二章 (5)
キャロルの隣に座ったアルスはテーブルの上に矢を並べ、じっくりと観察してみることにした。
が、 眺めまわしても、紋章の類いはおろか、これという特徴はなく、早々に行き詰まった。
自分では答えどころか手がかりも見つけらず、大きく息を吐くと、隣の姫君を盗み見た。
彼女はアルスのやっていることに関心がないのか、頬杖をついて窓の外をながめている。
何を見ているのだろう、と同じ方向に目をやっても、見えるのは岩が転がるだけのとくに何もない荒野。
どうやらここは、人里からずいぶんと離れた場所のようだ。
「なにか?」
アルスの様子を不審がるように、キャロルが頬杖から顔を上げた。
「あ、いや、なにか見えるのかと思って」
「残念ながら観光名所はこの辺りにはないわよ」
「そういう意味じゃなくて」
「わかっているわよ。退屈、てことでしょう?」
それもちがうと言いかけて、いやちがわないか、と言葉に詰まった。
「次の目的地は、そんなに遠くないから。もう少し 我慢しててちょうだい」
「ああ、うん」
キャロルはまた丁寧な口調で突き放した。
本当に、自分はどうして連れてこられたのだろうか。
彼女が言ったとおり、馬車はそれからほどなくして止まった。
「さあ、行きましょ」
軽く促されてアルスは周囲を警戒しながら馬車を降りる。
大丈夫、人の気配はない。
と、確認したところでアルスは目の前に聳える大きな大きな岩山を見て唖然とした。
「とにかく迫力がすごいわよね」
馬車から降りてきたキャロルが呟いた。
しまった、 降りるときのエスコートをし損ねた。
「一応確認するけど、とても登れない、とは言わないわよね」
キャロルは意地悪そうに、ではなく、心配そうに、片方の目でアルスを窺うように見た。
出会って間もないとはいえ、信用度ゼロだな、と苦笑する。
岩山を見上げながら、その岩肌を登っていく階段を見上げながら、アルスは言った。
「もちろん、大丈夫だよ」
一見、ものすごい巨岩、つまり一つの大きな岩に見えたが、整えられた階段を登っていると、石の隙間に草が生えていたり、模様が違う石があったりして、ああここは山なのか、と思うようになった。
もともと王都からほとんど出たことがないのだ。山とはどんなものかなんて、漠然としたイメージしかない。
数歩先を行くキャロルが、時折足を止めて振り返る。
どう見たってドレスを着た魔術師のキャロルより、騎士のアルスのほうが体力はあると思うのだが、どうも彼女に心配されているらしい。
アルスたちが降りたあと、馬車をどこかへ移動させたアルサフィナは身軽にぴょんぴょん階段を駆け上がってきて、すぐに合流した。
子どもは元気ねぇ、とわざとらしく感心したように言うキャロルも、まるで王宮の階段をのぼる姫君のように、きれいな姿勢のまますたすた進む。
確かに慣れていないだけ、アルスが一番みっともなく見えるのかもしれない。
「もうすぐよ」
キャロルが幾度目かに振り向いてそう告げたとき、アルスはちょっとほっとした。
それから気合いを入れ直してキャロルを追いかける。
そしてようやく到達した目的地は、これまた見上げるような石造の神殿だった。
「これ、どうやって造ったんだ」
思わずそんな感想が漏れた。
感嘆したというよりは、呆れるような気持ちだ。
でもキャロルは笑ったりしなかった。
「本当よね。東都の施設はやたらと大きいものが多いのよ」
「へぇ……。建造した時代の特徴か?」
「建造を指揮した人の好みじゃないかしら」
キャロルは肩をすくめるようにして呆れた表情を見せた。
そんな馬鹿なと思うけど、キャロルがそういうなら案外そうなのかも、とも思えた。
岩山の上に建っていた荘厳とも言える建物を、彼女たちは天空神殿と呼んだ。
正式な名称なのか、皮肉なのかはわからない。
でも確実に周囲では最も高いところにあるのは間違いない。
キャロルが神殿に入っていくのを追いかける。
けれどその前に一度振り向いて確認する。
出てくるのを待ち伏せできるようなところはあるだろうか。
簡単に隠れられそうなところはなさそうだが、襲撃するなら準備が必要かもしれない。
もしもわざわざ準備をして魔術師を襲おうとする相手だったら、自分に彼女を守るだけの力があるだろうか。
思考がまた同じ壁にぶつかったところで、アルスは急いで神殿の中へと踏み込んだ。
ずいぶんと高いところにある、という点を除けば、この神殿はそんなに奇抜なものではなかった。
王都の騎士団本部の近くにある教会と、似ていなくもない。
違うといえば、圧倒的に人影が見当たらないということだ。
さきほどの地下神殿でもそうだったけれど、こういった施設には普通、下働きの人々が大勢いるものだと思っていたが、魔術師の施設ではちがうようだ。
キャロルが足を止めた。
広いホールのようになった部屋だ。
正面には祭壇らしきものがある。
ここで彼女の仕事をするのか。
それとも?
様子をうかがっていると、祭壇の奥から人が現れた。
アルサフィナがさっとかがむ。
白い長いローブ。
魔術師だ。
キャロルはゆっくりとした動きでドレスをつまんで腰を落とし、優雅に挨拶をする。
「お久しぶりですリギルどの。結界の点検に参りました」
先の神殿のときとまったく同じ振る舞いだ。
決まった挨拶の形式なのかもしれない。
なんとなく自由な態度と服装のキャロルには、形式、というのが似つかわしくない感じがしたが、仕事なのだからそういうわけにはいかないのか。
よくわからない。
そして今度の魔術師は、中年、いや初老の男性だったが、学者か研究者か、といった雰囲気の人だ。
キャロルの挨拶にひとつ頷いて、くるりと背を向け、現れたのと同じところに戻っていく。
キャロルはすっ、と歩き出した。
けれど隣でアルサフィナが低身の礼をとったままなので、アルスも動かずにいた。
やがてふたりの魔術師が去ると、パタン、と小さな音がした。
アルサフィナが立ち上がる。
「おつとめごくろうさまです」
背後から幼い声がして、アルスは驚いて振り返った。
そこにはアルサフィナより小さな女の子がふたり、きちんと立っていた。
ふたりとも、布一枚で作ったようなワンピースを着ている。
「お連れのかたは、こちらでお待ちください」
そして声をそろえて唱和する。
まるで練習したみたいにぴったりだ。
いや、練習しているのか?
案内された部屋で、また息ぴったりの挨拶を残して少女ふたりが退出すると、それまでこちらもきちんとしていたアルサフィナが、椅子に座って足をぶらぶらさせた。
その年相応の所作にほっとして、でもそんな少年の動作でしか状況を理解できない自分にため息をつく。
「彼女たちは、ここに住んでいるのかな。随分幼いようだけど」
そしてアルスが何気なく呟くと、アルサフィナがこちらを向いた。
「さあ。ここに住み込んでいるかはわかりませんけど、東都の神殿には、ああいう子どもたちはよくいますよ」
「働いているのか? 魔術師見習い?」
「うーん。魔法が使える子は魔術師さまに弟子入りするけど、それ以外の子はどうしているのかは……よくわかんない、です」
きっとアルサフィナは、その弟子入りした魔法が使える子、ということなんだろうけれど。
「えっと、つまり? 家とか家族とかは?」
根本的に知識不足なので、ひとつひとつ訊ねるしかない。
アルサフィナは、へ? とアルスを見返した。
「あー、騎士さまはきっと立派なおうちに生まれたんですよね」
そして子どもらしくない、困ったような笑顔を作った。
「神殿にいる子どもっていうのは、だいたいみんな捨てられっ子なんです」
「えっ?」
思いもよらないことに、アルスは驚きの声を上げたあと、絶句した。捨て子?
魔術師カノープスの助手をやっているアルサフィナは、きっと優秀な子どもなのだろう。
だからきっと、きれいに言葉を選んでいるのだろう。
捨てられていた子どもたち。
いやでも、この戦争もなく豊かなこの国で、そんなに捨てられるような子どもがいるのか?
するとアルサフィナはまた困り顔をした。
いやあれは、呆れているのかもしれない。
「騎士さまは、あの王都に住んでいるんですよね。王都には捨てられっ子はいないんですよね」
「東都にはたくさんいるのか」
「たくさん、なのかどうかわかりません。これが普通なので」
「普通、か」
アルスは目をそらした。
窓の外には青い空しか見えない。
学校の成績とか、家柄とか両親の役職とかで小競り合いを繰り返してきた、いままでの自分の日常が、うわっと頭の中で渦巻いた。
あの豊かで美しい王都から出ると、こんなにも違うものなのか。
キャロルが自分たちにまるで興味を示さないのも、これが理由なのかもしれない。
彼女はアルスたちに、そこに置いてある花瓶と同じくらいの意識しか払わない。
置いてあるのはわかる。色や形も見えている。
でも、それだけだ。
ぶつからないように避けて歩くだけ。
もし次に同じ場所を訪れても、花瓶があってもなくても気にならない。
違う花瓶にかわっていても、気にならない。
それだけだ。
太陽が傾いてきたころ、扉がノックされた。
キャロルならこういうとき遠慮なく入ってきそうだが、いまは扉がぎこちなく揺らされるように動いた。
それを見てアルサフィナが飛んで行って内側から開けてやると、女の子たちが立っていた。
ひとりはパンの乗った盆、もうひとりは水がめを持っている。
なるほど、あれではうまく扉を開けられないだろう。
「軽食をお持ちしました」
「どうぞ入って」
少女の言葉にアルサフィナがかぶせるように言う。
よろよろと運ぶ少女たちを危なっかしく思ったのかもしれない。
「あ、パンサンド。騎士さま、頂きませんか」
「え……俺は」
「ねえ、ふたりは? 一緒に食べない?」
アルサフィナの提案に、そういうことなのか、とアルスは言葉を飲み込む。
魔術師カノープスさまとこの地を訪れるというアルサフィナのほうがよっぽど慣れているのだ。
けれど少女たちは首を振った。だいじょうぶ、と。
「そう? でも今日は老カノープスさまは来られてないから、お土産のお菓子はないんだよ」
「春のお菓子はいただきました」
ふたりはにっこり笑ってお辞儀をすると、ぱたぱた走って部屋から出て行った。
それを見送ったアルサフィナは、頭を掻いた。
「老カノープスさまみたいにはできないなあ」
「……アルサフィナは、どうしたかったんだ?」
少年の意図が読めず、アルスが訊ねる。
無邪気で元気いっぱい、という第一印象のこの魔術師の卵の少年は、自分よりずっと世界を知っている気がする。
「うーん。老カノープスさまは、行く先々でご馳走やお酒を要求するのだけど、そういうのってご自分も食べたり飲んだりするけど、神殿や町の人たちにもたくさん配っちゃうんです。おぬしも食べろーって。だからちょっと真似してみようかなって」
えへへ、と笑うアルサフィナに、アルスは殴られたような気分になった。
子どもとは、そうだ、周囲の大人を見て育つのだ。
その老カノープスさまとか、ほかの魔術師とか、そしてキャロルなんかを見て、魔術師になっていくのだ。
「おじいさまの真似をするのは悪くはないけれど、あの方のように上手くできるようになるには、もう少し人生経験が必要ね」
そこへ声が割り込んできた。
アルサフィナがぱっと振り返る。
「カノープス姉さま! 姉さまだったら上手くできますか?」
「わたくしだってまだまだよ。それから呼び名ひとつ使い分けられないあなたも全然だめ」
確かに、カノープスさま、と、キャロル姉さま、とが混ざっている。
あわわと口を押えるアルサフィナに、アルスはやっと、ちょっと、くすっと笑った。