三章 (4)

 階段を、おりる。
 あの、最初に立ち寄った地下神殿ほどの深さはなく、だいたい建物の一階ぶんほどのおりたところで、通路は平坦になった。
 突き当たると左右に分かれ、その先がすぐに同じ方向に曲がっているのがわかる。
 あかりを持っていなくてもなんとなく周囲が見えるのは、この通路の先が明るいからだろう。
 左右の道の作りはまったく同じに見え、明るさにも差がない。
 おそらくはこの壁の向こうにある部屋を、廊下がぐるっと取り囲んでいるのだ。
 片手で剣に触れたまま、そうっと歩き出す。
 直角の角を曲がると光源である部屋の入口が見えた。
 扉はない。
 壊されたわけではなく、元よりなかったようだ。
 上に建っていた神殿とは違い、地下は何の飾り気もなかった。
 素早く駆け寄って、そっと覗く。
 内部を目にして、けれど、アルスにはまったく意味がわからなかった。
 広い、だだっ広い部屋の床に、見たことのない光の図形が描かれている。
 部屋いっぱいの大きさの円形の模様。
 それが、光っている。
 床石が青いので青っぽく見えるが、光だけ見ると緑色をしていた。
 縁の内側には図形なのかどこかの文字なのか、何重にもびっしりと書き込まれている。
 そして大きな円の中心には、なにかがつり下がっている。
 低めの天井から、まるで蔦に絡まった大きなさなぎのようなもの。
 あれは、なんだ?
 少しすると地下の暗さと、魔法の緑の光源に目が慣れてきて、中央の物体がぶら下がっているのではなく、足が地面に接していることが見えてきた。
(……足?)
 その細い部分に目を凝らす。
 まさか。
 部屋の中に素早く視線を巡らせるが、人の姿は見えない。気配もない。
 足元の光の円ぎりぎりまで、駆け寄る。
 足。見えているのは人の素足だ。
 そして、ひらひらとした布地。
「……キャロル!」
 アルスは大きな声で彼女の名を呼んだ。
 さなぎのように見えているのは、彼女の青いドレスだ。
 蔦に見えるひも状のものに縛られているのだと気付いた。
 足は床についているようだが、立っているわけではない、吊るされているのだ。
 アルスの声は部屋に響いたが、さなぎは動かない。動けないのか。
 足元の光の模様に目を落とす。
 魔法の何かであることは間違いない。
 が、問題はアルスがこれを踏んで入っていいのか、だ。
 考えてもわからないけれど、なんとか糸口がつかめないかと周囲を見回す。
 この部屋には何もない。
 いや、壁際に布袋が積んであったのだろうが、崩れて中身がこぼれている。
 あれは、食糧?
 もしかして。
 ひんやりして、だだっ広くて、飾り気のない地下。
 ここは、食糧倉庫なのでは?
 アルスは意を決して足を踏み出した。
 緑の光の模様の上を、かまわず走る。
 体に異常は、感じない。
「キャロル!」
 彼女に駆け寄ると……ぎょっとした。
 蔦のように見えるそれが、ゆっくりと動いているのだ。
 じわりじわりと彼女を締め上げいる。
「キャロル! キャロル!」
 呼び続けながら、手を伸ばして顔のあたりの蔦を引っ張った。
 触った感じも植物のそれだ。
 だが絡みついているので、こちらを引っ張ると別のところを締め付けるようだ。
「くそっ」
 アルスは腰の剣を抜くと、手近な蔦を引っ張り、隙間に剣先を入れて切り裂いた。
 意外とあっさり切れた。
 強度も植物並みのようだ。
 手当たり次第、とはいえ彼女を傷つけないように蔦を切り落とす。
 汚れて擦り切れた青いドレスの内側に、確かに彼女はいる。
 やがて彼女の白い片手が現れて、一瞬ほっとした。
 素手で触れると、ちゃんとあたたかい。
「キャロル」
 手を握って呼びかけると、わずかに握り返してきた。
 生きているし、反応している。
 アルスは手を離し、再び蔦を切り落とす作業を続けた。
 と、だらんと下がっていたキャロルの手が急に動いて、アルスの胸のあたりに触れた。
 驚いてアルスの手が止まってしまった。
 が、彼女の手は急に元気になって、なにかを探すかのようにアルスの腕のほうをぺたぺたと触ってくる。
 これは、確実に意識がある行動だ。
 アルスが剣を持っていないほうの手で、彼女の手を握ってみた。
 すると今度はぎゅっと握り返された。
 先刻の弱弱しさはない。
 怖くて、助けが来て嬉しい、というのとはちがう。
 ぎゅっと掴まれている手に力強さが増してくる。
 そして突然。
 残っていた蔦が一斉に燃え上がった。
「うわっ」
 驚いて一歩下がってしまったが、キャロルの手が離れることはなく、いや、今まで吊り下げられていた身体がどさっと床に崩れた。
「キャロル!」
 助け起こしながら、火のついた蔦を払いのける。
 そしてやっと彼女の顔が現れた。
 火はなぜか、蔦だけを燃やし、彼女の服や肌を焼くことはなかった。
 彼女の魔法だろうか。
 けれどそれなら、そんな魔法が使えるなら、どうしていままで使わなかったのだ?
「アルス……」
 彼女の息の音に、アルスの名が混じった。
「キャロル!」
 余計な疑問は押しやり、腕に抱えた魔術師を覗きこむ。
 すると彼女は、なんだか少し、苦笑した。
「一年分くらい、名前を呼ばれた気がするわ……」
「なっ……」
 そんなに、連呼しただろうか。
 したかもしれない。
 だって必死だったのだ。
 なんとなく、あのさなぎが彼女だと気付いたとき、生きているのかどうか、無意識に考えないようにしてしまったくらいには。
「……一年分は、言いすぎだよ」
 少し遅れて言い返す。
 そんな冗談が言えるなら大丈夫だろう。
 アルスは、ずっと繋いだままだった手を離そうとした。
 けれど、キャロルはぎゅっと握ったまま離さない。
 なにか、おかしい。
「キャロル?」
「ねえ、アルス、あなたなにか持っていて?」
「は?」
 唐突な問いにアルスはぽかんとして、でもすぐに思い出した。
 そうだ、そもそもこれを届けるために彼女を探したのだ。
 握られた手を、そうっと解くようにはずす。
 今度はキャロルも手を離した。
 アルスは胸の内ポケットから、ひとつの箱を取り出した。
「アークトゥルスさまが、これを君に届けるように、て」
 箱のまま渡そうとしたが、アルスに半分寄りかかったキャロルは、表情を変えずに箱を見つめていた。
「えー……と、これ、どうすれば?」
 迷った挙句、直接たずねた。
「開けて」
 キャロルが小さく短く言った。
 中身を確認したいのかと思い、蓋をとってペンダントが見えるように彼女に向けた。
「これがなんなのか、あなた知っているの?」
「いや、わからない。魔法の品だってことはわかるけど」
 話の途中で襲撃されたので、詳しくは聞けなかったのだ。でも。
「……龍のうろこのペンダントよね」
 彼女はやはり、知っていた。
「あ、うん。そう言っていたかも」
「では、わたくしにつけてくださらない?」
「え?」
 アルスはおどろいた。
 そんなことを頼まれるなんて、思いもよらなかったから。
 けれどこれが魔法の道具で、いまの彼女の役に立つもので、それがペンダントの形をしているのなら、なるほど彼女が身につけるべきなんだろう。
 アルスはおそるおそるペンダントを手にとって、ぎこちない動きで彼女の首に手をまわした。
 青い石が飾るのは、青いドレスの胸元、だったのだけど、そのドレスは少し破れてしまっている。
「これで、いいかな」
 金具を留めると、箱をポケットにしまいながら、少し目を泳がせた。
 ちょっと恥ずかしくなったのだ。
 けれど、ずっとアルスに寄りかかっていたキャロルは、少しのあいだ石に指を当て、それからむくりと起き上った。
 そしてそのまま立ち上がろうとして、がくっと崩れ落ちた。
「ちょ……キャロル」
 あわてて手を伸ばして受け止める。
 するとキャロルはアルスにしがみついてきた。
「もう少し……」
「うん?」
「もう少し魔力をちょうだい……」
「え?」
 魔力。
 そんなもの、アルスにはない。
 魔術師がそう言ったのだから、間違いない。
「え、えーっと?」
 中途半端な姿勢でキャロルを片手で抱えたまま、どうすればいいのか困ってしまった。
 こっそり彼女の顔を覗いてみると、頭をアルスに寄りかからせたキャロルは、目を伏せて指先で胸のペンダントに触れていた。
 また、魔力を使い果たしていたのだろうか。
 この仕事は魔力消費が激しいとぼやいていたけれど、その減った魔力はどうやったら回復するものなんだ?
 見ていると、キャロルがふーっと息を吐いて、ぱちっと目を開けた。
 そして紫色の右の瞳が、アルスを見た。
「ありがとう。だいぶ力が入るようになったわ」
「いや、俺はなにも……」
「なに言ってるの。この龍のうろこはあなたがいないと効果がないのよ」
 表情も口調もいつもの彼女らしくなってきた。
 が、身体のほうは寄りかかったまま、起き上がることはない。
「アルス、もうひとつ大変なことを頼んでもいいかしら」
「もちろん。俺に出来ることなら」
「それではわたくしを、この魔法陣の外まで運んでくださらない?」
「えっ?」
 言われてアルスは周囲の床を見た。
 もちろんずっと見えていた、この緑の光の模様のことだろう。
「魔法陣……の、外、だね?」
 アルスは剣を腰に戻し、少しためらってからキャロルの膝の下に手を入れた。
 横抱きに抱えあげると、想像通り軽々と持ち上がった。
「このまま地上まで出ようか」
 アルスが歩きながら言うと、腕の中でキャロルが少し顔を上げた。
「この魔法陣から出さえすれば、すぐに回復するわ」
「そうなのか?」
「ええ。これは魔術師を縛る方法。オラディオンの魔術師には禁止されている部類の結界よ」
 キャロルは静かに言ったが、怒っているのだと全身から伝わってくるようだった。