幼馴染みとアップルパイ(後)
「イスー? イスーじゃないか!」
ユーラ少年の家に辿りつくと、腕に袋を抱えたターファと鉢合わせた。
「あんた帰ってたのか!」
「ああ。ということは、知らせは届いてないんだな」
「知らせ? くれてたのか。あー、今日の午後とかに届くのかもしれないな」
「……そうか」
再会の挨拶もなくそんなやり取りになるのは、ナーケもターファも同じだった。
「で、おまえ、なんでここに? ユーラがいるってことは、ここが目的地なんだろ?」
くいっとターファが親指で背後の家を指す。
「ああ。……ユーラ。わたしが来たことを伝えてきてくれるか」
「は、はいっ」
少年が飛んで家に入るのを見送って、それからイスーがゆっくり追いかける。
「やれやれ。青のイスーが来たとなると、大変だぜ?」
「そうなのか?」
「たぶんな。おまえはこの町の英雄だからなあ」
「……わたしは何もやってない。それに」
奥のほうで人がばたばたと動き回っているのが見える。
「わたしは『白のイスー』だ」
カランコロンという古びた鐘のは、玄関の扉に取り付けられているもので、十年以上前からこの家への来客を知らせてきた、イスーにも聞きなれた音だった。
「帰った帰った。遅かったなー、おまえら!」
子どもたちはまた机に向かって勉強していたようだが、イスーとユーラ、そしてターファが一緒に戻ってきたのを、興味深々に眺めている。
「ほかにもいろいろ寄ったからな。トーリャとサーシャ、リーザとジーナのうちにも寄ってきた」
そう言って掲げるターファの腕の中には、たくさんの食材が抱えられている。
「……なんでそんなに?」
「イスーが買い物したかったんだそうだ」
「これはこれは豪勢な食事になりそうだなー」
「誰もこれだけ全部使って昼食にしたりはしないさ」
苦笑しつつ、イスーは奥の部屋へと入っていく。
そういう彼女の手にも、鞄のほかになにやら袋が下げられているし、ユーラの手にも一杯の食材を抱えている。
「なんだ、そういうことなら、トーリャとサーシャも連れて行けばよかったのに」
「……そうだな」
イスーは頷きながらオーブンを覗いた。
「ターファ、これ、使っている?」
「いや、使わない。使うことないな」
そうか、とイスーは白の法衣を脱ぐと、おもむろに腕まくりをした。
立派な林檎を手にとっていたターファが、それで少し驚く。
「なに、オーブン使ってなんかつくるつもり?」
「ああ。これが使えるから買い物に行ったんだからな。……よし、火、入れられるか?」
それなら、とターファも同じく腕まくりしてやってくる。
ふと振り返ると、ギャラリーの中に同級生がひとり混じっていてイスーが呆れた。
けれど、ナーケに言おうと思った台詞を、言い換える。
「そこ。おまえたち。全員手を洗う!」
イスーがびしっと命令すると、子どもたちは一斉に水道へと走り出した。
イスーが買い忘れたものがあるとするならば、それは食器だった。
大振りのアップルパイを二枚も焼き上げて、切り分けようとしたときに気づいた。
十数人いる子どもたち一人ひとりに渡せる皿がない。
けれど、子どもたちは現れた良い香りと湯気を立ち上らせるほかでもない昼食に目を輝かせ、期待の眼差しで待っている。
「大丈夫だよ」
イスーのわずかな表情の変化に気づいたナーケがそっと隣で囁いた。
「……いや、だが」
「子どもはなんでもやるから大丈夫」
「は?」
「おまえら! いいかー、鉄板は熱いからぜぇったいに触るなよ!」
「約束破ったらパイはなしだからな」
ナーケとターファが、五、六枚の皿を出してくる。
「それからひとり分はみんな平等。ほかのやつのに手を出したやつは、もうここに来なくていいから!」
とんでもないことをさらりと告げると、子どもたちは真剣な顔で何度も頷く。
ナーケが、そういうのなら、いいんだろう。
イスーはテーブルの真ん中でアップルパイにナイフを入れた。
「子どもたちは、何人?」
「13人だ」
「……切り分けにくいな。あ、ナーケとターファがいるから15か」
「ばか。自分忘れてるぞ、おまえ」
「いやわたしは……」
「16なら切り分けやすいぜ」
それもそうか。
イスーはふっと笑って丸いアップルパイを八等分する。
林檎のはちみつ漬けは、デコレーションがばらばらで、あまり均等とは言い難かったが、気にせずわける。
並べたのは子どもたちだ。
ひとりぶんを皿に出すと、子どもたちの視線がそちらへ吸い付く。
さっさと誰かが手を出すかと思いきや、うずうずと待っているらしい。
が、すべてを切り分けるだけの皿やスペースの余裕がない。
そもそもここには全員分の椅子すらない。
立ったまま食べるのを、行儀が悪いといって顔をしかめるほど、イスーも育ちがいいわけではないのだが。
「よーし、じゃ、今日の昼食な! いいか、これはイスーからの差し入れだからな! 帰ったらそう報告しろよ!」
「ナーケ、わたしはそんなことを……」
「いいからいいから。今日の当番は?」
はい、と手を上げる女の子。
なんの当番だ?
「じゃ、リーザ」
まるで授業のようにナーケが指名すると、リーザ……ああ、彼女は、さっき卵を買いに行った家の子だ、と思った。
「大地の恵みと竈の恩恵、すべての精霊に感謝を捧げて。いただきます!」
「いただきます!」
子どもたちが唱和した。
が、目の前にあるのは全員分ではなく。
「それ、早いモノ勝ち!」
一番にナーケが手を出した。
パイを一切れ取り上げると、ぱくりとかぶりつく。
それを見た子どもたちが、わっと皿に手を伸ばした。
イスーは、笑った。
幼馴染みの男は、こういうヤツだ。
わかっているのか別の方で見ているターファも笑っている。
イスーは急いで残りもひとり分ずつ皿にとりわけ、するとすぐに誰かの手が伸びる。
すべてを分けてナイフを置く頃には、皿にはイスーの取り分しか残っていなかった。
が、それを食べるよりさきに、紅茶の用意を、とポットに目をやる。
お湯が沸いているので蓋を開ける。少し温度が高いな、と思って少し待とうとすると、とっくにパイを食べ終わったナーケが、やるよ、と手を出した。
「だが、紅茶にするには湯の温度が……」
「相手はガキだぜ? 甘いも苦いもわかるもんか」
「……わかるぞ、甘いのは」
が、それもそうか、と苦笑し椅子に座る。
そこでふと気づいた。
座っているのは自分だけだ。
ここは立ったまま食べたほうがいいだろうか、とちらっと思ったとき、さり気なく後ろから肩に手を置かれた。首をめぐらせると、ターファが立っていた。
「ご苦労さん。そんで、ご馳走さん。あんた、いつのまに料理まで覚えちゃったんだか」
「……一度覚えると難しくはないぞ。基本を押さえれば応用も利くし」
「ああ、はいはい。あんたは頭がいいんでした」
苦笑するターファが視線で促すので顔を向ければ、パイの乗った皿を、ひとりの少女がおずおずと差し出してくれた。
「ああ、ありがとう」
受け取って、そして。
「……おいしかっただろうか?」
子どもたちに向かってたずねてみる。
料理など、することは滅多にない。
作るにしても、食べるのは自分と特定の仲間だけだ。
こういう初対面の不特定多数に対して作ったのは初めてだ。
目の前にいた少女は、声をかけられてびくっとすくみあがって、そして……ぱっと笑った。
「はい! とっても!」
笑って覗いた歯に、食べかすがついている。
まあ、あれも、子どもだから許せるのだ。
お茶を飲んでも取れてなければこっそり指摘してやろう。女の子だし。
「い、イスーさんは……! 料理も上手いんですね!」
勇気を振り絞って、という表現がぴたりとくる言い方で、別の少女が声をかけてきた。
イスーはパイを咀嚼しつつ、ちょっと甘いな、と思ったが、そういえば子どもにやらせたんだったか。
「いや。そんなことはない」
ぶっきらぼうに告げると、今度は別の少年が側に立って言った。
「でも! 美味かった。オレ、こんなの食ったことないよ」
「そうか。そうだな。わたしもここに通っていたころに、こんな菓子は食べたことがない」
「じゃあ、ユニで習ったんですか?」
幾分緊張がほぐれてきたのか、菓子をくれる人はいい人、ということだろうか、子どもたちがまわりに集まってくる。椅子はないので、足元に座っている子もいる。
「習った……というか。まあ、本に書いてある通りに作っただけだ。あとは自己流だな」
「へえ……!」
一様に感心している。
アップルパイなど。
この町では、そうそう口に出来る代物ではないのだ。
イスーだってよくわかっている。
「そして今日のはまた格別だな」
甘いそれを食べながら、イスーが言うと、子どもたちの視線がパイに向けられる。
そしてとっくに食べ終わった自らの腹に手を当てる。
「おまえたちの作ったパイも、なかなか美味いと思うぞ」
ぺろっと。
最後の欠片を口にいれ、指を舐めると、子どもたちがわっ、と笑顔になった。
「おーい、お茶入ったぞー」
「おまえら持っていけ!」
ターファとナーケが呼びかけると、子どもたちがわらわらと動き出す。
形も大きさも揃ってないカップを前に、幾人かが比べ合いをして、選ばれたひとつが……イスーのところに運ばれてきた。
てっきり中身が多いのを選んでいるのだと思ったので、少し驚いた。
「あ、ああ、ありがとう……」
受け取ると、白いカップはほかの子たちが持っているのとは違って、欠けていないキレイなものだった。一応、特別扱いなんだろうか。
ふと見ると、ナーケの使っているコバルトブルーのマグカップに見覚えがあって、はっとした。
あれは昔から彼が使っていたマイカップだ。
まだ使っていたのか、と懐かしいような複雑な気持ちだ。
あの頃自分が使っていたカップはどうなっただろう。
いびつで大きな甘い林檎の乗った、小麦粉ばかりの分厚いアップルパイは、一切れ食べただけなのに充分おなかを満たしてくれた。
育ち盛りの少年には物足りないかもしれないが、足らずは各自で足してくれ。
十年前の自分と同じ、勉強がしたくてここに通っている子どもたちに囲まれて、あの頃の友人と揃って飲んだ紅茶は、やっぱり湯の温度が高すぎたらしい。
ちょっと、濃くて、苦かった。