幻想白夜

 セントラルポートに降り立つと、この街は今、『冬』なんだ、と、アスベルは思い出した。

 アスベルの住むウェスタリカには『冬』がない。
 いくらかの春と、短い夏と、そして残りはずっと秋だ。
 外から見ればそう表現されるらしい。
 けれどそれまではそれが当たり前だったので、四つの季節が一年を四等分して訪れる星のほうがアスベルには不思議な感じだ。
 そして、冬は、寒い。
 別に寒がりということはないと思うが……アスベルはかばんからストールを取り出すと、周囲の目など気にせずに肩を包むように羽織る。
 このストールは、故郷ではシャラと呼ばれる民族衣装のようなものなのだが、どうもこの街では女性の装飾具の延長に当たるらしく、ユニで初めてその視線の意味を知った。
 もちろん、だからといってアスベルが態度を改めることなどなく、こうして中心街でも平気で羽織っている。
 
 だって、寒いし。

 冬のないウェスタリカには、コート、とかいう防寒着がない。
 だから家や土地に伝わるシャラがあるのだけれど、それもやはり発展途上星域だということだろうか。

 スペーストレインのポートを歩いていたアスペルは、ふと、ひとつの乗り場に目を留める。
 あまり人通りは多くない。
 そこは、ユニ……ユニバーサル・ユナイテッド・ユニバーシティ、通称『U.U.U』への直通のトレインが出るゲートだ。
 ここをくぐればあの学校へ行ける。
 あの学校から戻ってくるときには、必ずこの場所に降り立つ。
 
 アスベルは少し、眉を寄せて、早足にその場を通り過ぎる。
 目指している場所は、ユニではない。
 ユニは……いや、よそう。

 深紅の法衣の下、腰に下げられたワンドにそっと手を当て、アスベルは毅然と顔をあげた。

 通り過ぎれば人が振り返る。
 ユニの深紅の法衣に向けられる数多の視線。
 羨望、憧憬、あるいは嫉妬や、畏怖。
 誰よりも上に立つということは、それだけの覚悟が必要だ。
 それを自覚せずにいれば痛い目に会うのは自分で、また、自覚するために、この法衣は赤いのだと思う。
 卒業の証の黒い法衣、そして次席と三席に与えられる深青と深緑の法衣。
 それらとは、ひとつだけ明らかに異なる色だ。

 深紅の法衣。

 どうしてこの、主席の法衣は、こんなにも、紅いのだろう。





「アスベル? ねえ、聞いてるの?」

 呼ばれてはっとする。
 研究室の友人が作っていたランプの彫り物をぼんやり眺めていたところだった。
 振り返れば、碧の髪を高いところに結い上げた、元気そうな同期の女の子がアスベルを覗き込んでいた。
 振り返って、けれど、アスベルはすぐに目を逸らす。
 彼女はいつも肩から胸にかけて大きく開いた服を着るのが好きで、似合ってはいると思うのだけれど、
 前かがみになると……なんだ、その、つまり、目のやり場に困るわけだ。
 彼女自身は全然気にしてないようだけど。
「え、ああ……」
 曖昧に返事をする。
「もう! ぼーっとしてないで、見てよ! これは、どう?」
 アスベルが再度振り返ると、彼女は手に一振りの杖を持っていた。
 製作途中のものだ。
「ああ、うん」
 すぐに頷いて手を伸ばす。
 握った瞬間に、強い力を感じる。
 木が持っている波動を活かす形に加工されているからだ。
 アスベルは瞬時に集中して、その波動を受け入れ、押さえ込む。
「わ……さすが」
 目の前で彼女が目を丸くしているけれど、そのときのアスベルには見えていない。
 研究室の窓なんてどこも開いていないけれど、そのとき部屋には微風が流れた。
 アスベルを中心にして起こる風。

 それは、大地の鼓動のような。
 それは、炎のうねりのような。

 そして、周囲の光の粒子を一瞬にして杖が吸い込む。
 見るものの何かを、まるで奪い取るかのように。

 目の前の彼女が、そして研究室にいた友人らが、アスベルに注目した。
 優秀なはずの彼らでさえ一歩後退るような。
 それは、圧倒的な。

 一瞬。

「うーん。ちょっと俺の感じとは違う気がする」

 アスベルがいつもと変わらない口調で言葉を紡いだとき、誰もがはっと息を呑んで顔をあげた。
 あるいは目をこすりながら周囲を見回した。
 けれどもちろん、そこには異常なんてない。
 いつもの、研究室だ。
「え……? あの……違うって?」
 依頼主でさえ呆然とする前で、アスベルはうーん、と手の中で杖を転がすようにして考える。
「なんだろうな。これはこれでいいんだろうけど。力の膨張率が大人しめの気がするよ」
 そのコメントに、同期であり友人であるユニの仲間たちが、思わず生唾を飲み込んだ。

「おいおい、今ので大人しめ、かよ」
「おまえのキャパがデカすぎんだよ」

 けれど、すぐに仲間は近寄ってきて、アスペルを取り囲む。
 そうかな、と振り返る黒髪の田舎者が、とんでもない優秀な魔法使いの卵であることは、誰もが承知していることでもあった。
 そして今年こそ、このいまひとつ冴えない工芸学の研究室から、ユニの『色付き』を輩出できるチャンスだと、誰もが思っていた。
 当のアスベルは……狙っているわけではないけれど、まあ、実力どおりのことになるだけだ、と思っていた。
 自惚れているわけではなく。
 ただ、それが事実だから。

「なに、リンディス。これ、アスベル用?」
「うん。結構自信作だったのに、駄目出しされちゃったわ」
 アスベルからワンドを受け取った女の子に、仲間が声をかける。
 リンディス、と呼ばれた碧の髪の同期はひょいと肩をすくめてみせた。
 その動作は、彼女自身のものではなくて、アスベルの真似だ、ということは明らかだ。
「あ、駄目っていうわけじゃなくて」
 慌ててアスベルは訂正しようとする。
 が、横から友人が肘で突付きながら横槍を入れる。
「違うよな、駄目なのはワンドでもリンディスでもなくて、こいつだから」
「そうそう、こいつに普通の基準の触媒使わせたらもたないって」
「わかってるわよー。だから自信作だって言ってるでしょ!」
「おっとそりゃ失礼」

「それで、リンディス。このあとそれ、どうするのさ」

 アスベルは友人の台詞を遮るように、先を促した。
「そうね。もっと膨張率を上げればいいの? それはちょっと……難しいから」
「そうだよな。だから、それはそれでいいと思う」
「そう? じゃ、あとはどうしよう。やっぱり宝石かな」
 碧の髪のリンディスは、同じような碧の瞳で自信作だというワンドを見つめて小首をかしげた。
 アスベルを含む友人たちは、言葉の続きを待っている。
「膨張率を促すのがいいのかな? それとも許容が大きくなるのがいい? それとも、伝導率?」
 彼女が言うことは、多分どれもいい線なんだと思う。
 仲間たちもなるほどと頷いて、そして、問題のアスペルを窺う。
 アスベルは、うーん、と頷くように唸って、そして、答えを出した。

「……安定率を上げてくれないかな」

 はあ? とアスベルを囲んでいた友人たちが眉をひそめた。
「なんでそうなるんだよ?」
「おまえ今、膨張率が少ないとか言わなかったか?」

「言ってない」

 友人の言葉も態度も最もだが、アスベルにはアスベルの理屈がある。
 説明しろよという雰囲気に、アスベルは肩をすくめる。
「どうして膨張率がおとなしいって言ったか。
 それは、それ以上力を注いだら、ワンドが壊れるか、この場所が吹き飛ぶから、力を抑えてるんじゃないか」
 まず前提を説明してやったら、それだけで同期たちは溜息をついた。
「だからこれ以上膨張率を上げることはない。伝導率も、上げればそれなりに操れるけど、抑えたまま操るのは負担が増えるだけだよ」
「増えるだけ、ね。出来ないわけじゃないんだろ」
「それは出来るだろうさ。でも触媒に負荷かけられて一体どんな魔法を使おうっていうんだ?」
 友人たちはまた溜息。
「だから安定率を上げてくれればいい」
「それって……操りやすくなるっていうことよね? 根本の解決になってるの?」
 リンディスがもっともなことを言うが、アスベルは事も無げに頷いた。
「ああ。許容は結構あるみたいだから、膨張率とか伝導率とか、そんなのは自分でなんとかするよ」
 はああ、と深い溜息が凝るように吐き出される。
「おまえってホント、常人じゃない」
 友達の言葉にアスベルは肩をすくめてみせた。

「そんなことはないよ。持ってる力を最大限に発揮する方法を知っているだけさ」





 安定率をあげる効力が最も安定しているのは、エメラルドだと。
 そう教えてくれたのはリンディスだけど、そのあと予言学で、預言者が身に着けている宝石に多いのがエメラルドだと聞いた。
 多分理由は同じなんだろうと思う。
 アスベルは、ウェスティカ出身の多くの魔術師と同じく、触媒にはカードを使う。
 リンディスが作ってくれたワンドは、建物ひとつ吹っ飛ばす、とかいう魔法を使うにはもってこいだが、
 普段そんな魔法を使うことはまずありえない。
 だから、ワンドが必要なことは、あまり、ない。
 それでも。

「あ……」

 最先端の技術のすべてが注ぎ込まれた、ここ、宇宙の中心には、計算し尽くされた『四季』がある。
 ここと同じく、ユニにも四季があった。
 ポートの全面ガラス張りの壁から見える外に、ウェスティカではまずお目にかからないものが舞っていた。

「雪、か」

 そんな季節なんだな、と。
 想いに耽りながら。
 ともすれば止まりそうになる足を意図的に早く動かして、アスベルは目的地へと急いだ。

 今は、自分にできることをするだけだ。
 目的もなく生きてきた自分に、光を当ててくれたあの場所に。
 価値があるというのなら。
 
 深紅の法衣。

 この色も、きっと意味があるのだろう。
 たったひとり纏う、まるで血のような色の法衣も、あの雪に雪げば、

 なにか慰めにでも、なるだろうか――。