紫の影
「アメジスト?」
石の回廊を歩いていると、声を掛けられた。
振り返ると、二人の知り合いが立っていた。
特別仲が良い間柄ではないが、かといって仲が悪いわけではなかった。
「帰りか?」
話しかけてきたのはオニキスだ。
どうやら彼の後を、もう一人のアマゾナイトがついてきた、という感じらしい。
「……いいえ。わたくしはあちらに渡ることはありませんから」
「ああ、そうか」
オニキスが歩き出したので、アメジストは少し離れてついていく。
アマゾナイトがさらに後ろをついてくる。
「ま、俺も渡らないからな」
渡る、というのは、つまり人間の召喚に応じる、という意味だ。
アメジストは呼ばれると、妹たちが応じるので、アメジストの長たる自分が渡ることはない。
それはオニキスも同じだと思うけれど。
「さっきアマゾナイトに聞いたんだが、アクアマリンが契約したそうだぞ」
「……アクアマリンが?」
唐突な話題に、少し驚く。
アクアマリンの姉妹たちは比較的頻繁に渡っているが、人間と契約したという話はあまり聞かない。
最も、宝石の精霊たるもの、そうそう人間と契約なんてあまりするものではない。
「なんと言ったか……ええっと。ほら、人間の魔法使いの」
「人間の魔法使いの?」
怪訝そうな顔をしていたアメジストになにか説明しようとしたオニキスだが、互いに人間側のことは詳しくないのでなんのことだかわからない。
「……ユニ、と呼ばれているそうだ」
「ああ、それ」
二人の後方からアマゾナイトがぼそりと言った。
「ユニ……?」
名前を聞いたことがあるような。
なんのことだったか。
「人間の魔法使いが集まっているところだ。修行しているところ、というのか」
……そういえば。
そんなふうに聞いたことがあるような。
「それで、その修行中の魔法使いと、契約したということですか」
「まあそうだな。ここのところ、立て続けに三人目だ」
アメジストは頷いた。
それは知っている。
だから、少し眉をひそめる。どうしてそんなに人間と契約しようとなどするのか。
「そう心配はいらないさ、アメジスト」
オニキスは振り返りもせずに歩き続けて言う。
「心配いらない? なぜ?」
「毎年のことだからさ」
そんなことはわかりきっていると言わんばかりに言って、アメジストを困惑させる。
「毎年の……?」
「そう。そのユニってところが。むやみに契約はしてはいけないと定めていて、逆に認められた魔法使いしか、契約を持ち出してはこない仕組みなんだそうだ。人間の世界というのは」
「……ルールがあるというのか? 人間に?」
またも怪訝な顔をしてアメジストが首をかしげる。
人間は乱暴だ、と常々思っているのだが。
「彼らには彼らの仕組みと社会があるということだ」
アマゾナイトがぼそりと言った。
彼は人間の世界を知っているのだろうか?
「それで、どうして心配いらないということになるのでしょう?」
ちらりとアマゾナイトを見てから、オニキスに問い直す。
「その契約の資格を取ることができるのが、どうやらこの時期らしくてね。
だから毎年、この時期に数名契約するらしい」
ぎくり、とアメジストは息を吸った。
この時期。
それは……そういう意味なのだろうか?
けれどアメジストの態度にオニキスは気付かない。
「だから数名は契約するけれど、それ以上はないってことさ。優秀な魔法使いなら、別に問題ないだろう?」
アメジストは再び、息を吸い込む。
そして……静かに、長く、吐き出した。
「アメジスト」
その様子を見ていたアマゾナイトが声を掛けた。
少しびくつきながら、アメジストは平静を装って振り返る。
「はい?」
「貴女の妹のことは聞き及んでいるが、こちら側にも、あちら側にも、特に問題は起こっていないそうだ」
アメジストは目を瞠った。
アマゾナイトは気付いたらしい。
いや、誰もが知っていることだから、すぐに気付くだろう。
けれど。
「ん? アメジストの妹? ああ、あの子もこの時期だったか?」
二人の会話を聞きつけたオニキスが振り返る。
「え……ええ、そ、そうですね」
「まあ、そんなにびくびくしなくてもいいだろう」
オニキスは再び前を向いて歩き出す。
アメジストは足が止まってしまった。
「呼ばれなくてもふらふら渡っていくやつもいることだし。ちゃんと魔法使いの規則に則って契約したんなら、そのまま置いておいても大丈夫だと思うぞ。少なくとも、そのアメジストをどうにかしようという動きを、俺は聞いたことはないな」
オニキスが言いながら、遠ざかっていく。
足を止めてしまったアメジストを、アマゾナイトが追い越した。
「……大丈夫ですよ。誰も貴女も、妹さんも、責めていません」
黒に白い縞模様のオニキスと、青緑色のアマゾナイトが遠ざかる。
硬質な紫色のアメジストは、その場に立ち竦む。
末の妹、アメシスタが人間の魔法使いと契約したのは、そういえば人間の時間でそろそろ一年が過ぎる頃だ、と思う。
それからというものアメシスタは、その人間の魔法使いのことしか見えなくなってしまっている。
こちらに帰っては来るものの。
(責めていない……?)
アマゾナイトの言葉を思い出す。
では、自分は。
妹を責めていたのだろうか……?
アメジストは、答えを胸に閉じ込めて、歩き出した。