深紅の陽炎
文字通りどかんと、その爆発音は研究室に轟いた。
唖然として、人々が振り返る。
だれも叫び声を上げたり戸惑ったりしないのは、ここがユニ……ユニバーサル・ユナイテッド・ユニバーシティ、通称『U.U.U』の研究室だからだ。
ただ。
「……おいおい。カース。おまえなにやってんだ?」
心配するより呆れられている。
それも……まあ、仕方ないかもしれない。
ユニでは魔法の研究も盛んとはいえ、ここは鉱物学の宝石学の研究室だ。
ここで見られる活動といえば鉱物を顕微鏡で覗いたり、文献をあさったりしているのが、通常の学生たちだ。
なのに。
幾人かが集まってくる。
友人だったり、珍しがった知らない人だったり。
そして大半のものは興味を持たずすぐに自らの作業へと戻っていく。
ここは宝石学の研究室。
宝石学は奥が深くて、一言に研究テーマを宝石学と言っても内容は果てしない。
よってとても一部のみを研究しているに過ぎないといえなくもない。
けれど逆に、宝石学は魔法学のあらゆる分野に関係していて、魔法を学んでいて宝石学にぶつからないことはないとも言われている。
だから魔法使いの卵たちは、必ずこの研究室に一度は足を運ばざるを得ない。
そんな中で、カーセルダースは、宝石学を専攻していた。
つまりいつもここにいる、ということだ。
自分の所属の研究室で、いつものように外部からの学生が大勢いる時間で。
……どかんとやってしまった。
「なんだ、また、コアの変化値がどうこうとか言うヤツか?」
友人のリマ・ダがからかい口調で近寄ってくる。
「あーあー。これ、なに。ジルコニア?」
「違う。無色のコランダム」
もう一人の友人アキトが覗き込んでくるのを、手で残骸をかき集めながら遮った。
「コランダムって……おいおい。量産できないものをどかんするなよ」
「わかってるって」
言われなくても!
カーセルダースはどかんしてしまった宝石の残骸を集めた。
一度崩れてしまったものは、元のようには結合しない。
それこそ、時間魔法でも使わなければ戻らないが、伝説の魔法使いドロシー・クラーク以来使えた者がいない魔法を、カーセルダースに使えるはずがない。
要するに、戻らないのだ。
「どかん、てなに? てその前に、あなた、怪我してるわよ!」
知らない声が悪友たちの間から割り込んできた。
なんだ、と思って顔を上げれば、まるでエメラルドみたいな綺麗な碧色の髪をポニーテールにした女の子がこちらを見ていた。
「……だれ?」
小声で友人に訊ねる。
するとリマ・ダが知らないのかよ、と耳打ちしてくる。
「工芸学研究室のリンディス・ライトネスだよ。ここの常連だぜ?」
当然のように言われても、知らないものは知らない。
もう一度ちらっと見れば、大きく肩と胸の開いた服を着た彼女は、結構美人だった。
えーと。
美人だから有名なのかな?
「ああ、大丈夫。カースのこれはいつものことだから」
アキトがさらっというのを、そうそう、と思いつつ自分の手を見下ろせば……。
「いつものことだからって、ほっとくと良くないわ。医務室に行ってきたら?」
リンディス、という女の子が腕を組んで忠告してくれる。
随分と世話焼きな子だな、と思いながらも。
(……今回はちょっと、デカかった、か、な?)
宝石のコアを調整する実験をしていたのだ。
で、まあ、だいぶ慣れたとはいえ、どかんしてしまって。
冷静になってみれば結構痛みがあるほどに左手をざっくり切っていた。
ちなみに、治療系の魔法は学生の間は勝手に使ってはならないことになっている。
失敗して壊れるのが宝石とかのモノならいいけれど、人体ではまずいからだ。
とはいえ、カーセルダースはやはりそんな魔法は使えない。
ここはおとなしく医務室行きだろうか。
いつもの些細な怪我なら、ほっておくのだが。
「悩んでないでさっさと行く! どうしようかなーなんて言えるほど、その傷、浅くないわよ!」
リンディスがちょっと怒ったような口調で言った。
見れば、髪と同様宝石みたいな碧の双眸が、叱るようにカーセルダースを見ていた。
「あ、うん……。そう、かも」
ぼそり、と答えたカーセルダースに、友人たちが、ええ? と覗き込んで。
「……おい! カース!」
「うわ、こりゃ派手だな! 医務室行って来い! あ、えーと、止血にはどうするのがいいんだっけ?」
悪友どもが驚いた。
気づけばカーセルダースの左手からはぽたぽたと血が滴っていた。
「タオルとか! 清潔なものはないの? ほらあなた、傷口を心臓より上げて!」
あわあわと驚いているリマ・ダはちっとも役に立たなくて、
アキトが急いで持ってきたタオルをなぜかリンディスが受け取って、カーセルダースの腕を縛った。
「ほら、医務室行ってらっしゃい。一人でいける?」
「そ、それくらい一人で行ける」
まわりがあまりにも心配そうな顔をしているので、そして何より、カーセルダース自身、自らの血が流れ出る感覚がちょっと気持ち悪いと思ったものだから、ここはおとなしく研究室を出た。
怪我をした場所は左手であって、
頭を怪我した緊急事態でもないし、足を怪我して歩けないわけでもなかった。
だから、一人で研究室を出たのだが。
(……あれ?)
カーセルダースは立ち止まった。
ぼーっとする。
自分はどこへ向かっていたんだっけ。
研究室か?
いや違う。研究室から出てきたんだ。
振り向けば、歩いてきた廊下に、ぽたぽたと血の跡が……。
「こんなところで殺人事件とか起きたら、前代未聞だろうな」
内容とはうらはらに能天気な調子の声がして、だれだっけ、とカーセルダースはぎこちなく視線をめぐらせた。
「それともお兄さん、自殺志望者?」
「……?」
振り返った先には、いつからそこにいたのか、知らないやつがにこやかに立っていた。
赤い髪と赤い双眸が、まるで自分の手から流れ出る血のような色をしていた。
「ありゃだめだ。お兄さーん? ボクの言ってること、わかる?」
なにを言っているんだ?
というか、こいつ、だれだ?
ユニはとんでもなく大きな機関だから、知らない人間のほうが多いのだけれど、だからこそ、こんなふうに話しかけてくる人は知り合いじゃないだろうか、と思うのだが。
ちっとも思い出せない。
こんなに特徴のある、赤い眸をしているのに……。
「しっかたないなー。大サービスだよ?」
そういうと、やつはカーセルダースの左手をとって手をかざした。
とくにスペルを唱えたわけでも、触媒をかざしたわけでもないのに、カーセルダースは自分の傷口が熱を持つのを感じた。
そのとき、ふと、我に返る。
これは、魔法の感覚。
魔法使いの卵の端くれとしては……目を覚まさないわけにはいかなかった。
「……て、おい、ちょっと! あんた!」
思わず叫ぶ。
すると彼はおお、と感心したようにカーセルダースの顔を見た。
「やっと喋った。気分はどう?」
「あんた、なにやってんだよ! 学生は対人魔法、禁止されてるだろ!」
慌てて腕を引っ込めようとするが、軽く握っているようにしか見えないその手をほどくことは出来なかった。
「あ、そう。そりゃ、妥当だね」
赤い彼はうんうんと頷いて……カーセルダースの腕に魔法を施し続けている。
が、間もなくそれも終え、彼はけろりとカーゼルダースを見た。
「はい、止血終了。経緯順調。けど、どかんは慎重にね」
「……なっ!」
どかんは、なんて、やっぱりこいつは宝石学研究室から付いてきたのだろうか。
いや、付いてきたというとおかしいが、たまたま後から研究室を出たこいつが、たまたま方向が一緒だったためにここで出会ったとか、そういうことだろうか。
それにしても、なんにしても。
「おまえ……! 今、医療魔法……!」
「うんうん。学生の間は無暗に使っちゃいけないね。やっぱり許可制は正しいと思うよ。ま、お兄さんにはその素質はなさそうだけど?」
「わかってるよ! じゃなくて! ……て、あれ、じゃあ、おまえは学生じゃ、ない……?」
ふと見れば、確かに彼はユニの学生の証である、白の法衣を着ていない。
ということは、彼は、なんだ、正式な医療部のスタッフだったりするのだろうか……?
「で、お兄さん、医務室行くの? やめるの? ボクがやったのは止血だけだからね? 傷口の手当ては医務室行ったほうがいいよ?」
けろっと喋る彼をまじまじと見つめる。
こいつは……だれだ?
「お兄さーん?」
「お、俺は、カーセルダースだ」
「長い名前だね」
またけろっと答えた。
やっぱり……こいつ、なんなんだ?
「と、友だちはカースって呼ぶよ。あんたは?」
「ん? んじゃ、ボクはカー」
「……カー?」
それはちょっと短すぎるんじゃないだろうか。
いや、そうでもないか。
というかこの場合、そんなことどうでもいい。
「じゃあってなんだよ。名前、それ省略?」
「こだわるなー。いいじゃないの、名前なんて。呼べればさ。カーセルダースは長いけど、カースならカーと区別がつくから大丈夫」
大丈夫って……こいつ、変なヤツ。
「まあいいや。じゃ、カー。あんた、医療スタッフ?」
「うんや」
けろっと否定された。
ここはお礼を言うべきところなんだろうけど、なんか無性に腹が立つ。
「ならなんで魔法を!」
「魔法は未熟なものが気安く使うものじゃないね。キミはそれがわかってるみたいだから、ボクはキミに手を貸しただけだよ」
にやり、とわらったカーの眸は、本当に血の色みたいで、ちょっとどきりとする。
「あ、でも貸しってわけじゃないから、返さなくていいからね」
そしてウインク。
……なんなんだ。
はあ、とカーを見返す。
「でもそーだなー。どうしても返したいっていうなら」
……言ってない。
と思いつつ、なら、なんだよ、と思う。
「正しく石を理解した、立派な魔法使いになってくれたまえ」
カーは突然偉そうに言って、そして。
「…………は?」
カーセルダースの前から、姿を消した。
空間移動の魔法?
そんなふうには見えなかったけれど。
こんなに近くにいて空気の変動も何もない魔法が発動できるなんて、やっぱり彼は学生じゃないのかもしれない。
「は……立派な魔法使いに、なってくれたまえ?」
なんだ、あいつ。
なんなんだ、いまのは。
へたり、とカーセルダースは壁に崩れるように寄りかかった。
「カース!」
そのとき研究室のほうから友人が駆け寄ってくるのが見えた。
ぼんやりみればリマ・ダとアキトが青い顔をして走ってくる。
その足元には、まるで道標のように赤い血が、まだ半乾きのくすんだ赤色を晒している。
(ああ……ガーネットみたいな色だな……)
あの血痕を見て、友人たちは慌てて追いかけて来たのかも知れない。
「おい、カース大丈夫かよ!」
両脇を支えてくれる悪友どもが、けれどすっかり止血されている傷口に疑問符を浮かべる。
消えたあの赤い男はだれだったんだろう。
友人たちに、そしてこれから辿りつくはずの医務室でスタッフに、
カーと名乗った赤い男のことをなんと話せばいいのかな、と、
カーセルダースは考えながら歩いた。