トリック・オア・トリート 1.ロンド
「トリック・オア・トリート!」
突然、かけられた声に、ロンドは足を止めた。
「ほえ?」
ふわり、とありえないオレンジ色の法衣を翻して、自分の半分くらいの背丈の子どもを振り返る。
そこにいたのは、女の子。
栗色の髪の毛を二つに分けていて、レースのついたブラウスを着ている。
たぶん、普通の、女の子。
「お嬢ちゃん、お兄ちゃんに声かけたかな? んん?」
「うん! だってお兄ちゃん、オレンジ色のマントしてる!」
それは、違う。
ロンドが身に纏っているものは、確かにただの「衣装」だ。
けれど、これは現宇宙において最高の教育機関、ユニバーサル・ユナイテッド・ユニバーシティ、通称『U.U.U』、ま、そこの学生たちは単にユニとかユニブと呼んでいるが、そのエリートの大学であるユニブで授与される法衣を模した「衣装」だ。
そう、模しただけ。
似せてあるだけ。
ロンドは、本物の法衣が嫌いだ。
実際の法衣に、オレンジなんて色は、ない。
最高位の法衣は赤だ。
あとはみんな地味な色だ。
けれど、そんなことはどうでもいい。
つまるところ、これは法衣であって、マントではない。
「オレンジ色のマントが、どうしたの?」
面白そうだと思ったので聞いてみる。
この子の保護者はどこにいるんだろうねえ。
「この前行ったファンシーランドの、オレンジ色のマントの魔女さんは、お菓子をくれたの!」
そしてぱっと手を差し出す。
小さなてのひらは、何かを要求している。
えーと?
お菓子をくれたって?
なんだ、それ?
ロンドははて、と考える。
この子どもは、遊びに行ったファンシーランド、要するに遊園地のことだが、そこのイベントの何かと一緒だと思ったらしい。
キーワードは、オレンジ?
ロンドは考えるときの癖で、ぽろん、と片手の竪琴を爪弾いた。
すると子どもがぱっと注目する。
なにか芸でもすると思っているのだろうか。
それにしても。
(このガキ、どっから入ったんだ?)
ここはウェスティカに属する小さなスペースポートで、当然、現在は厳戒封鎖の憂き目にあっている。
だから一般人は入れないか、あるいは追い出されたかしたはずだ。
それを確認したから、ロンドはここに入ってきたのに。
(てことは、迷子?)
ぽんぽんぽんぽろん、と、竪琴をかき鳴らす。
するとふわり、とロンドの身体が浮いた。
うわあ、と女の子が目を輝かせる。
「魔法使い!」
無邪気に喜ぶ顔が珍しくて、ロンドはちょっとそれを見下ろす。
こんなことは、朝飯前だ。
ロンドの得意分野だ。
これだったら、誰にも負けなかった。
今は……もう、どうでもいいと思っているけれど。
ぽろんぽろんと意味のない旋律をいくつか紡ぎだし、そして、女の子を見下ろす。
「ねえ、さっきの呪文、もう一度教えてよ」
「じゅもん?」
聞きなれない言葉だったのか、子どもは鸚鵡返しに答える。
「そう。なんていったらお菓子がもらえるんだっけ?」
すると意味がわかったらしく、女の子はまた、手をぱっと突き出した。
「トリック・オア・トリート!」
(いたずら……?)
やっぱり意味がよくわからない。
スペルの類ではないのだろうか。
ロンドは素早く指を動かし、ひとつの波動を生み出す。
そして特定の周波数にリンクする。
もしここに、魔法使いの類の連中がいたならば、その変化に気づいただろう。
この場所と、ここではないどこか別の場所が、繋がった、ということに。
「ハロー、ハロー、エディちゃん?」
ロンドはまるで友人に電話でもするように話しかけた。
返事より先に先方の周波が一瞬乱れる。
逆探知をしようとしているのだ。
別にされても構いはしない。
『どうしましたか、吟遊詩人さん』
そして可愛らしい声が返事を寄越す。
「うーん、ちょっとね。聞きたいことがあってさ」
『それなら僕も聞きたいことがあるんですけどね。あなたは今どこにいるんですか』
「悪いけどそれはまたあとで。あのね、エディちゃん。今期総合三位の秀才、エドワード・トリスンくん」
相手の様子なんて気にしないで、話を続ける。
「こんなスペルを知ってる?」
『スペル、ですか』
「そう。トリック・オア・トリート」
沈黙。
エディから返事は返ってこない。
自分が知らなくて、こいつが知らないとなると、これは魔法がらみではないということだろうな。
となると地域伝承か。
そういうのはあまり、得意じゃないんだが……。
『そういうことはあまり得意分野ではないんですけど』
しばらくしてエディの声がした。
「うんうん。けど、なに?」
『それはサウセリア六十番区辺りの伝承の一つで、現在はウェスティカ地方を中心に、収穫祭のころの祭の一環として残っている、子どもの遊びじゃないでしょうか』
「ひゅ〜、詳しいね」
『いえ、僕の友人にこちらの分野がいますから』
「ふーん? お友だち、そこにいるの?」
『いませんよ。言ったでしょう、今日から休暇だって』
つまりそれは同郷の友人じゃなくて、ユニの友人ってことか。
ま、どうでもいいけど。
「それで? このスペルはどういう効果があるの?」
『スペルじゃありませんよ。遊びの決まり文句です。お菓子をくれないと悪戯しちゃうよ、て意味で、そう言って子どもたちがお菓子をもらって歩く遊びです。まあ、起源がどうだったかまでは知りませんけどね』
「あ、じゃあ、なに? これ言われたらお菓子あげなくちゃいけないの?」
『言われたんですか?』
「お菓子以外でもいいのかねえ?」
さてと、と視線をやれば、女の子は飽きずにそこにいた。
ぷかんと浮かんで、見えない相手と会話している、オレンジのマントの人が珍しいのだろう。
もちろんこんなヤツ、そうそういやしない。
『吟遊詩人さん。あなた、ウェスティアに入りましたね?』
「なるほどね、わかったよ。ありがと、エディちゃん」
『今現在その習慣はほとんど残っていません。あるとするならばウェスティアのファンシーランドの……』
ぷつん、と。
エディの声が途絶えた。
ロンドが周波を断ち切ったからだ。
「頭のいいヤツにはすぐにバレるなあ」
これでロンドの居場所はすぐに突き止められるだろう。
やれやれだ。
ここならちょっとは長居できるかと思ったが、すぐに移動らしい。
まあ、それも面白いけど。
どうせ追いつかれることはないから、置き土産にこの子を置いていけばいいか。
ぽろんぽろろん、と竪琴を鳴らし、周囲を探る。
ここは田舎のスペースポートだが、なんせ近くにファンシーランドがあるくらいだから、土産物屋のひとつもないだろうか、と意識を飛ばす。
そして、見つける。
小さな店舗は綺麗なばかりであまり品揃えはないようだが、子どもの菓子くらいあるだろう。
ぽろろん、と鳴らして焼き菓子の袋に手を伸ばす。
ここにはない、店の商品に手を伸ばす。
ぽろん、と弦を弾けば、ロンドのてのひらに、それが現れた。
ぱっと笑顔が咲いた。
ロンドはにこりと笑って、女の子にそれを差し出す。
「はい、お待たせ。これでいいのかな?」
喜んで受け取った子どもの前で、ロンドは一瞬で笑みを消す。
指先が素早く複雑に動き出す。
紡ぎだされる美しい和音。
そして。
「ありがとう!」
顔を上げた女の子の前に、オレンジ色の法衣の吟遊詩人は、いなかった。
「さーてと」
オレンジ色のありえない法衣を翻して、ロンドはそこへ降り立った。
きょろ、と周囲を見回す。
「んま、さすがにこんなところに人はいないよね」
そしてごろんと横になる。
宇宙警察が駆け回り、宇宙が認める秀才が自分を追いかける。
でも、自分は捕まらない。
だって、逃げるから。
「でもちょっとひとやすみ」
誰に言うでもなく呟くと、ロンドはもう、穏やかな寝息に胸を上下させ始める。
トリック・オア・トリート。
お菓子をくれないと悪戯しちゃうよ。
エディの声が聞こえた気がした。
ロンドはかすかに、微笑んだ気が、した。