トリック・オア・トリート 2.エディ
「その魔術師は、瞬間移動ができるということですかな、エドワードくん」
父ほどの齢の男性に声をかけられ、エディはゆっくりと顔を上げた。
「ああ……はい。多分、この方は得意なんでしょうね。僕では、こうは出来ませんから」
にこり、と穏やかに微笑む。
濃灰色の宇宙警察の制服を着たその人は、エディの相手を賞賛するような言葉に、一瞬ぽかんとして、それから、むっとした。
彼が口を開く……その前に。
「僕たちの間では空間移動と言います」
ユニの用語で指摘する。
「彼は……多分、ユニの『色付き』だと思いますよ?」
ユニバーサル・ユナイテッド・ユニバーシティ、通称『U.U.U』。
そしてそこの学生の間では短くユニと呼ばれている、宇宙最高位の学術機関において全課程終了時の総合成績、上位三名は、ほかの学生とは異なる『色付き』の法衣を授与される。
この栄誉は、大袈裟ではなく、ユニがユニとしてこの宇宙にある限り、保障されているといえる。
その証拠に、初めて顔を合わせた宇宙警察、通称ポリスの現場主任が、息子のような齢のエディに、敬語なんか使ってくる。
今期、総合成績第三席の、エドワード・トリスン。
良くも悪くも、一生着いてくる肩書きだ。
「U.U.U.の色付き……? なんだってそんなヤツが?」
誰かの驚嘆が聞こえる。
ユニの色付き。
それは間違いなく、この世界を動かす人間だ。
……良くも、悪くも。
「データを起こせ! 近年の卒業生だ、まだ若いからな、あの声は!」
手が止まっている部下たちを、主任が叱咤する。
彼らポリスだって、一般的には高学歴な機関だ。
それでもなお、ユニの色つきは特別に見えるらしい。
そしてその色付きたちは、ときに飛びぬけた才能から、奇異の目で見られることも多々ある。
「主任〜。近年十年分の名簿ですけどぉ。色付きさんたちに『吟遊詩人』なんていませんよぉ」
ぴりぴりした主任に声をかけたのは、場違いもいいところな、間の抜けた声だった。
エディがちら、と声の主を振り返る。
「馬鹿モン! なにが吟遊詩人だ! 魔術師を探せ!」
「えー、でもさっきの方、ご自身で吟遊詩人って名乗ってらっしゃったじゃないですかぁ?」
「鵜呑みするなっ!」
怒鳴られて、ひーん、と泣いている彼女の言葉に、エディはふと、考えた。
ここはセンターポートに設けられた、とある事件の捜査室。
なんでこんなところに彼女みたいなキャラがいるのか、少し疑問に思いつつ、エディは、それなら自分も同じか、と思い直す。
たまたま通りかかっただけの、自分。
たまたま、人手に借り出されただけかもしれない、彼女だって。
そして、偶然居合わせた自分たちが追いかけているのは……。
(吟遊詩人?)
容疑者、とか、犯人、とか、ポリスは呼ぶのかもしれないが、エディにはなんでもよかった。
ただ、接触した自分と知恵比べでもしましょうか、なんて言い放った彼を思い出す。
エディが、自分が『色付き』であると名乗っても、「へえ?」しか言わなかった相手のことを思い出す。
だから、きっと。
(彼は……『色付き』だ)
色付きなんか恐れない、たいしたことない、そう思っている。
ちょっと見ただけでも空間移動や空間干渉にとんでもなく秀でた才能を持っているのが窺えるけれど、彼はあえて自分を魔術師ではなく、吟遊詩人と名乗った。
そんな人物が、果たして何人もいるだろうか?
「すいません、捜査官の方」
エディはその女性捜査官に近づく。
ひょろりと背が高く、珍しくめがねなど着用している女性は、けれど近くで見ると、エディより二つか三つか年上なくらいにしか見えなかった。
「はい? そんな〜、捜査官なんて偉そうなもんじゃないですよぉ。普段はただの事務員です」
そして、エディは気づいていた。
とろんとして関係のないことをぺらぺら喋って、へら〜と笑っているこの女性が、ここの捜査官の中で一番最初に名簿を引き出したことに。
「事務員さんですか。すいません、お名前も知らないんでなんて呼べばいいかわからなかったので」
「あは、そうですよね〜。名前はエルギーナ。エルです〜」
「じゃあ、エルさん。さっきの名簿、見せてもらえませんか。ああ、五年分でいいです」
「はいどうぞ、エディさん〜」
エディの名を聞いて、自称吟遊詩人の彼は、さっさとエディという愛称でこちらを呼んだ。
まあ、エドワードという名前がエディと呼ばれるのはよくあることだから、別段おかしなことじゃない。
おかしいのは、追われている者が、追っている者の名を愛称で……しかも「エディちゃん」なんて呼んでくるのは、どうかと思う。
まあ、それが彼の性格なのかもしれないけれど。
そしてそれを聞いていたこの女性は、早速エディという愛称を口にした。
相手が今期の三席だということを忘れたのか、それともそれがどうしたと思っているのか……あるいは、何も感じないのか。
別にエディだって、誰彼にちやほやされたいわけではないから構いはしない。
三席は、実力だ。
周囲から天才と誉めそやされても驕ることはなかった。
そして自分を抑えて主席と二席だったふたりのことはちゃんと認めている。
だからこそ、この法衣に意味がある。
三席にのみ与えられる、三席であることの証。
ユニの深緑の法衣。
この色の法衣は、広い宇宙の中でも、一年にたった一人にしか与えられない。
この法衣を、自分に相応しいと思い誇りに思えるからこそ、こうして纏っているのだ。
示されたコンピュータ端末に手を伸ばす。
初めて見るデータベースだが、迷わず指を走らせれば、すぐに求めていた情報が提示される。
検索。
空間干渉。
たった、それだけの単語を手がかりに。
コンピュータが要した時間はコンマ以下の秒数。
はじき出した解答は、たった、ひとつ。
エディはほんの少し、目を細めた。
そこに現れた不敵な顔の男は、自分とたった一級しか離れていない。
つまり、昨年の卒業生ということだ。
いろいろ問題を抱えた級だという噂があった年だが。
そこで、色付きの法衣を与えられた男。
エディと同じ、深緑の法衣を纏った、男。
「わかりました」
顔を上げれば、主任たちが自分を窺っている。
深緑の法衣を与えられた少年が、何を披露するのか、彼らの瞳はそう語っている。
「見つけましたよ。僕たちが追っているのは、この男です。」
言い切る。
間違いない。
空間交渉と周波伝道を組み合わせた魔術師特有の通信で、エディとのんきに会話を交わしたあの男と。
この資料の不機嫌な顔は一見同じには思えないけれど。
主任に睨まれて、エルギーナが慌ててデータをメインスクリーンに映し出す。
ポリスの目が集中する。
映し出されているのは開示できるだけ開示された、その人の個人情報。
名前も顔も、成績も出身地も。
追われるようなことをしておきながら、隠すつもりは毛頭ないらしい。
彼ほどの腕があれば、いますぐ、たった今すぐ、このデータを非公開に切り替えることだってできるのに。
なのに。
「ロンド……?」
「去年の、三席……!」
赤みを帯びた茶髪に、赤みを帯びた瞳。
その容姿と深緑の法衣は、少しちぐはぐに見えた。
「ロンド・M・アムドゥスキアス」
その名を、口にした。
きっとそれが、自称吟遊詩人の正体。
(知恵比べだと言いましたね)
こっそりと、エディは微笑んだ。
(それなら僕は、負けませんよ?)
勝手に、目の前のコンピュータに手を伸ばす。
それを見ているポリスは、けれど何も言わない。
キーボードの上を指が走る。
ウェスティカ。
トリック・オア・トリート。
キーワードは、それだけ。
そして、『最寄り駅』を検索。
コンピュータが要した時間は、一秒と少し。
「ウェスティカ、121区、ディールティール・ポート。
彼は今、ここにいます」
エディは言い切った。
そうに違いないと、思った。
けれど、素早く指示を出し始めたポリスの声を聞きながら、
きっと彼らが、そうウェスティカ百番区に詰めているポリスがそのポートに辿り着いても、きっとそこに、彼はいないと。
エディはそう思った。
きっと彼はもう……そこにはいない。
121区を、出たかもしれない。
(でも、きっと)
彼はまた接触してくる。
(でも、きっと)
自分は彼を見つけ出す。
でなければ、きっと、彼はがっかりすることだろう。
「トリック・オア・トリート」
だれにも聞こえない声で、エディは呟いた。
「お菓子をくれないと悪戯しちゃうよ」
そして、ひとりで微笑む。
「まあ、ご褒美はお菓子じゃなくて、いいですけど」
どこかで、
ロンドが微笑んだ、気がした。