四章 (4)
キャロルはアークトゥルスさまと同じく、神殿の裏口から出て、商店の裏通りを進んだ。
そしてあの宝石商の呼び鈴を鳴らす。
キャロルがひもを引っ張るのを見て、アルサフィナが面白そうに目を輝かせた。
アルサフィナの目には、あれがどんなふうに見えるのか、聞いてみたいと思ったけれど、すぐに扉が開いたので、口に出せなかった。
「ようこそいらっしゃいました、キャロラインさま」
店主が現れ、アークトゥルスさまに対してやっていたのと同じ礼をした。
キャロルはやはり、彼らのような魔術師と同等に扱われているようだ。
キャロルもドレスをつまんで腰を落とし、挨拶を返す。
格好だけではなく姿勢も凛としていて、貴族令嬢と言われたら信じそうな所作だ。
「先刻はありがとうございました」
キャロルはまずそう言った。
先刻とは、なんだろう。
もちろんあの石のペンダントのことだろう。
でも、石を選んで届けさせたのは、アークトゥルスさまが試しに、という感じだったのに。
キャロルからすると礼を言うことなんだろうか。
彼女のあとに続いて、再び店内に入る。
アルサフィナはまたも目を輝かせてキョロキョロしている。
「龍のうろこはいかがでしたか」
「問題ありませんわ。素晴らしい石です」
店の人に答えながら、キャロルはうっと身に着けていたペンダントを外した。
差し出された盆の上に乗せる。
「装飾加工いたしますか」
「ええ、お願いするわ。ペンダントの意匠見本などありまして?」
「すぐにお持ちします」
キャロルはてきぱきと依頼し、勝手に座った。
アルサフィナはふたりのやりとりを、目を輝かせて聞いている。
この少年はなにか、こういうことに興味があるのだろうか。
ここへきて、再び蚊帳の外なのは、アルスだ。
自分がここにいても、何の役にも立たないと思う。
ここは魔術師の結界の中だというし。
そして店主がなにやらケースを持ってくると、飛びつくようにアルサフィナが覗き込んだ。
一方でキャロルは、いま思い出したかのようにアルスを振り返り、手招きした。
呼ばれたので近寄っていったが、アルスの顔に疑問が浮かんでいるのがわかったらしく、キャロルは珍しく、正面からアルスのほうを見た。
わかってはいるのだけど、そうして見られると左右の瞳の色がはっきりと違うのがわかって、少し身構えてしまう。
だから彼女は普段、斜めに人を見るのだと思う。
「他人事のような顔をしていないで、一緒に見てほしいわ」
「え? いや、俺は魔法のことはまったくわからないし」
「魔法のことではなくて、ペンダントのデザインのことですわ」
「えーと……。やっぱり俺にはよくわからない分野だと思うよ」
正直に言うと、もう、と呆れたような笑ったような顔をされた。
「龍のものが多いんですね!」
熱心に覗き込んでいたアルサフィナが、用意の整ったらしい店の人に訊ねている。
「そうですよ。ここは水の都ですからね」
「水の神様は、水の魔法の力を吐き出してくれるんだよね」
「そうですよ。リャン湖にすむ龍神の伝説です」
「龍神さまって本当にいるの?」
「どうでしょうねぇ」
子どもらしい質問に、店主はにこにこと対応している。
「龍神の伝説?」
アルスはなんとなく呟いた。
もちろん初めて聞く言葉だ。
「あら、知らない?」
「聞いたことはないかな」
「魔法の源や封印の話にも関わりますので、一般の方が耳にする機会はないと思いますよ、お嬢さま」
「ああ、そういうものなのね」
店主の言葉に、キャロルは頷いた。
アルスは今まで、どちらかというと特権階級と呼ばれる側にいたので、一般の人として扱われるのがなんだか斬新だ、なんて思っていた。
「さてキャロラインさま。当店の水の意匠でございます」
「そうね、本題に入らなくちゃ進まないわ。まず、お勧めは?」
「龍のうろこは、石を龍で包み込む形が良いと言われています」
「石の効果に影響がありますの?」
「多少は。お好みに問題なければ、この三パターンあたりが適していると思われます」
「こっちのは、適用外ですの?」
「いえ。残念ながら、前例がありませんので効果の良し悪しもわかりません」
「ああ……そうですわよね」
何の話をしているのか、アルスにはやはり全然わからないけれど、アークトゥルスさまがここで交わしていた話の内容と、なんとなく似ているように感じた。
きっと、キャロルとアークトゥルスさまの、この石に対する知識が同じくらいだからだ。
「アルサフィナはどれが一番この石の台座に相応しいと思うの?」
「僕にきくんですか、キャロル姉さま」
「だってあなたが一番一般的な目をもっているのだもの」
「騎士さまよりも、ですか?」
「アルスはね、確かに魔法の力はないけれど、この石は特別なの。そしてアルスも、特別なのよ」
特別?
アルスは一瞬、思考が止まってしまった。
自分のなにが、特別なんだ?
「えっと。すみません、姉さま。騎士さまが特別、の理由がわかりません」
いつものように素直に謝って、申し訳なさそうにアルスをちらっと見た。
アルスだってアルサフィナを責めるつもりはない。
だって、自分でもなにが特別なのかわからないのだから。
「でもアルサフィナ。アルス、という名前、正式にはなんというか、わかるかしら?」
「え? えっと、アルス……アルス……うん? アルスラーン、ですか?」
「そうよ。それは本来はどういう名前かしら」
「王様の! 王族の名前です!」
「そうね。王族以外の人がこの名前を持っているのは、それだけで特別な証拠よ」
「ちょっと待ってくれ!」
アルスは思わず声をあげた。
割り込んだといってもいい。
でも言わずにはいられない。
「名前が特殊だから、君は俺をここへ連れてきたのか?」
ある程度の知識があれば、アルス、と聞いただけで本当の名前がわかるだろう。
だからキャロルもすぐにわかったはずだ。
この名前のおかげで、すぐに覚えられたり、からかわれたりすることはあった。
まさか、それと同じじゃ、ないよな?
「本来の仕事ではないことに巻き込んで、連れまわしていることは謝りますわ。ごめんなさい」
キャロルが、あの突き放した丁寧語で謝った。
なんとなく、体温が下がったような気がした。
「ちがう。それはいいんだ。そうじゃないんだ」
アルスは自分が何が言いたいのかわからなくて、言葉が続かない。
キャロルはアルサフィナのほうを向いていた体を、座ったまま背筋を伸ばしてアルスに向き直った。
「アルス。アルスラーン」
そして、名前を呼んだ。
「あなた、子どもの頃は、別の名前があったのではなくて?」
「え?」
突然そんなことを言われて、アルスは困惑した。
別の名前? あっただろうか?
「いや、覚えてないが」
「そう。でもアルスラーンという名前は、たとえ名門貴族でも、生まれてきた赤ん坊に付けてはいけない名前なの。知っているでしょう?」
「ああ」
「だからあなたの名前は、ある時点で変えさせられたのよ」
「は? なんのために?」
「なんのため、ねぇ。目印、かしらね」
キャロルが少し、困ったように答える。
「目印?」
「そう。この国は、人々が思っているよりずっと、ものすごく、魔術師の影響力が強いのよ。きっとあなたのご両親は、あなたを魔術師に渡すか、名を変えて手元に残すか、二択を迫られたのだと思うわ」
「待って! どうして? 俺には魔法の素質はないって、君たちはみんなわかるんだろう?」
「わかるわ。見ればわかる。そして魔法の力が強い子どもは、生まれるとだいたいすぐに、魔術師の育成機関が引き取っていくの。例外はお金持ちの貴族だけよ」
「じゃあ俺は……?」
「あなたは魔術師じゃなくて、その体質、えっとほら、あなたが自分のことを漏斗って言ったじゃない」
彼女がその単語を口にすると、宝石商の店主が小さく吹き出した。
神殿の地下でのキャロルの反応と同じだった。
魔法のことが分かる人には、おかしな例えに聞こえるらしい。
「体質? 目印? え? じゃあ……」
イシルとラルフは、と口にしようとしたら、止められた。
座っていたキャロルがふわっと一瞬で立ち上がり、アルスの唇に指をあてた。
まるで魔法のように言葉を封じられる。
ああ、いや、魔法なのか。
「ほかの人のことは秘密。あなたのことも内緒よ。アークトゥルスどのとスピカどのは、なんとなく気づいている様子だけど、あなたが〈水の器〉だということは、そうね、国家機密級ね」
キャロルが冗談ぽく言って、指を話した。
息が出来なかったわけではないけど、その瞬間に思わず大きく息を吸ってしまった。
「姉さま、肝心なところが聞こえませんでした」
「あれは内緒話の魔法ですよ、坊ちゃん」
「ちぇー」
キャロルが椅子に戻るとアルサフィナが少しつまらなさそうにしたが、店主が微笑んでなだめている。
いまの会話は聞こえなかったということか。
魔術師寄りの存在である彼らにさえ秘密なのか。
「そんなことよりアルサフィナ、石の台座を選ぶのを手伝ってちょうだいな」
「はい! もちろん! でもまず姉さまの好みが一番じゃないですか?」
「そうねえ」
そしてふたりはまたアルスを蚊帳の外にして、師弟というよりは姉弟のように、デザイン選びを再開したのだった。