ただ朝早いというだけで、そしてみんながきれいな服を着ている、というだけで、それ以外は別段いつもと変わらない朝食の席が設けられていた。
ニールメイアさまのお祈りもいつもと変わらない。
タリスンはいつもの服を着ていたのでいつもどおりだったが、サーヴィシャールきれいな服だったので、汚さないように前掛けをつけさせられていた。
違うと言えば、それくらいだ。
あんまり朝早いのでぼーっとしていた用意の時間とは違って、食べたあとの食器運びはタリスンがするように言われた。
みんなが忙しそうにしていたので、タリスンもあまり不平は感じずに木の碗を持って運んだ。
気がつくとファンダーラの姿は見えなくなっていて、レイザラードとターナが真剣な顔をして神殿の入り口に立っているのを横目でちらちらと盗み見ていた。
みんな、緊張しているのかな、とタリスンは思う。
やがてニールメイアさまが子どもたちを呼んだ。
するとタリスンは兄とお揃いの剣士のマントを羽織らされた。
それを身に着けるのは初めてで、ちょっとわくわくした。
まだ薄暗い外に出て、けれど東の空が少し明るくなっていることに気付く。
レイザラードとターナを中心にして七人の子どもたちが並ぶ。
視線の先は東の森。
そこには唯一この神殿から外へと続く道がある。
太陽が昇り始めたらしく、森の木々の間から光が差し込み始めた。
子どもたちよりも前に、星の錫杖を手に持ち、白いヴェールを被ったニールメイアさまと、青のマントを羽織って、手に木の杖を持ったファンダーラがいる。
そして子どもたちが見守る前で、それは姿を現した。
木々の間に、光と同じようにちらちらと見え始め、やがてそれが馬に乗った人……神官と神官剣士であることが見て取れる。
(う……わぁ……)
現れたのは四人。二人は水色の長いマント……それはローブというらしい、後で聞いた……の水の神官で、あとの二人はそれぞれの護官なのだろう。一人は青のマントを、一人は赤のマントを身にまとっている。
(あれって……炎の神官剣士?)
タリスンはその人物に視線が吸い寄せられる。
まさに自分がなりたいと思っている姿だったからだ。
しかも彼は黒い髪がつんつんと立っていて、まるでタリスンのようだ。
(か……かっこいい!)
これが見られただけでも、今日は早起きして良かった、とタリスンは思った。
彼らが神殿の前の広場に到着すると、ニールメイアさまが進み出た。
四人は馬から下りて、二人の神官がニールメイアさまと向かい合う。
そしてそれぞれの錫杖を掲げあう。
「われらの世界に安泰を」
挨拶を交わすとニールメイアさまが場所をファンダーラに譲る。
ファンダーラはいつもと変わらぬ優美な足取りで、街から来た試験管の神官の前に進み出た。そして跪く。
二人の神官はファンダーラの頭上に錫杖を掲げた。
同じ水の錫杖でも、二つは形が異なる。
「世界を構成する水に支えられし者よ」
「汝が生まれ落ちたこの日に、汝が星の行く手を示さんことを」
神官の言葉にファンダーラが手を横に引くようにして礼をする。
タリスンははじめてみるこの光景に、これも儀式のひとつなんだろうなとぼんやり思う。
神官の儀式には資格がないと臨席できない。タリスンにはその資格は、まだ、ない。
ファンダーラが立ち上がった。
水の神官も、青い髪の人は一歩下がり、金髪の人が懐から書簡を取り出す。
「ファリスタ星神殿、水の神官候補生ファンダーラ。星暦317年水の二の月、二日生まれ。星暦323年、水の二の月入殿。相違ないか」
「ありません」
読み上げられたのはファンダーラの経歴だ。
水色の波打つ髪を揺らしてファンダーラがうなずく。いつも紐で結わえているその髪を自然のままに背中に流している。
「では本日、星暦333年水の二の月、二日。準神官試験を執り行う。汝、何を成すか」
長い金髪を後ろで結っているらしいその水の神官の問いかけに、ファンダーラはさらり、と答えた。
「水鏡による先読みを」
二人の水の神官が一瞬たじろぐように後ずさった。
彼らはちらり、とこの神殿の神官でファンダーラたちの教育係でもあるニールメイアに視線を投げたが、彼女は相変わらず穏やかに微笑んだままだ。
そしてタリスンがその雰囲気を理解できずに仲間の年長者たちに目をやると、レイザラードもターナも、どうやら水の神官を見つめているようだった。
ちら、と隣の兄に目をやると、こちらもやや当惑したような顔をしている。
さらにその隣の黒髪の少女も同様だ。
逆の隣に目をやると、サーヴィシャールと目があった。
年少組は皆、タリスンと同じくよく分からないけれど、ということらしい。
年長組に入るもう一人の赤毛の少女は、なぜか泣き出しそうな顔をしていたが、タリスンには理由なんて解らなかった。
「それでは聖堂へ」
ファンダーラが先頭で歩き出す。
水の神官とその護官、それからニールメイアさまが歩き出すと、距離をおいてレイザラードが歩き出した。
子どもたちはそれに続く。
年少の四人はまだ聖堂に入ってはいけないことになっていたので、どうするのかな、と思っていると、聖堂の入り口でターナが四人を手招きした。
「手ですくって口を濯いで」
そこには桶に聖水が用意してあった。
言われたとおりにして、四人は再びターナに連れられて歩き出す。
初めて入った聖堂の感想は、ものすごく天井が高い、ということだった。
中央にファンダーラたちがいる。
先に入っていたレイザラードたちの傍に寄ると、全員を確認したレイザラードが座っていいと手で示した。
タリスンたちが腰を下ろして顔を上げると、けれどレイザラードだけは立ったまま、あまり見たことのないような真剣な顔をしていた。
「世界を構成する、水よ」
ファンダーラの声が響いて、タリスンははっと視線を最年長の仲間に向ける。
タリスンは八歳、ファンダーラは十六歳。最年少と最年長だ。
「我らを支える、水よ。我らを導く、星よ」
凛とした声が高い天井に吸い込まれる。
「我、汝の声を聴く者なり。そして、請う。ここに、われらが行く道を示したまえ」
用意されていた大きな水盆の上をファンダーラが杖を振るった。
水盆がぼんやり光だしたので、タリスンはそれを見つめていた。
けれど周囲のみんなが息を呑んだので慌ててその理由を探して視線を上げる。
そしてファンダーラの身体が光っていることに気づいた。
いや、実際はそんな風に見える、というだけだったのだが、あとで聞いたところによると、それは光の精霊が集まっているからだとかなんとか。
だからそのときは光源がなんなのか解らずすごく不思議な光景だった。
その光はだんだん広がり、聖堂の中をて照らし出す。
特にファンダーラの頭上の光はなんとなく青い色を帯びていて、それが布のように、手を伸ばせば触れられそうに見えた。
揺らめくそれは、風にはためくカーテンのようだ、と思った。
「世界を構成する、水よ」
ファンダーラがとん、と杖を床に突いた。
「我らを支える、水よ」
ファンダーラの声に合わせて水盆の水が揺らめく。
それからファンダーラは杖を持ち、水盆の上を薙いだ。
「我らを導く、星よ」
タリスンは、びっくりして身を乗り出した。
隣のサーヴィシャールが口の中でうわぁと声を上げた。
横に振られた杖から、星が弾けとんだのだ。
(あれって何だろう――!)
すごくきれいだ、と思った。
「我、汝の声を聴く者なり」
今度は杖を高らかに掲げた。
すると聖堂の中がまた一層明るくなった。
(すごい――!)
タリスンはかなり感動していた。
(すごいすごいすごーい!)
どうやっているのだろう。
どうしてあんなことができるのだろう。
そして最後にファンダーラは杖を水盆に向けた。
「そして、請う。ここに、我らが行く道を示したまえ」
杖に指し示された水盆の水面が、ざわめくように揺れた。
タリスンは鶏小屋の掃除をしながらぼんやりしていた。
「手が止まってるわよ、タリスン?」
声をかけられてはっとする。
「あ、ターナ、ごめんなさい」
慌てて掃き掃除を再開する。
けれど頭の中はさっきの光景で一杯だった。
先読み、というのは時間がかかるそうで、あのあとはただひたすら水面に映し出された星を読み解くのだそうで、星の見えない子どもたちはターナに引き連れられてこうして日常の活動を行っている。
ただ、レイザラードだけは、残って見学しているという。
(レイはファンダーラの一つ下だし、神殿に来たのも一年違いだっていうから……レイもああいうことが、できるのかな?)
そして、いつかいなくなっていくのかな。
そう思うとタリスンは寂しくなる。
「ほーら、タリスン?」
再び年長の少女に声をかけられる。
(ターナも、レイと同じ歳だよなあ……。みんないつか、いなくなっちゃうのかなあ……)
顔を上げたタリスンの表情を、ターナがどう思ったのか、彼女は手にしていたかごを置いてタリスンの前にかがんだ。
「どうしたの。ファンダーラの星に感動したのかしら」
「う、うん……。ファンダーラ、すごいね」
ターナは、やさしい。
十四歳だけどお母さんみたいだ、とタリスンはときどき思う。
お母さんにはもう、一年以上会っていない。
だからときどき甘えたくなってしまうのだ。
たった一人でやってくるみんなと違って、自分には実の兄が一緒にいるのに。
ほかの人ほど寂しくないはずなのに。
「だから、ファンダーラは、きっといなくなっちゃうんだね」
ここにいる人は、みんなやさしい。
口が悪くってタリスンのことをガキだって言うファンダーラだけど、わかんないことを訊けばタリスンにわかるように教えてくれる。
「タリスンは、ファンダーラがいなくなるのが寂しいのね」
そう言われて。
タリスンは一瞬慌てた。
「えっと、あの、ううんとっ」
寂しいなんて、言ってない。言っては、いないけど。
「わたしも寂しいわ」
「……タ、ターナも?」
ターナがそんなことを言うのはあまり聞いたことがなかったので、タリスンは目を丸くして六つ年上の少女を見つめる。
「だってわたしなんて、ここに来たときはファンダーラとレイしかいなくって、二人とはもう六年も一緒にいるのよ。準神官になってくれるのは嬉しいけれど、やっぱりいなくなるのは寂しいわ。レイも同じよ」
「六年……」
そうか、そうだよな。
自分よりターナやレイのほうが親しいのだ。寂しくないはずがない。
「でも、ファンダーラは行かなきゃ」
「え?」
ターナの紫色の瞳がきらりと光ったように思えた。
「ど、どうして?」
なにか強い理由があるみたいに聞こえて、タリスンはたずね返す。
「世界が動き出す。星がそう言っているの。わたしにはまだよく読み取れないけれど、ファンダーラも、レイも、そう言うわ。そしてその星の動きは今のままじゃいけないんですって。だから、ファンダーラは行くの」
「星が、動く?」
「ええ」
タリスンにはよくわからなかった。
もとより彼は神官候補生でもないし、そうであったとしてもターナの言うことはわからなかっただろう。
(星が、動く――?)
それはどういう意味だろう。
「でも、いいこと、タリスン」
ターナは難しい話の解説なんかは一切しないで、タリスンの目を覗き込んできた。
「ファンダーラはここからいなくなるでしょう。でも、わたしたちがこの神殿で育った仲間であることに変わりはないの。いつかレイや、あたしやほかのみんなが神官になって、あなたたちが護官になって、みんなばらばらになったとしても、あたしたちは変わらないのよ」
タリスンは目をぱちくりさせた。
いつか、みんなばらばらになる?
兄貴とも? サーヴィシャールとも?
タリスンは考えたことがなかった。
けれど彼らが目指しているのは、そういうことのはずだ。
いつまでもここで見習いをしているわけにはいかない。
「うん……そうだね」
そう、仲間だ。そんなの、当たり前じゃないか。
「さ、そういうことだから掃除をしなさい」
ぺん、とおでこを叩かれてタリスンはあうっとうめいた。
「ほんとにもう、どうして炎の属性はみんな感傷的なのかしら」
怒ったふうでもなくターナは呟いて、自分の仕事に戻っていく。
そういえば聖堂で見かけた赤毛の少女は泣き出しそうな顔だったけれど。
(俺って、そーゆー顔してたのかな?)
むむむとうなってからタリスンは、急いで鶏小屋掃除を再開した。