幼馴染みとアップルパイ(前)
この街は、もう、冬を迎えていた。
ユニ……ユニバーサル・ユナイテッド・ユニバーシティ、最高の学術機関、通称『U.U.U.』からノーティスへ帰るための直通便は、1区への路線が一番近い。
そこからはのんびり走る地元の路線を辿ってここまで。
さほど遠くないのに、時間がかかる帰途。
ユニのあるセンタープラネットはまだ秋だが、生まれ故郷のこの町は、既に小雪ちらつく季節になっていた。
「イスーちゃんじゃないか」
「おや、おかえり、イスー」
派手でも立派でもない石畳の通り。
歩道の脇には、こんな時代なのに石油灯。
ここには、魔法の光を灯し続けるだけの財力がない。
「ああ、イスー。今年も帰ってきてくれたんだね」
よかった、と、ひどく安堵した笑顔を向けられる。
この街には、力も、金もないけれど、暖かいひとがたくさんいる。
自分はこんなに……冷たいのに。
イスーが町に戻ってきたのは、この冷たい国……ノーティスのほぼ全域に見られる儀式、灯火祭に出席するためだ。
その他の式典の類には一切顔を出さないイスーだが、たってひとつの例外、それが、今日。
ノーティス1区でも行われ、『色付き』なら参加することもできる大々的な式典ではなく、この、故郷の式に。
自分は毎年参加している。
いつもの白い法衣で町を歩く。
ここを歩くのも一年ぶりだ。
ユニ行きのスペーストレインがつくスペースポートと、実家を往復するなら必ず通る道になるわけだが、学生の頃から数度しか歩いていない。
けれど、幼少の頃からほとんど変化もない。
それがいいのか悪いのか。
「おかえり、イスーちゃん」
誰とも知らない人が声をかける。
いや、ここは自分の生まれ育った町。
自分が覚えていないだけで、大人たちは自分のことを知っているのかもしれない。
銀色のおかっぱ頭で、ひたすら、ただひたすら勉強だけをしていた、笑顔の欠片もない女の子のことを……。
家へと帰り着く手前の道を、左手に折れる。
昔の記憶を辿って、小さな路地を歩く。
この路地が、自分にとっての世界のほとんどだった頃は、この道はそんなに狭いとは思わなかったけれど。
電気自動車の入り込めないような路地裏は、未だに自転車以外の車両は息づいていない。
(ここ、だったよな……?)
変わっていないけれど、本当にここでよかったか、と過去の自分に問いかけるが、確たる答えもなく、それでも、えい、と扉を開く。
からんからん、と音がして、イスーは懐かしい、と、感じた。
「はい、だーれだー? って、おい、おまえ、イスー!?」
玄関から直接部屋になっているあまり広くない部屋は、幾人もの子どもたちががりがりと机にかじりついていた。
教壇のようにも見えるところで子どもに教えるでもなく頬杖をついていた黒髪の男が、すっとんきょうな声で顔を上げる。
それで、子どもたちが一斉に振り返ったが、そのほとんどが息を呑んで手を止めた。
イスーはそんな子どもたちにはかまわず、すたすたと真ん中を歩いて突き進む。
「今日着くと、連絡はやったはずだが、見ていないのか?」
挨拶も無く、まるで外気のような冷たい声音で言い放つ。
イスーが立ち止まると、すぐそばに座っていた子どもが、慌てて立ち上がって離れていった。
が、教壇の男は気にもせず、身を乗り出した。
「見てない。っていうか、届いてないのかも? わからないな」
「どちらにしても、明日が灯火祭だ。わたしが帰ってくることは予想がつくだろう」
「ああ、まあ。おまえがちゃんとこの町に帰ってきてくれるなら、な」
ひょいっと肩をすくめた男に対して、イスーは蒼い双眸で睨みつけた。
が、イスーはそのまま、なにも言わなかった。
それからやっと思い出したように部屋を見渡す。
ここで勉強しているはずの子どもたちは、一様に手を止めてイスーを覗っている。
「……多いな」
「ああ、ここ数年で一気に増えてな」
「ほう」
ぼそりと言ったイスーの言葉に、今ではここを運営しているひとりであるイスーの幼馴染みは的確に答えた。そしてひょいっと手招きして奥の扉へと歩き出す。
イスーもそれに続くと、男は軽く振り返り、子どもたちに言った。
「おまえら、手、休めすぎ」
冗談ぽく指差す仕草で言うと、子どもたちは今度はぱっと机にかじりついた。
随分彼に懐いているのだな、と思った。
奥の部屋に入るとほかに誰かいるかと思ったがイスーの予想に反して誰もいなかった。
「……ここにいるのはナーケだけなのか?」
くるりと見渡すが、この部屋にはあまり覚えがない。
ここは、先代の住居だった部屋だ。
「いるっていうか。ここには誰も住んでねえよ。俺とターファが通ってるだけ」
「ふたりであの子達を全部見ているのか」
「まーな。ちなみに勉強はターファが専門。俺はそれ以外が専門」
「それ以外って。ここは学習塾だろうが」
「堅いこと言うなって」
軽く笑って、それから戸棚を覗き込む。
「お茶でも出そうと言いたいんだが、えーっと」
勉強も教えず、お茶の場所もわからず。こいつはいつもここでなにをやっているんだろう、と思わなくもない。イスーはずっしりと重かった手荷物を勝手にテーブルに置き、そこにある些細なキッチンを覗き込む。
ガスは来ているようだし、オーブンも使えるようだ。
水道をひねれば勢いのない水が出てくるが、凍ってもいないし、赤錆もない。
ということは、普段使われているのだろう。
ナーケがこの調子だと、ターファが全部やっているんだろうか?
「あれ? なあ、イスー。これ、なんだ?」
振り返れば、お茶探しはどうなったのやら、ナーケが机におかれた荷物を覗いている。
……で、その向こうの扉が少し開いていて、いくつかの目がこちらを見ている。
イスーは内心笑ったが、まあいいか、と思った。
「ああ、林檎だ。センタープラネットは今、秋でな。こういった果物が多く収穫される時期なのさ」
言いながら、袋から真っ赤な林檎を取り出してみせる。
おおー、という声は、目の前の男からではなく扉の向こうから返ってきた。
「あ、おまえら!」
「……まあ、いいじゃないか。中に入れてやれ。林檎なんぞ、そう見たこともないんだろう」
イスーが少し顔を歪めるような笑みを浮かべると、ナーケが目を丸くした。
「おまえー、丸くなったなー」
「見識を広めてきたからな」
「はあ?」
真面目な顔で答えながら、イスーは持ってきた林檎を机の上に並べる。
これは、ここにいるだろう子どもたちへの手土産のつもりだった。
だから五つ持ってきたのだが。
ナーケが扉を開けて、わざとらしく大仰に、かしこまってイスーを紹介して、中に入っても良い、とか言うと、歓声があがるのかと思いきや、やたらと神妙な返事が唱和された。
まるで教会のミサのようだ。
そしてしずしずと入ってくるお行儀の良い子どもたち。
それを見下ろして、けれど、イスーはにこりとも笑みを浮かべない。
冷たい表情のままで静かに見下ろす姿は、威圧的ですらあるが、そんな態度を改めはしない。
子どもたちもびくびくしつつ、けれど、すぐに視線が机の上の赤い果物に吸い付いた。
ここは、路地裏の学習塾だ。
ここに来ている子どもたちは、町の学校へ行けないような、貧しい家の子どもたちなのだ。
イスーはかつて、ここで恩師に学んだ。
イスーと、ナーケとターファの三人で、机にかじりついて勉強した。
そういう場所だ。
林檎に手を出したくてうずうずしている子がいる。
本当は彼に、丸ごとひとつやろうと思っていたのだが、まさかここに通う子どもが、十人より多くなっているなんて、思いもしなかった。
「さて」
イスーが一言喋ると、部屋の中が一気に緊張する。
「困ったな。こんなに多いと思わなかったんだが。どうしようか、この林檎」
「あ? でも五つもあるぜ? 切り分けたらいいだろ」
「まあ、そうだが……。ところで、ターファは?」
時計を見上げる。
林檎を切り分けるにしても、ターファが帰ってからのほうがいい。
「ああ、それが。保護者に呼ばれててさ」
「保護者? ……ここの、子どもたちの?」
ちら、と十数人の集団人目をやると、子どもたちはとある一人の子をちらちら覗っている。
なので、その子の家に行っているのだろう。
「なにか問題が?」
「いや、逆。月謝をもらいに」
「……物資なんだな」
「そう、小麦粉くれるって。な、ユーラ」
名を呼ばれて、少年がこくこくと頷く。
イスーが少し目を細めて、指をあごに当てる仕草をしたのを見て、なぜかびくっと身をすくます。
「なるほど。では……そうか、ふむ」
イスーはもう一度、時計を見上げる。
「ユーラ、か」
イスーが呟くと、その名の少年が不安気に見上げてきた。
「きみの家は小麦農家?」
「ふーん? よくわかったな。て、わかるか」
「これでもわたしはユニで言語学を研究していたんだ」
「へえ。って、どういうイミだよ、それ」
「ユーラっていうのは、農家が子どもによくつける名前なんだ」
「そうなん?」
イスーは林檎と一緒に置いた、自分の鞄を手に取る。
「きみの家はどこ?」
「えっ?」
そのとき初めて子どもが……ユーラが声を上げた。
「小麦粉。わたしが家に行ったら、きみのご両親は売ってくれるかな?」
ユーラにたずねつつ、聞いている相手はナーケだった。
「そりゃ売ってくれるだろうけどよ。なに、今買い物?」
「ああ。いいことを思いついた。あなたはいいから紅茶くらい探し出しておいてほしいな」
言い捨てて歩き出す。
「あんまり自信ないけど。おい、ユーラ、イスーを案内してこい」
十数人の視線が追いかけてくる前で、ふと、イスーは振り返った。身体は半分扉の向こうだ。
「林檎。触ってもいいが強い衝撃を与えるな。それはすごく繊細なんだ。あと、齧るのも駄目だぞ。あとで食べさせてやるから待ってろ」
そして、イスーは歩き出す。案内のはずのユーラが後ろからついてくる。見当をつけて歩き出せば彼は後ろからおいかけてくるから、間違いではないのだろう。
青のイスーだ、と。
背後にそんな声が聞こえたのは、路地から出るまさにそのときだったけれど、ちょうど目の前を通過した馬車の音で、遠い後輩たちの無邪気な声はかき消された。