三章 (3)
「美しい、ですか?」
アルスは困惑した。
目の前には、宝石と思われるキラキラしたものから、見た目では道端の石ころと変わらないようなものまである。
魔法のことをまったく気にせず、ただ美しい、というだけの理由なら、決まっている。
あの、キラキラした石を選べばいいのだろう。
「きれいなのは、これ、ですよね?」
一目瞭然だと思うけれど、なぜかアルスは自信が持てず、おそるおそる指差した。
すると、アークトゥルスさまと店の人が揃って覗きこんだ。
「ほほう」
「ほう」
なんだかふたりはただの友人同士のように息ぴったりに言った。
「きれい、とは、具体的にどのように見えるのですか」
店の人がアルスの正面からたずねてきた。
「具体的、ですか。ええと……キラキラしているし」
「輝いているような感じですかな、それとも透き通るような?」
「あ、透き通るような感じ、ですかね。そう……こう、すごく透明な氷みたいな」
アルスは思ったとおりを口にしたのだが、言葉にするとなんだか変な表現だったかもしれない、と思った。
けれど。
「決まりだ。これにしてくれ」
アークトゥルスさまがなにか決定してしまった。
「はい。どのような形態に致しましょう」
「どうするのが良いだろうか」
「龍のうろこはペンダントにされることをお勧めします。多くの魔術師さまの前例から」
「なるほど。彼女は魔力が非常に強い。当たりでなくとも大外れにはなるまいな」
「さように思います」
「仔細は任せる。おそらく普段使いはしてもらえないだろうからな」
「かしこまりました。それでは……」
アルスには全然話が見えないまま、会話はすすんだ。
けれど、突然それは中断された。
どーん、という地響きと、ざわざわと肌が泡立つ奇妙な感覚。
さっ、とアークトゥルスさまが顔を上げ、ある一点を見た。
アルスには見えないなにかを、明らかに睨みつけた。
「物理攻撃で結界に干渉するだと」
そして吐き捨てるように言った。
それまでのアークトゥルスさまの雰囲気とは全然ちがっていたので、アルスは驚いた。
けれど、驚くところはそこではない。
「物理、攻撃? 攻撃をされているのですか?」
アルスは立ち上がった。
魔法のことはわからないが、そうでないというのなら自分にも出来ることはあるのではないか。
踵を返したアークトゥルスさまを追おうとしたら、扉の前で振り向いて制止された。
「いや、アルスには大事な用がある」
「は、はい」
「ここに残り、さっきの石を受け取って、キャロラインどのに届けてくれたまえ」
「えっ?」
「もうしばらく猶予があると思ったのだがな。思ったより相手の動きが早かった。とりあえず簡易でいい、すぐに使えるようにしてくれ」
後半は店の奥に向かって言っている。
返事はない。
店主と、あのたくさんの石もすでにテーブルにはない。
「頼んだよ。神殿がどんな状況にあっても、君はキャロラインどのの元へ。いいね?」
そう言い残すと、アークトゥルスさまは店から出て行ってしまった。
扉を開けた瞬間、人々の悲鳴のようなざわめきが聞こえたが、扉が閉ざされると部屋の中は静かになった。
やはりここは魔法で守られているか、隔離されているのだろう。
静かになると、奥から、コンコン、とか、カンカン、とかいうなにか作業する音がしていることに気付いた。
あの、突然の衝撃のとき、ここの店の人は魔術師に挨拶もせず、石を並べた盆を持って、さっさと奥に引っ込んでしまったのだ。
アークトゥルスさまに事前に依頼を受けていたにせよ、随分と早い反応だ。
(事前に?)
なにを、だ?
アルスという名前も知らない騎士が同行してくることを、知っていたのか?
そして。
(もう少し猶予があると思っていた?)
思ったより早く攻撃を受けた。
つまりは攻撃を受けると、知っていた?
かといって、神殿では明らかに防御を固めるようなことは、行われていなかったと思うけれど。
まあ、魔法の結界がどう、とかいうのは、アルスにはわからないのだけど。
わからない。
本当に、わからないことだらけだ。
でももしかしたら、理由がわかるかもしれないと思った。
自分がここまで連れてこられた理由。
アークトゥルスさまが知っていたなにかを、キャロルだってきっと知っていたはずだ。
だから、彼女は自分は使えると思って連れてきた。
だから、アークトゥルスさまも、必ずキャロルのところへ行けと言われた。
ならば、自分は必ずそうしなければならない。
「おまたせしました」
ぐるぐると考えていたアルスは、その声に勢いよく振り向いた。
そこにいた店主は、上品な佇まいは変わらないが、袖をまくりあげ額に汗をかいている。
「こちらがお品でございます」
彼の手には銀色の鎖と青い石のはまった小さなペンダントがあった。
ただの装飾品に見える、けれど、そんなはずはない。
「これは魔法の道具、なんですよね」
「さようでございます」
店主は丁寧に頷いてから、ペンダントを小さな箱に入れた。
そしてアルスに差し出す。
「これは少々特殊なものでございます。いかなる状況、いかなる理由があっても他人に触れさせてはなりません」
「は?」
「たとえお身内であっても、信用できる魔術師の方であってもダメです」
「は、はあ」
そしてものすごく念押しされた。
そういえばさっきアークトゥルスさまも似たようなことをおっしゃった。
アルスは受け取ってから、少し疑問に思ったことを口にした。
「あの、そんな大事なものを、俺が触れるのは大丈夫なんですか?」
すると店主は深く頷いた。
こちらが驚くほど躊躇いない。
「大丈夫です。キャロラインさまがお連れになったのですから、間違いありません」
そして、断言された。
これは、信用されているのはアルスではなく、キャロルなのだ。
おかしなことに、理由が自分ではなくキャロルなのだと理解したら、なぜか意外にも気分が晴れてしまった。
彼女が来いと言ったから来た。
周囲の人々はそれで納得してしまっているのだ。
「わかりました」
アルスは受け取った小箱を、少し迷ってから胸の内ポケットに入れた。 ちょっとかさばるが、大事なものだからこれでいい。
「それでは失礼します」
「はい、お気をつけて」
アルスはきちんとした騎士の敬礼をしてから、店を出た。
一歩外へ出ると、すぐにわかった。
神殿のほうから煙と砂ぼこりが流れてくる。
ここは裏通りで人の姿がいまはないが、表通りのほうからはなにやら怒号が聞こえる。
避難を促す声と、救助に向かう声。
アルスも胸に一度手を当ててから神殿に向かって走り出した。
神殿に近づくにつれ、想像以上の光景に、走りながら目を瞠る。
先刻、アークトゥルスさまと出てきた神殿の奥にあった建物は無事のようだが、祭壇などがあった正面の建物が、裏側から見ると……消えてなくなっていた。
建物が倒壊したのか?
どんな攻撃を受けたのだ?
裏側から入って、方向だけを頼りに神殿に向かう。
廊下だったと思われるところを走っても、誰にも合わない。
と思ったら、突然視界が開けた。
空が見えた。
穏やかな、春の空。
でもそんな空の下に、瓦礫の山が聳え立っていた。
煙もくすぶっている。
魔術師の見習いたちが、白いマントを汚しながら瓦礫を運んでいる。
あの下に、人がいるのか?
キャロルは、どこだ?
作業をしている人の間をすり抜けるように進む。
この瓦礫が神殿ならば、彼女がいただろう祭壇は、この中心のほうになるはずだ。
弓矢が散らばっているのは攻撃を受けたからか、応戦した跡なのか。
瓦礫を飛び越えて進む。
すると奥に、ぽかっと穴があいているのが見えた。
(なんだ?)
慎重に近づく。
そばに落ちている石像に、なんとなく見覚えがある。
ひとつの建造物のようだ、と思った祭壇の一部じゃないだろうか。
では目的地はこのあたりか。
周囲には、人の気配も、人がいた形跡も見られない。
……瓦礫に押しつぶされた人間の手足や、服の裾が見えるわけではない。
では、逃げたのか?
キャロルは?
戻るべきか迷いながら、穴のところまでたどりついた。
そうっと覗いてみると、下への階段が伸びていた。
壁には火のついていない松明が並んでいる。
これは例の、魔術師だけに反応する魔法の松明では?
さらに顔を近づけてみると、中から、風を感じた。
ざわざわとした地上の雰囲気とは異なる、しん、とした空気。
この、入口にだけなにも落ちていない、まるで瓦礫が崩れるときに避けたかのような空間。
ここは魔術師の結界だ。
キャロルはこの下か。
入口に立って、手で腰の剣の柄に触れる。
そして胸に手を当てて深呼吸。
アルスはそっと、魔術師の領域へと、階段を下りていった。