たったひとりの指針
チェックアウトの表示に、ソロンは一瞬息を止め、それから大きく吐き出した。
「くそっ」
言い捨てて、魔方陣の結界から踏み出す。
部屋に集まっているほぼ三十人のクラスメイトが揃って囃し立てている。
このクラスの連中はこうしてわざと煽ったりブーイングしたりするのが好きだ。
それは別に悪気が合ってのことではなく、ただノリがいいだけなのだ。
「おいおいソロン、なんだありゃ!」
クラスメイトのひとりサンティが、大きな声で呼びかけてきたので、ソロンは魔よけのマントを取りながら彼のほうへ歩いていく。
サンティの隣ではプリオがにこにこしながらひざを抱えて座っていた。
「お疲れさま」
プリオはおとなしいが、別にそれは人見知りとか、消極的とかいうわけではない。
ソロンはひょいと肩をすくめて彼女の隣に座った。
部屋の中心の魔方陣には、次の実践者のエストとデュールが進み出ている。
「デュール! 遠慮すんなー! エストはちっと遠慮しろー!」
サンティが野次を飛ばすと、クラスメイトが沸き立ってそうだぞーと声援があがる。
そんな冗談の非難をうけても、もちろんエストは全然平気な顔で嫌味な笑顔を作っている。
対するデュールは、こっちも相変わらずの仏頂面だ。
「デュール、がんばって」
プリオがこそっと声援を送ったが、隣に座るソロンにやっと聞こえた程度で、魔方陣の中で詠唱を始めたクラスメイトに届くわけはなかった。
これは召喚術の授業ではあるが、ほとんどがほかに専攻を持っている学生ばかりだ。
目の前で、やたら自信家のエストが奴好みの派手なサラマンダーを呼び出してデュールの周りの石の精霊を圧倒している。
見学しているクラスメイトは盛んにデュールに声援を送っているが、たぶんデュールにはどうでもいいことなんだろう。
それよりもエストのほうが嬉しそうだ。
いろいろと都合のいい性格だと思う。
ちょっと……いや、かなりうらやましい。
ソロンは、召喚術にはかなり自信があった。
出身の街はそこそこ大きくて、ここユニ……ユニバーサル・ユナイテッド・ユニバーシティ、通称『U.U.U』に子どもを送り込むための立派な学校があった。
そこでガキの頃から自分たちは、ユニを目指すんだと刷り込まれてきた。
周りがみんなそうだったから、ソロンもそれに違和感などなく、だいたいひとつ年上の従兄が召喚術の天才だと皆にちやほやされていたから、自分もと、結構がんばっていたのだ。
で、ソロンにもやっぱり素質があるらしい、ということになって、注目されて、調子が出てきて、見事ユニにも合格した。
従兄のルピアンの真似をしたわけじゃない。
ただやっぱり似ていただけなんだと思う。
ルピアンはすごい、と思っていたが、ソロンの中で自らの評価はそんなに悪くはなく、ルピアンの次くらいに自分はすごいんじゃないかと思っていた。
実際あの街から……ユニに来てわかったのだが、自分たちのいた学校は結構大きくてスパルタだったのだが、それでもユニへの合格者は、一つ上の中ではルピアンだけだったし、同級生の中ではソロンだけだった。
だから養成学校なんて意味ないんじゃないかと思った。
この最高学術機関の門をくぐれるのは、結局のところ生まれながらに能力を持った、特別な人間だけだとソロンは思っていた。
自分は優秀なんだと。
すごいんだと。
ソロンは、思っていた。
エストがデュールをこてんぱんにやっつけて、クラスメイトが和気藹々とブーイングを飛ばす中、召喚実践試合は次へと進んでいった。
召喚術が得意なやつも苦手なやつも、もちろんいる。
ソロンは得意だと思っているし、実際ほかの数ある魔法の中ではもっとも得意ではある。
けれど、たった三十人のクラスメイトの中でさえ、一番にはなれない。
たとえばエストにも勝てない。
じゃあエストがものすごいのかというと、何百人かいる同級生の中ではエストだって一番ではない。
世界は広くて、上には上がいる、としみじみ思ったものだ。
しかもそれだってたった何百人かの同級生の話だ。
入学してすぐに飛び級試験を受けて一年上に在籍していた同級生もいるという。
もう、自分とは別次元だ。
「ソロン?」
プリオが覗き込むようにして名を呼んだので、ソロンははっと目を上げた。
顔を上げると目の前で、クラスメイトがまるで水掛け合戦のような試合をしている。
見学組みたちは笑っている。
「大丈夫? 元気ない? 怪我したの?」
「いや……そんなこと、ないよ」
そんなことはない。
元気がないなんてことはない。
ソロンはただ、じっと黙ってクラスメイトたちの召喚術を眺めていた。
ユニは人工の中心母星センター・プラネットにある。
なので当然全員、寮生活だ。
専門の専攻はあるけれど、クラス編成にも寮の部屋の割り振りにも規則性はまったくない。
もう、適当、という感じだ。
あるのは男女の区別だけ。
ソロンがあまり広くはない自室に戻ると、机の上に手紙がおいてあった。
郵便物はこうして届くが、別に誰かが部屋の中に入ってきているわけではない。
見ると、ユニとは遠く離れた故郷の友人からの手紙だった。
秋の休みに遊びに行く予定があるから、帰ってこれるなら参加しろ、という内容だった。
ソロンは、嬉しいのに、なんだか泣きたくなった。
前に彼らに会ったのはいつだったかな。
会うたびに彼らは大人になっていく。
地元で学校に行っているやつ、働いているやつ、いろいろいるが、ユニにいるのはソロンひとりだ。
そして誰もが言うのだ。
おまえは、すごいやつだ、と。
ソロンは……すごくなんかなかった。
あの街では一番だったけど、ここへきたらなんてことはなかった。
世の中すごいやつはたくさんいるものだ。
自分が一番か二番くらいなんじゃないかと思っていた頃は、それは楽しかった。
……じゃあ、今は楽しくないのだろうか?
自問してみたが、よくわからない。
楽しい……だろうか。
ユニで勉強することが?
おまえはすごいから、そっちでも勉強ばっかしてるんだろうけど、たまには息抜きしろよ。
そっちは遊べるところあるのか?
俺たちのこと、忘れんなよ?
まるで寄せ書きのように、汚い字が書きなぐられている。
いちいち名前は書いていないけれど、どれが誰の字か、見ればわかる。
……なんだろう。
へんな気分だ。
そんなに友だちと遊んだ記憶はない。
ずっと勉強ばかりしていた。
ああ、だから彼らも、ソロンはいつも勉強している、と思っているのだろうか。
もちろんユニは学術機関で、魔法をはじめ専門的なことをたくさんやるので、ソロンも机に向かってばかりだ。
でもここではみんなそうだから、当たり前だと思って気にもしていなかった。
ソロンはいつも、自分のことで手一杯だ。
勉強だって、ひとりでするものだった。
でも、それだけでは自分はここにはいなかったというのだろうか。
「秋の休みって……いつだ?」
壁にかけてある時季暦に目をやる。
予定が入ってない一週間……ああ、ここは休みなのか。
そうだな、だって直前に試験期間があるから。
「おーい、ソロン、いるかー?」
手紙を手に予定表を見ていたソロンを、誰かが部屋の外から呼んだ。
この声は、サンティだ。
ほかにも誰かいる雰囲気が伝わってくる。
「ああ、いる。なに?」
「メシ食ったかー? まだなら一緒に行こうぜ」
「……ああ、うん、行くよ」
ソロンは手紙を元のようにたたんで、机の引き出しに入れた。
部屋に戻ってからまだ座ってもいなかったが、ソロンはすぐに白ローブを翻して扉に向かった。
よ、と軽く手を上げるクラスメイトたちに混じって歩き出す。
まあ別に楽しくないわけじゃない、と、ソロンは少しだけ、思った。