四章 (3)

「被害は甚大なはずだ!」
 と、魔法使いのひとりが言った。
 リャンの町で一番大きな神殿を爆破したのだから、と。
 そのために時間と人手をかけて爆薬を運んだのだから、少ない被害程度では困るのだ。
 イヴリアーデが保有するメルハの爆薬庫からは、空になる勢いで爆薬を送り出した。
 いくらでも増産するつもりではいるが、それなりに金はかかっている。
 散々使って効果なしとは言わせない。

 リャンの町は、オラディオン王国では東都と呼ばれ、隣国の東部で一番大きな町ではあるが、オラディール山脈のふもとにあり、北部といっても差し障りない。
 イヴリアーデの拠点であるガディは港町、すなわち南の海側なので、あまり近いとは言えない。
 むしろ南都と呼ばれるサンの町のほうが近いだろう。
 けれどイヴリアーデはリャンを攻めることを選んだ。
 部下たちが調査したことを加味して、イヴリアーデがそう決めた。
 北は山脈、東は国境の川、王国首都から遠いこの盤の隅に、軍隊があるわけでもないこの町に、目標を定めたのだ。
 オラディオンには手を出すな、と、長老たちは繰り返す。
 周辺諸国でも暗黙の了解となっている。
 明確な、明白な理由を教えてくれたら、あるいは従うのかもしれないが、それは一切なし。
 これで納得しろというほうが無理である。

「情報を整理しよう」
 部下の魔法使いたちが話し合いを続けている。
 情報を整理しよう。
 やつらはこの言葉が好きらしい。
 何度となく使っている。
「周辺の祠を破壊することで、明らかに結界は弱まった」
「是」
「それに従ってリャンの神殿の人の出入りが増えた。なにかしらの影響があったのは間違いない」
「是」
「リャンの神殿の破壊も成功した。地下の魔法も発動した!」
「是! 成功したにちがいない!」
「是! そうだ!」
 魔法使いどもが繰り返す。
 自分たちの仕掛けた魔法がうまく発動したのが嬉しいらしい。
 机をたたいて成功したにちがいないと繰り返す。
 けれどイヴリアーデが、とん、と指でひとつ机をたたいた。
 すると、静かになった。
「だが、リャンの結界を破ることには失敗した」
 イヴリアーデが告げると、魔法使いたちは石像のように固まって動かなくなった。
「僕は動きを封じる魔法でも使ったかな」
 呟いてみても、誰も動かない。愛想笑いもない。
「魔法、か」
 イヴリアーデは目を細めた。いまいましい紫と金のヘテロクロミア。
「その仕掛けた魔法というのは、発動するとどうなるんだい」
 主人の問いかけに、やっと何人かが目をきょろきょろさせた。
「ふ、ふたつあります。魔法の源を吸い取るものと、吸収を阻害するものです」
「吸収って、なにを?」
「魔法の力を、です。つ、つまり、魔法力の回復を阻む、という意味です」
「ふうん」
 イヴリアーデには魔法のことはわからない。
 こんな外見をしているが、魔法使いの資質はまるでないのだ。
「神殿を破壊し、術者を捕らえたと?」
「は、はい」
 魔法使いたちは肯定した。
 そういう計画を立て、実行し、想定通りにいったらしい。
 けれど。
「結界は確かに一度揺らいだ、と?」
「はい!」
 魔法使いたちは肯定した。
 けれど。
「でもすぐに元に戻ったんだろ?」
「……はい」
 魔法使いたちは肯定した。
 でもそれは、想定外だったらしい。
 けれど。
「ならば、術が再びかけられた、ということなんじゃないのか」
 至極簡単な結論だ。
 魔法使いどもを見渡しても、だれも是と言わない。
「だから言ったんだ。捕らえるんじゃなくて、殺せ、て」
 イヴリアーデがそういって頬杖を突くと、魔法使いたちが動揺した。
「おまえたちの言い訳は知っているよ。殺傷力のある魔法はまだ開発できてない、というのだろう? でも殺す方法なんていくつもあるだろうよ。そもそも結界のほうは爆薬を使って壊しておいて、どうして魔法使いを殺すのにそんなに躊躇うんだい?」
「そ、それは……」
 魔法使いたちは言いにくそうにしているが、その理由も知っている。
 ヘテロクロミアだからだ。
 妙な噂だか伝説だかがあって、左右の瞳の色が違う人間を人々はやたらと恐れている。
 イヴリアーデはむしろ、オラディオン中の、いや世界中のヘテロクロミアを殺してやりたい、とさえ思っているというのに。
 この瞳の持ち主は優れた魔法使いの証だ、なんていうのは大嘘だ。
 すべては国の伝説を美化したいオラディオンの悪習だ。
 どうしてそんなものに、イヴリアーデの人生が左右されなければならないのか。
 忘れることすらないが、目の前に突きつけられるたびに腹が立つ。
 忌々しい、オラディオンの魔法使いどもめ。
「その女の魔法使いを殺せ。これは命令だ」
「は……、し、しかし……」
「手段はいくらでもあるだろうよ。ナイフ使いくらい我が配下に何人もいる。その術者の特徴と現れそうな場所を伝えよ」
「し、しかし護衛と思われる剣士がついております」
「護衛がいるのか。何人くらいの部隊だ」
 イヴリアーデは自分がひそかに育てている暗殺者を試すのにちょうどいい、と思ったのだが、魔法使いたちは顔を見合わせるばかり。
「い、いえ、、護衛騎士はひとりです」
「剣士がひとり。ほかは?」
「ほかは……わかりません」
「なんだ、護衛はひとりだというのかい?」
「それはわかりませんが……」
 魔法使いたちは歯切れが悪い。
 単にそれ以上の情報をつかんでいないのだろう。
 とりあえず、屈強な戦士に囲まれているわけではない、というのなら、そんなに難しい話ではないように思われる。
 イヴリアーデは立ち上がった。
 この会議にはあまり生産性がない。
 少なくとも、今日は。
 そう思って立ち去った。
 魔法使いたちが浮かべている表情の意味など、どうでもよかった。


 暗殺者を育てている、というと、いい顔をされないが、そういう仕事は必要なものだと思っている。
 いつ使えるようになるかわからない魔法の完成を待つよりも、日々鍛錬をして強くなっていくのが目に見える剣士や弓士のほうが信頼できる。
 そう思うのは自分が魔法をまったくつかえないからだろうか。
 インニルディアで最も多くの魔法使いを配下に置いているイヴリアーデだが、魔法も魔法使いも大嫌いだ。
 だから、配下の魔法使いたちが、自分を信頼するというよりは、ただ恐れているだけなのだ、ということはわかっている。
 できることなら世界中から魔法をなくしたいと思っていることを、隠してさえいないのだから。
「イヴリアーデさま、魔法使いから報告書が届いております」
 側近のルーダの声に、イヴリアーデは顔を上げた。
「書類の仕事だけは早いな、あいつら」
 苦々しい表情で手を出した。
 ルーダは少し驚いてから、手に持っていた紙一枚を渡した。
 普段イヴリアーデは、首都からの重要書類だろうと、魔法使いの報告書だろうと、ほとんど目を通さない。
 見向きもしない、というべきか。
 ルーダに読ませて、必要なところだけ要約して、聞く。
 イヴリアーデは字も読めるし、読んで理解もできる。
 読み書きができない頭領というのは時々いるが、イヴリアーデはむしろ勉強家なほうだった。
 受け取った報告書に目を通す。
 そして何度か読み返した。
「なんだ、これは」
 読んで、吐き出した。
「ふざけているのか」
 そう思わずにはいられない。
 けれど、潜入させている斥候の数、魔法使いたちの繰り返される会議は、時間と手間ばかりかかる代物だが、いまのところ間違った結論を上げてきたことはない。
 こうして書面にまとめてくる内容は、彼らの導き出した結論なのだ。
「……ふざけているのはオラディオンの魔法使いか」
 イヴリアーデは息を吐いて、自らを落ち着かせる。
 報告書は、結界の術者と思われる魔法使いとその一行についてだった。
 主人が問いかけてきたので、こうして報告書がすぐに届けられたのだろう。

 術者。性別、女。十代後半から二十代程度。外見的特徴、小柄、黒髪、黒と紫の瞳、青いドレスを着用。
 移動は馬車。側仕えの少年、ひとり。
 護衛剣士、一人。性別、男。十代後半から二十代程度。制服のようなものを着用。白いマント。東部では見たことのないものなので、この術者の専属か。
 確認されたこれまでの行動。……。

 どうやら馬車で東部にやってきた、ということのようだ。
 つまり常時リャンにいるわけではなく、それなのに結界の要ということは、この女魔法使いを殺せば、あの国の魔法結界すべてが解かれる、ということにはならないだろうか。
 その時のことは別に考えておかねばな、と思いつつ、再び同じところに目を止める。
 黒と紫の瞳。
 忌々しい。
 やはり左右で色の異なる瞳の持ち主は、すぐれた魔法使いなのか。
 この女も、忌々しい体験をしたというのか。
 そして、青いドレス。
 なんなのだ。
 まさか貴族令嬢なのか。
 リャンで確認された魔法使いらしい人物は、皆、白くて裾の長いローブを着用していたはずだ。
 従者か弟子かわからないが、数人を引き連れていることもあるという。
 これは、いままでのとは違う存在だ。
 なるほど、特別な力、地位、なにかを持った、特別な存在なのだろう。
 しかしドレスの令嬢、護衛の剣士、側仕え。
 本当にたったこれだけだというなら、まるで観光旅行だ。
 小さな結界が各地で不調をきたしているから、この女は首都かどこかからわざわざやって来たはずなのに、危機感がまるで伝わってこない。
 そう思うのは、イヴリアーデだけだろうか。
「ルーダ」
「はい」
 呼ばれてルーダは再び驚いた。
 ずっと隣にいるのに、いやずっといるがゆえに、名を呼ばれたことなど滅多になかった。
「この魔法使い、どう思うかい?」
「どう、とは?」
「僕たちが自分に注意を向けている、つまり見張られている、ということに、気づいていると、思うかい?」
 意見を求められたのも初めてだった。
 だから、でも、ルーダは淡々といつものように答えた。
 そして返って来た答えに、イヴリアーデは応じなかった。
 視線を窓の外に飛ばしただけ。
 それは、彼女の答えが彼の意見とまったく同じだったからだ。