深層の心理

 カーセルダースが研究室に入ると、いつものように、部屋の中は人がたくさんひしめき合っていた。
 ここは、宝石学研究室。
 魔法使いを志すものなら、避けては通れない場所であり、
 どんなに通ったところで、その真髄にはたどり着けないといわれている場所でもある。
 いや、研究室がじゃなくて、研究そのものが。

 本来の所属学生の三倍とか、いるんじゃないだろうか。

 そんな部屋の中を人を交わしてすり抜けながら、自分の席へと近づく。
 近づくと、友人のリマ・ダが気付いて片手を挙げた。
 それで、そこにいた数人が振り返った。

「あら、おかえり、カース」

 そう声を掛けてくれたのはリンディスだった。
 リンは今日はちゃんと白の法衣を着ていた。
 あれを着ていないと、ときどき目のやり場にこまるような服を着ているのだ、彼女は。
 似合っているし、見ているほうは悪くはないんだけど、まあ、なんだかね。
 そこには、リマ・ダとアキト、それになぜかリンディスと、それから見覚えのない赤毛の女の子がいた。
 誰だろうと思いつつ、でもまあ、ここには知らない人なんていくらでも訪れる研究室だ。
 今更いちいち気に留めない。
 それよか、研究室の違うリンディスが、普通に所属学生の中に混ざっているほうがどうかと思う。
 でも、それがリンだ。
「そういえば」
 いつだって人の輪の中心にいるリンディスが、やっとたどり着いた自分の椅子にどかっとすわったカーセルダースを見て、思いついたように口にした。

「カースは宝石の精霊と、契約しているの?」

 まるで、昨日の課題は済んだ? とでもいうように。

 カーセルダースはたっぷり五秒は静止して、悪友たちも揃ってお手上げのポーズをして、そしてカースはリンを見た。
「そんなの、できるわけないだろ」
 真面目に答えを待ってるらしいリンディスに答えてやる。
 宝石の精霊と、契約だって?
 そんなことできたら召喚ランクSがもらえるぜ。
「そっか」
 納得したのかリンディスは小さく頷くと、カーセルダースから視線を外した。

 精霊と契約を交わす、てことは、ひとつは召喚が出来なきゃ、話にならないし、
 さらにもうひとつ、契約してもよいと精霊に認められる魔法使いでなければならない。
 カーセルダースはせいぜい、召喚したものが間違っても暴走なんかしませんようにと、おまじないを含めた制御の魔方陣と、自分を護る用の魔方陣を幾重にも描いて、挙句、召喚できずに肩を落とした経験があるだけだ。
 当然のことながら、召喚ランクは……ランク外。
 なんでも同期の中には、最高ランクのSを与えられたやつがすでに三人もいるらしいけれど。
 カーセルダースからしてみれば、ありえない。

「なんでそんな話になってんの」
 別にどうでもいいんだけど、なんとなく。
 隣の席のリマ・ダに聞いてみる。
「なんかさ、リンの研究室のやつが、同期で一番にランクSになったんだって」
 リンディスの研究室……なんだっけ、と考える。
 なんだかあまり有名どころじゃなかったように、思うんだけどな。
「そしたらさ、チェリスのやつが食って掛かってさ」
 チェリス?
 知らない名前だけど、この状況からすると、あの赤毛の女の子のことだろうか?
「……なんで?」
 彼女を知らない上に、それを聞いただけじゃ、なにが言い争いの種になるのかさっぱりわからない。
 すると、事情を知っているふうのリマ・ダが、やれやれといったポーズをした。
「チェリスの研究室のやつが、同期で二番目にランクSをとったらしい」
「はあ?」
 そりゃ、ランクSは今、三人いるんだから、そういう連中がどこかにいることは、わかる。
 わかるけど。
「で、なんでくってかかんの?」
 わからない。
「乙女心はオレらには理解しきれねーよ」
 ついでに、リマ・ダががワザとらしく言う台詞のイミもわからない。
「なんだよ、それ。えー? なに、ふたりの……カレシ、とか?」
 目一杯の推測で尋ね返したとき、後ろからぐいっと腕がまわされた。
 息が詰まりそうになる。
 と、同時に。

「だからカレシじゃないって言ってるでしょう! 悪かったわね!」

 リンディスが突然振り向いて怒鳴った。
 カーセルダースは目を白黒させる。
 一体、どこから話を聞いていたんだろう?
 それに、違うって否定するのは、まあいいとして、どうして怒鳴られなきゃならない?
 悪かったわね、って、どういう意味さ……?

「ごめんごめん」
 カーセルダースに腕を回したアキトが、まるでカーセルダースのかわりに謝る。
 この腕は……どうやらアキトがカーセルダースの台詞を止めようとした、らしいけど。
「もう」
 ぷい、とリンディスが向こうを向く。
 碧色のポニーテールがくるっと揺れた。
 カーセルダースは首をかしげる。
 リマ・ダじゃないけど、乙女心は理解できない、というところだ。

 リンディスは机に向かって書いていた何かを掲げて、ねえ、と振り返った。
「これでいいの?」
 何か、なんて。
 カーセルダースはそれをよく知っていた。
「ああ、それはカースのほうが詳しいから、カースに聞いてみて」
 アキトがさらりと指差す。
「オレ?」
「じゃあ、カース。ちょっと見てよ」
「ああ……」
 それは、宝石の申請書だ。
 どんな理由でどんなことに使うか書いて、こうして申請する。
 申請が通れば、宝石がもらえる。
 天然の宝石は希少だから、用途によって人工だったり合成だったり、もらえる宝石もいろいろだ。
「……って、天然のエメラルド?」
 そこに書いてある石に、カーセルダースは思わず声を上げた。
 宝石学研究室に在籍しているので、もちろん見たことはあるけれど、学生の実験レベルに支給される品物ではない。
 まさかそのくらいのこと、リンディスがわからないなんてことは、ないと思うのだけど……。
「そうよ。とんでもなくキャパシティの大きな人だから。力の安定率を上げるの。人工石も合成石も試したけど、割れちゃったのよ」
「わ、割れた!?」
 彼女の言うことは正しい。
 ここに通って勉強していたのだろう。
 魔法の力の幅が強いときに、安定させるには、エメラルドが一番だ。
 けど。
「それ……魔法の使い方間違ってんじゃないの」
 リマ・ダが後ろからちゃちゃをいれてくる。
 安定のための媒体が割れるなんて、どれだけ幅のある力だよ。
「違うわよ!」
 リンディスが怒った。
「本当に力が大きいんだって! じゃなきゃ、安定性を確かめるために、力を揺らしてみてって頼んで、半径一メートルの範囲だけを自分の魔法領域にして、割れたのは石だけなんだから! そんなこと、ほかの人に出来るわけないでしょ!」
「…………」

 カーセルダースは、いや、リマ・ダとアキトも、並んで絶句した。
 いや、ここはユニ……ユニバーサル・ユナイテッド・ユニバーシティ、通称『U.U.U』だ。
 宇宙最高学術機関だ。
 そんなおっそろしいやつがいてもおかしくはない。
 けれど。

「半径一メートルで、合成エメラルドを割れる魔法領域つくんの?」
「それって、マジで魔法領域展開したら、星が割れるんじゃねーの?」
「ていうか、どうやってそれだけのパワーの魔法領域を、半径一メートルに収めるワケ?」

 多少なりとも魔法にかかわっている三人は、そろってげんなりした。
 上には上がいるとは言うが、あまり近いところにはいてほしくない。

「ということだから、天然のエメラルド。ねえ、これで申請書、いいと思う?」

 見慣れているのか、リンディスは普通に話を続ける。
 そりゃ、そんな条件なら、天然石じゃないと使えなさそうだな、とは思う。
「リンディス」
 カーセルダースはふと思って聞いた。
「それって、その人って、俺たちの同期のトップって噂のやつ?」
 確か今年のトップは、例年に比べてぱっとしない研究室にいると言っていた。
 リンディスの所属って、どこだったかな、と思い出そうとする。
「ええ、そうよ」
 それにあっさりリンディスは頷いた。
「わたしたち工芸学研究室のアスベル・リード。文句なしの首席決定ね」
 今は第三学期だから、首席かどうか決まる第四学期まではまだなにも決定なんかしてはいない。
 けれど、実力の差なんてのは、数ヶ月でかわるものじゃないのだ。

「……それは、わからないよ」

 ぽそりと誰かが呟いた。
 赤毛の、チェリクだ。
 彼女がまだそこにいるとは思っていなかったので、カーセルダースは驚いた。
 一瞬、チェリクとリンディスがにらみ合う。
 けど、リンディスはあっさり目を逸らした。
「ま、わたしがここで何言っても仕方ないけどね」
 えーと。チェリクは何を言おうとしたんだろう。何を言っていたんだろう。
 彼女のことを知らないので、カーセルダースには何もわからない。
「えっと。あ、そうそう、申請書。だったらさ、そんな有名人なら、その人の名前、書いちゃえばいいんじゃない?」
「え? アスベルの?」
「うん。首席候補の名前なら、天然石申請の理由になると思うし」
 研究室一申請書を出しているカーセルダースは、コツを掴んでいる。
 理由は具体的に書くのが一番いいのだ。
 欲しいそれじゃないと駄目な理由を明確に伝えるのが、一番の近道だと思う。
「なるほど! わかったわ!」
 喜々として文章を付け足し始めるリンディスに、ちら、とカーセルダースはもう一人の女の子を盗み見た。
 いや、見ようとした。
 けど、そこにはすでに赤毛のチェリクはいなかった。
「……あれ?」
「よし、できたわ! ありがとう、カース!」
「え? あ、うん」
 俄然機嫌よくなったリンディスの後姿を見送って。
 カーセルダースは、はああ、と溜息と共に椅子に座り込んだ。

「な、おまえもそう思うだろ?」
 急にリマ・ダに話を振られて、はあ? と無気力に振り返る。
「ごめん、なにが」
「だから」
 三人の席には、三人しかいない。
 そしてそろって、似たような表情をしていた。

「乙女心は理解できない、って」

 カーセルダースは大きく深呼吸して、かくんとひとつ、頷いた。