硝子の家は、四方八方畑で囲まれていて、隣の家の青い屋根は、二階の窓からしか見ることができない。
 両親と三人、自給自足の生活に、物足りなさを感じることはあまりなかった。
 周りの畑のほとんどは、硝子の家の土地で、花も野菜も育っている。
 硝子は、この畑のなかを歩いていると、不思議な気分になることがある。
 目の前を、時間がない、といってウサギが走り、不思議の国へと続く穴をみつけることができるような、そんな気分に。

 硝子は、井戸の横を歩いて畑に向かっていった。
 キャベツ畑を横切るとき、足下でがさごそ動くものがあった。
 硝子が覗き込むと、白い猫がこっちを見ていた。
 猫はニッと笑って
「まだ早いよ」
 と言った。
 硝子はびっくりしてまじまじと猫を見ようとしたが、猫はもうそこにはいなかった。

 花を育てているビニールハウスの入口の取っ手に手をかけた。
 すると後ろから声を掛けられた。
「あのう、風見鶏のおうちは、どっちですか」
 そこには小さな小さな白い天使がいた。
 硝子はびっくりして、思わず赤い屋根の自分の家を指差した。
「ありがとう」
 天使は白い羽をぱたぱたやって飛んでいった。
 硝子はビニールハウスに入るのをやめて、家に戻ることにした。

 家の近くの焼却炉を、黒いカラスが歩いていた。
 よく見ると、白い蝶ネクタイをつけている。
 硝子はびっくりしてカラスに近づくと、カラスは、
「あかん、寄り道しすぎた」
 といって飛び立った。
「あんたも急ぎなはれ」

「急ぐって、なにを?」
 カラスに向かって硝子はたずねた。
「見なはれ、風見鶏が回ってはる」
 見ると、確かに屋根の上の風見鶏は、くるくると回っている。
 硝子は急いで行って、玄関の戸を開けた。
 するとそこは見慣れた玄関ではなかった。
 かわりに真っ白なホールがあり、猫と天使とカラスがいた。
「これで全員そろったかい?」
 猫の声を合図に、周囲の風景が変わった。
 辺りは一面ピンク色。ここは、どこだろう? ひとりぼっちだろうか。
 硝子がピンク色の世界を見回すと、さっきの白い猫が歩いているのが見える。
 硝子は急いで駆け寄った。
「猫さん!」
「おや、硝子じゃないか」
 白猫はチロっと硝子の顔を見て名前を呼んだ。どうして名前を知っているのだろう!
「猫さん、ここはどこ? どこに行くの?」
「あたしゃルーシーのところへいくのさ」
「ルーシーって、誰?」
「何を言ってるんだい、あんた。ルーシーっていったら風見鶏のルーシーだよ」
 風見鶏と言うと、うちの屋根にある、あれ、だろうか。ルーシーっていう名前だったの?
「それで、そのルーシーのところにはどうやっていくの?」
 硝子がそう言うと、二人の前に扉が現れた。赤い、扉だ。
「ね、猫さん、この……」
「あたしゃキキルだよ」
 白猫は突然名乗った。キキル? 変な名前……。
「ショウコだって変な名前じゃないか」
 そうかな。確かに、ガラスっていう意味だけど。
「それで、キキル、このドア……」
「そのドアを開けておくれ」
 この白猫はあたしが考えていることが分かっているんじゃないかしら。
「あたしゃこのドアはくぐれない。あんた一人で行って探してきておくれ」
「探す? 何を?」
 もう少し分かりやすく説明してくれないかしら、と硝子は口をへの字にする。
「最近ルーシーの元気がないんだよ。だから風が吹かないだろう?」
「ルーシーの元気がないのと、風と、どういう関係があるの?」
「風見鶏が回らなきゃ、風が吹かないだろう」
「風が吹くから、風見鶏が回るんじゃないの?」
「何を言ってるんだい!」
 話にならないね、という顔で白猫のキキルは鼻を鳴らして、それから前脚で顔を洗う仕草をした。
 何の話をしてたかしら。喋らなくなってしまったキキルを前に硝子は頭を巡らした。
「そうそう。それで、あなたはあたしに何を探してきてほしいの?」
 するとキキルは足の裏を舐めながら硝子を見上げた。
「それが分からないんだよ」
「??」
「ルーシーはとても大切にしていた宝を失くしてしまったんだそうだよ。だから元気がないんだ。だがその宝っていうのが何なのか分からない」
 キキルはお座りをした状態で俯いて説明した。それからうーん、唸るような声を出して、ルーシーは何を失くしたんだ? と呟いた。
 風見鶏が大切にしている物とはなんだろう?
 更にそのルーシーに会ったことのない硝子には見当もつかない。
「ね、じゃあ、例えばキキルが大切にしてるものって、何?」
 突然の質問にキキルは目をぱちぱちさせた。
「あたしゃこれが大切だね」
 キキルが鼻を向けた方向を見ると、いつからそこにあったのか、木製の爪砥ぎ板が置いてある。それから赤い柄のついたおもちゃの手鏡。
「あら、これ、あたしのじゃない」
「何を言ってるんだい!」
 キキルがどうやら口癖らしいこの言葉を叫んで、毛を逆立てて見せた。
「それは焼却場で拾ったんだ。あんたのじゃないよ」
 その赤い手鏡は何年も前に捨ててしまったものだった。
「まあ、いいわ。猫の好きなものが爪砥ぎ板と手鏡か……」
 硝子は再び考え始めた。
「ルーシーはあたしゃより人間が好きだったから、人間のものかもしれないねぇ……」
「人間のもの……?」
 硝子が呟くと、目の前にいた白猫のキキルの姿が消えた。キキルの爪砥ぎ板も、赤い手鏡も、扉も、消えた。

 見回してもあたりはピンク、ピンク、ピンク。
「あら?」
 硝子は、向こうの方できらっと光るものが目に付いた。
 近づいてみると、金の指輪だった。
「これっていつだったか、お母さんが失くしたんじゃなかったかしら」
 その金の指輪を拾い上げて、硝子はふと思いついた。
「ひょっとして風見鶏は、金目のものが好きなんじゃないかしら」
 急いで指輪が落ちていたまわりを探すと、見た事のないコインが落ちていた。
 指輪とコインを右のポケットにぽいっと放り込む。
「ほかにはないかしら」
 辺りを見回すと、青い扉があった。
「おかしいわ。さっきまでドアなんてなかったのに」
 硝子が青いドアを押し開けてみると、その向こうは、一面水色だった。
 くぐろうか、どうしようか、と思ったら、ドアは消えてしまった。
 そして……