた魔術師が、広場までやってくると、キャロルはドレスをつまんで腰を落とし、優雅に挨拶をした。
「お久しぶりです、ハダルどの。結界の点検に参りました」
「うむ」
 キャロルを見下ろして、大柄な男性が頷いた。
 この態度から察すると、スピカさまたちより上位か同等、なのだろう。
 白のローブの長さは、おそらくスピカさまと同じくらいだ。
 ただ、アルスの父親くらいの年齢のその男性は、魔術師のイメージとは異なる大きくがっしりした体つきなので、印象がまるでちがう。
 キャロルの後ろでアルサフィナが低身の礼をとっている。
 見たことのない姿勢で一瞬おどろいたけれど、彼も魔術師の卵だというのなら、彼らの中の規則があるのだろう。
 騎士団の中に理由のよくわからない上下関係があるのと同様に。
 アルスが上位者に対する礼をとっていると、ちら、と視線が投げかけられた。
 一般的に、騎士団と魔術師団は仲が悪い、とされている。
 伝統的に、といったほうがいいかもしれない。
 ただアルスは嫌うもなにも、つい先日まで本物の魔術師を近くで見たこともなかったし、言葉を交わしたことも当然なかったので、遠い存在、という感じだった。
 けれど相手の魔術師はどうなのだろう。
 友人の友人である年の近い魔術師は、まったく気にしてなさそうだけど。
 それともはじめに会ったとき、まるで空気のように無視されていたのは、実は騎士が嫌いだったのか?
 いやでもそれなら、この巡回に自分を同行させるのはおかしいか。
「アルス? どうかしまして?」
 もんもんと悩んでいたら、キャロルが少し振り向いて、片目だけでこちらを見た。
「あ、いや。なんでもない」
「なんでもないんですの?」
 刺すように見つめられて、我にかえった。
 しまった、護衛任務中に余計なことを考えすぎだ。
「キャロライン、今日はなぜ騎士を連れている?」
「あちらの出方を探るのに、騎士のほうが向いているかと思いまして」
「危険はないのか? まだ若いようだが」
「友人が紹介してくれた優秀な方ですのよ。首席なのですって」
 キャロルは歩き出しながら、表面的に紹介するが、なんだか全然感情が乗っかってない。
 ラルフに聞いたそのままを、口にしているに過ぎない。
 そもそもラルフは自分を彼女に紹介したのか?
 ただ偶然居合わせただけでは?
 なぜか先頭で歩き出し、大柄な魔術師がそれに続く格好になっているので、アルスも続こうとしたら、後ろからマントが引っ張られた。
 振り返るとアルサフィナがだめだめ、と手を振っている。
「ここから先は魔術師様しか入れません」
 小声で教えてくれる。
 と、それが聞こえたのかキャロルが足を止めた。
「えっと? 騎士ってどこまで知っているものなのかしら?」
「キャロライン。一般的に言うと、騎士は結界そのものを知らないと思われるが。残念ながらいまは説明している猶予はない」
 ……そうじゃないかとは思っていたが、やはりキャロルの中でアルスは置いていかれているらしい。
 自分はなぜ、この任務に連れてこられたのだろう。
 なにか向いている、とかなんとか、さっき言っていたように思ったけれど、全然わからない。
「姉さま! 僕が待っているあいだにお話ししてもいいですか!」
 そこに助け船を出してくれたのは、アルサフィナだった。
「ああ……そうね、それがいいかもしれないわ。お願いね」
 キャロルはあまり迷わず幼い少年に丸投げして、再び歩き出し、魔法の光が灯る通路へと消えてしまった。