三章 (2)
与えられたのはアルサフィナと一緒にキャロルの仕事が終わるのを待つ控室、などではなく、立派な客間だった。
アルサフィナはひとりで見習いの宿舎というほうへ行ってしまった。
なんでもここでしかできない勉強ができるという。
あんな年頃から魔術師になるための専門の勉強をしているのか。
エリートと呼ばれた王立学院はなんだったんだろう。
そしていま、自分は、なにをしているのだろう。
派手ではないが、そこそこ豪華な装飾の部屋を見回した。
外部の人間を泊めるための部屋だろう。
窓からは、あの松明の掲げられた前庭ではなく、街の中心部らしい美しい繁華街が見下ろせる。
東都の力を誇示しているのだろうか。
花や街路樹や水路が整然とした街並みを作っている。
アルスは腰の剣を外していいものか迷いながら、部屋の中を見て歩いた。
書きものができそうな机にはペンと紙が備えられ、小さな水晶球も置いてある。
アルスの目にはちょっと大きなガラス玉の置物にしか見えないが、これはきっと魔術師たちの遠話の道具なんだろう。
本棚には飾りのようにいくらかの本が並んでいた。
背表紙を眺めてみると、東部の歴史や文化を扱った専門書らしいとわかる。
さすがに観光案内書は置いていない。
その中に鉱石についての書物があることに気づいて、なんとなく手を伸ばした。
この街に入ったとき、王都との違いは石材だ、とキャロルが言ったのを思い出したからだ。
アルスは普段、足元の石や建物の石材のちがいなんて気にしたことはないので、当たり前のように石材のちがいを口にされて、驚いたのだ。
本を手に取り、表紙をめくろうとした、そのとき。
コンコンコン、と扉が叩かれた。
アルサフィナだろうか。それとも使用人がお茶でも運んできてくれたのか。
「はい、どうぞ」
なので、本を手にしたまま返事をする。
軽い気持ちで振り返り、開く扉のほうを見る。
そんなアルスの前に現れたのは、背の高い赤い髪の魔術師だった。
「あ……え?」
アルスはぽかんと見つめてしまった。
けれど、礼もせずに突っ立っているアルスのことを気に留める様子もなくその人、魔術師のアークトゥルスさまは、客室へと入り中央のソファに座った。
それでアルスはやっと我に返る。
慌てて本を棚に戻し、魔術師に礼を取る。
するとアークトゥルスさまが軽く手を振った。
「ああ、そういうのはいいから君も座りたまえ」
「はあ」
「ところで君、名前は何と言ったかな」
向かいのソファに座ろうとしたアルスは、再び直立不動の姿勢になった。
確かに、名乗ったことがなかったかも。
「はっ! 騎士団所属、アルス・ガルツカントです」
「アルス?」
アークトゥルスさまはその名前に、ちら、と、でもまじまじとアルスの顔を見た。
う、と詰まる。
名前を省略したのは、まずかっただろうか。
慣れるものではないけれど、慣れてきたつもりだったのに。
そんなアルスの様子に魔術師は軽く笑った。
「うんざり、という感じだな。いや、悪かった。じゃあアルス」
魔術師は手で座れ座れと示した。
はあ、とアルスが座ると、アークトゥルスさまは少し身を乗り出すようにして話し始めた。
「君は、キャロラインどのから、この仕事をどのように聞いている?」
う、と再び詰まった。
けれど相手は一級魔術師、取り繕うことなんて、ないよな。
「実は詳しいことはまったく聞かされてないんです。剣に自信があるなら護衛について来るように、とだけ」
「剣に?」
「あ、いや、多分その点に意味があるとは思えないのですけど」
「ふうむ? 君、魔法は?」
「全然」
そこだけアルスが、あんまりあっさりきっぱり言い切ったものだから、アークトゥルスさまが笑った。
「だろうな。何も感じない。だが……」
魔法の力がないということは、やはり魔術師が見ればすぐにわかることらしい。
つまりキャロルもすぐにわかったのだろう。
ではどうして自分に声をかけたのか。
魔力がないことに意味があるのか。
「よし」
アルスを観察していたアークトゥルスさまが立ち上がった。つられてアルスも立ち上がる。
「アルス、君は用事はないよな?」
「え、はい。特になにも……」
「ではわたしと一緒に来てくれたまえ」
そういうと、アークトゥルスさまは白い長いローブを翻して扉へと向かう。
「えっ」
突然の命令にアルスはまたもぽかんとした。
なんだ、アークトゥルスさまは自分を連れ出すために来られたのか?
アルスは慌てて後を追う。
まだマントも剣も外していなかったので、そのままの格好で。
それにしても魔術師というのは、ご自身はいろいろ理解しておられるのだろうけど、できればアルスのような素人にも、わかるように説明してほしいものだ、と思った。
連れ出されたのは街の、裏通り、らしかった。
おそらく大通りに面した商店の後ろ側、だと思われた。
「魔術師さま、こんにちは」
「こんにちは、アークトゥルスさま」
裏通りといっても薄暗いなどということはなく、通行人や、店の裏口から出てきた店の人が、気軽に声をかけてくる。
アークトゥルスさまは、それに手を上げ応えている。
それにしても、王都ではあんなに異質な者扱いされている魔術師が、この街では人々に慕われているらしい。
アルスがきょろきょろしていると、魔術師がちらりと振り向いた。
「表通りを歩くと目立ってなかなか目的地に辿り着かなくてね。わたしはいつもここを通るのだよ」
「あ、はい、そうですか」
アルスは驚くことが多すぎて、もう驚かなくなってきた。
そういうものらしい、と納得するしかない。
王都と比べても仕方ない。
ましてや、自分の知っていた世界なんて、ずっと狭いものだったのだ。
しばらく歩いた先、一軒の店の裏側で、アークトゥルスさまは足を止めた。
裏口らしく看板などは出ていないが、呼び鈴らしきものがある。ひもを引っ張ると、おそらく店の中で鳴るのだろう。
アークトゥルスさまがひもの引っ張ると、すぐに店の人が扉を開けたが、その動作が初めから高位者への礼だったので、もしかしたらこの呼び鈴は、魔術師のために用意されているのかもしれなかった。
建物の中に通されると……足を踏み込んだ瞬間に違和感に気づいた。
はっとしたアルスに、アークトゥルスさまがちらりと振り向いた。
「魔法は感知できないものと思ったけど、君はいまここで何に気付いたのかね?」
ということは、ここはなにかしらの魔法の力が働いているのか。
もちろんアルスは魔法のことはわからない。
「空気が、ちがうといいますか、緊張感のようなものを感じます。あと、匂いと音をほとんど感じません」
アルスが答えると、背の高い魔術師はあごに手をあて、ふうむ、とアルスを見下ろした。
「騎士というのは、そういうことに気付くのか」
「み、皆がそう思うかはわかりませんが」
慌てて付け足す。
キャロルについて訪れた場所があまりに未知なものばかりだったので、アルスは少し周囲への警戒が高まっていたのだ。
魔術師の後をついていくと、なにがあるかわからない、と。
「アークさま、こちらの騎士さまは?」
二人を出迎えてくれた男性は、魔術師を略称で呼んだ。
顔なじみなのだろう。
落ち着いた雰囲気、きちんとした身なり、彼は店主だろうか。
そしてここは、魔法に関係のあるものの店?
「ああ、キャロラインどのが連れてきたから、なにか意味があるのだろうと思ってね」
「キャロラインさまが。これは珍しいお客様ですね」
店主もキャロルのことを知っているらしい。
彼女の知名度に驚かされる。
そして、意味。
自分がここにいることの意味が、わかるのか。
「彼には魔力がないので読み取りづらいのだが、水の属性がしっくりくるよな」
「わたくしもそう思います」
「だからちょっと石を試してみてはどうかと思うのだよ。せっかく水の都まで来たのだからね」
「かしこまりました」
アルスには魔術師の言っていることがまったくわからなかったけれど、店主はお辞儀をして一度奥へと姿を消した。
「さて、アルス。君はここに座って」
「え、自分は……」
「遠慮することはない。君は今から実験台にされるのだからね」
アークトゥルスさまはいたずらっぽく、くすりと笑った。
「はあ」
よくわからないまま仕方なく、小さな丸いテーブルの前に座らされる。
実験、とは、どういう意味だろう。
そこへ店主が戻ってきた。
手には盆を持っていて、座っているアルスの目の前に置いた。
そこには複数の石が並べられていた。
ひとつひとつは小さな石だ。
経験はないが知っている。
こういうのは、高級な貴金属店にある光景ではないのか。
ではこれらは、宝石なのか?
ひょい、と背の高い魔術師が大きく腰を曲げて覗き込んだ。
そして一通り目を走らせると、一番大きな石の粒をつまんで、アルスの額のあたりに近づけた。
が。
「まったく反応しないね」
「さようでございますね」
落胆の色をにじませることもなく、淡々と事実を述べられた。
きっと魔力があったら、なにかしら変化があるのだろう。
だがアルスにはまったくないのだ。
アークトゥルスさまはそのあとも、いくつかをつまんではアルスに近づけ、元の場所に戻したり横によけたりした。
つまりなにかしらの仕分けをされているようだ。
アルスでなにかを確かめているようだけれど、アルス自身ではまったく意味がわからない。
だってなにも感じないのだ。
実験台、というのは、こういうことなのだろうか。
「さて」
一通り仕分けが終わったらしいアークトゥルスさまが、石を見下ろして頷いた。
「あまり特化型はどうかと思ったが、見事に特化型だけ残ったな」
「さようでございますねぇ」
店主も石を見比べて感心するように頷いている。
どうやらアルスのなにかが予想とはちがったらしい。
……アルスにはわからないけど。
「それではアルス、この中で君が一番美しいと思うのは、どれかね?」
そしてそんなアルスに投げかけられたのは、謎解きのような問いだった。